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『塔の上のラプンツェル』とディズニー映画の魔法

 前回この記事を書いた際、日本人がミュージカル映画をイメージするとき一様にフラッシュモブを思い浮かべてしまうのは、ハイスクールミュージカルの影響じゃないかというようなことを書きました。

 でも、この『魔法にかけられて』のシーンを久しぶりに見て気づいたんです。フラッシュモブ的シーンが多いのはハイスクールミュージカルだけじゃなくてディズニー全体わりとそういう傾向があるのではないかと。

 別にこれは私が急に発見したものではありません。noteでも少し探してみるとこの記事のなかでもディズニーらしさの一つとしてとして”フラッシュモブのような群衆ダンス”が挙げられていました。ディズニーファンからしたら私の指摘は何を今更ということなのかも知れません。


1.なぜディズニー映画のフラッシュモブシーンは素晴らしいのか?

 しかし、なぜディズニー映画ではフラッシュモブのようなシーンが多くなるのでしょうか? また、なぜ日本のミュージカル映画とは違い、そのようなシーンが成功するのでしょうか? 『ダンス・ウィズ・ミー』と比較して考えていきたいと思います。

 まずこちらが、『ダンス・ウィズ・ミー』のシーンです。音楽を聴くと踊らずにいられなくなるという催眠術をかけられた主人公が踊るシーンです。踊るきっかけは会議中にPCから流れた音楽。これ順番で整理すると音楽が流れる⇒主人公が思わず踊りだしてしまうという流れになります。

 この流れは前の記事で言った通りまさにフラッシュモブ的といえるでしょう。また、音楽を奏でるのがいかなる登場人物でもなく、PCからという点もさらにフラッシュモブ的です。

 一方でこちらは『塔の上のラプンツェル』の「誰にでも夢はある」のシーン。柄の悪い人たちが集まる酒場のような場所。そこでラプンツェルに「優しい心を思い出して! あなたたちは夢をもったことがないの?」と聞かれた男衆が夢を歌い出すというシーンです。

 このシーンを見ると『ダンス・ウィズ・ミー』との差がよくわかります。まず違うのは、みんなが歌い出すまでの動機と過程です。ラプンツェルのこのシーンで歌い出すきっかけとなるのは先ほど述べた「優しい心を思い出して」というセリフです。このセリフをきっかけに一人の男が心の中の優しい心を思い出し歌い出す。その歌に影響を受けてその場にいる人たちも優しい心を思い出し、結果としてみんなが歌い出すという流れになっています。

 ここで重要となるのはディズニー映画の多くの作品には大前提があるという点です。それは言わば性善説というべきものかもしれません。たとえばラプンチェルではどんな人も優しい心を持っているという前提があるように思えますし、魔法にかけられてであれば誰もが誰かを愛していてそれを伝えたいと思っているという前提があるように思えます。

 普通のシーンの映画の登場人物たちはみんなそれらの前提を(我々が普段そうしているように)心の奥底にしまっています。しかし、ディズニー映画においては多くの場合、ポティジブパワーに溢れる主人公の力によって彼らはその奥底にあるポジティブな心を引き出されてしまうのです。

 そして、そのときパワーの媒介として用いられるのがダンスです。主人公が歌う歌とダンスが周囲の人たちの心に眠るポジティブなものをたちまち蘇らせて、彼らを歌とダンスに突き動かす。これがディズニー映画におけるフラッシュモブシーンの本質だと私は思います。

 このように考えると、ディズニー映画におけるフラッシュモブ的シーンは、主人公のポジティブパワーの伝播の模様を描いているシーンだとみなすことができるかもしれません。また、この手のシーンを見たときの感慨の原点を、主人公の持つ世界観(前提)同調する世界が主人公の目の前にまさに立ち現われていっているという点に求めることもできます。(もちろん主人公の持つ世界観が僕らが皆望む素晴らしいものであるから、僕らはそれを見て共感し感動するんだと思います)


2.理由をまとめると

 ここまでをまとめると、ディズニー映画のフラッシュモブシーンが優れている理由としては、

・登場人物が皆共有し、前提となっているポジティブな世界観の存在
・主人公のポジティブパワー

この二つが挙げられることがわかりました。でもどうでしょうか。まだ一つピースが足りていないような気がします。

 まず、のめりこめるような映画におて最も重要な要素はリアリティーです。ここでいうリアリティーとは決して現実的というニュアンスではなく、真実味とか現実味とかそういったニュアンスのものだと考えてください。

 ではここで想像してみてください。今僕たちが映画を見ていて、「今まさに歌やダンスによって自分の中のポジティブな心が蘇っている登場人物」が画面に現れました。でも彼らの歌う歌はどうも好きになれません。もしそういったことが起きてしまう微妙な曲を彼らが歌っていたとしたら。。。

 きっと僕らはそのシーンに最低限リアリティーすら感じることはできないでしょう。そして、僕らはそんなシーンを登場人物を滑稽だと感じてしまうのではないでしょうか? そうです。ここで言いたいのはつまり、ディズニーフラッシュモブ的なシーンには一度聴いただけで誰もが心躍るようなまるで魔法のような音楽が必要不可欠なんだということなんです。

 確かにディズニー映画で歌われる音楽はどれも素晴らしいものばかりなように思います。では、それらの楽曲は誰が作っているのでしょうか。


3.作曲家アラン・メンケン

 まずは下記の動画をお聞きください。

 一曲目に披露されるのはリトル・ショップ・オブ・ホラーズ。彼、アラン・メンケンの出世作です。この曲は結構知らない人が多いかもしれません。でも二曲目以降を聞いてみてください。ほとんど知っている曲なのではないでしょうか?

・リトル・マーメイド
・美女と野獣
・アラジン
・ポカホンタス
・ノートルダムの鐘
・ヘラクレス
・魔法にかけられて
・塔の上のラプンツェル

このように並べてみると凄いディズニーの名作たちです。これらの映画の音楽をほぼすべて作曲したのがこのアラン・メンケンという男なのです。

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 上記の動画にはこういうコメントがありました。僕を含め世界中のあらゆる男女が小さい頃、彼の作った曲に囲まれて成長してきたという事実を端的に示していて素晴らしいコメントだと思います。

 まだ、アラン・メンケンの凄さがピンと来ない人。もしいれば下の動画を一つ一つ見て全部一人の人間が作ったと考えれば凄さがわかってもらえるんじゃないかなと思います。


4.まとめ

 ディズニー映画のフラッシュモブ的シーンがなぜ素晴らしいのかをまとめると以下の三つの理由が挙げられます。

・登場人物が皆共有し、前提となっているポジティブな世界観の存在
・主人公のポジティブパワー
・アラン・メンケンの音楽が天才

 本当は結構前から書きはじめていた記事だったんですが、何やかんやで社会人生活は忙しくて、何とか書かなくちゃってしているうちにゴールデンウイークにまでなってしまいました。本当はもっとアラン・メンケンについて調べたかったんですがごめんなさい。よし、金曜ロードショー見るぞ。

(今はこっちで執筆してます)

筆者:とび
学生映画企画『追想メランコリア』の脚本担当。

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