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レールの外れない人生

この世の中の人の大半は、レールの外れた人生を歩まない。そう思っている人がたくさんいると思う。そう思っていない人がいるとしたら、ぜひ、平日の満員電車に揺られてみてほしい。そして、新宿駅なんかで降りてみてはどうだろう。きっと今まで退屈そうな人を意識にすら入れていなかっただけで、見渡せば退屈そうにしている人ばかりがいる。そしてそういう人たちはそろいもそろって、レールから外れていない人生を歩んでいる。

と。僕はそう思っていたが今はそうは思わない。なぜならば、生きるという事は何気に大変だからだ。人間社会にはどうしたって食べ物が必要だ。食べ物を得るためにはお金で食べ物を買わなければならない。お金を得るためにしたくないことをしなければいけない。それこそがレールを外れないの意味だと思っていたのだが、実はレール内には自転車の軌跡の様なきわめて細い線が無数にも引いてあり、それらの線は一切交差しない。

まあつまり、人の人生は他のだれかの人の人生とは限りなく近くてどこか異なる。天ぷらの食べ方を想像してみてほしい。何通りの食べ方があるだろうか。大まかに、天つゆで食べる。甘たれをかけて食べる。塩で食べる。この3パターンのように見えてしまわないだろうか。それは、あなた自身がその3通りの食べ方しか知らないからあたかも同じ食べ方に見えてしまうだけで、それは表面を表面として見れていないからだと思う。別に天つゆで食べるという方法が1パターンだと誰が決めたのだろうか。天つゆをどのくらいかけて食べるのか。これも人それぞれだし、天つゆにつけて食べるのか天つゆをかけて食べるのか。これも人によって異なる。更に、天つゆの中に大根おろしをかけて食べたい人もいるし、おろしすぎない大根が好きだったり。

これだけ極端なものの言い方をすると、些か屁理屈に聞こえてしまうかもしれないが、きっと世の中の生き方という物はこの天ぷら理論の様に、同じ方法は実は同じではないという事と同じではないだろうか。小学校、中学校、高校、大学、社会人。これだけのくくりだけでも、すべてにおいて同じという人はほとんどいないだろう。だから、何かみんな同じに見えてしまってつまらないと思ってしまう捻くれ者(僕の仲間ですよ)はどうかその人のことを細分化して細かく見てみてほしい。そこには案外つまらない人たちの面白い部分が見えたりするから。

ただ一つだけ、勘違いしてほしくないこととして、世の中には本当に面白くない人もいるという事だ。こういう話をするとなんかいい人になった気分になって、あたかも全く面白くない人に対してもあの人はこういうところが面白かったりするからと善人ぶる人もいるようだが、それはただのオナニーなので気を付けよう。世の中には残念ながら本当につまらない人もいるのだ。

そりゃそうだ。物事を突き詰めれば、必ず1単位につき該当している人物がいるわけで。面白いというジャンルを様々な要素に組み込まれている人もいれば、面白くないという分野を全うしてくれている人もいるわけで。

だからこの話は善人ぶりたいわけではなく、意識高い系の人が言う視野を広く持てというわけではない。とにかく、人って案外いろんな側面があんのよって話。だってずっと一人で生きてきたわけでなければ、ずっと同じ人と飲みかかわってきたわけではないのだろう。

そりゃ十人十色なんて四字熟語も生まれてくるだろう。作った人は天才だ。でも、こういううまい言葉がまだ生まれる前の時代にいたら、きっと今とは違ったものの見方や考え方、楽しみ方があったのだろうなと時々思う。

話が逸れてしまったが、レールの外れない人生が嫌だと思った方、またはレールの外れない人生でいいと思っている方もレールの外れない人生について何かっていう事を自分で腑に落ちるように考えてみてほしい。ヒントは、レールの外れた人生って何?ってところから考えることだろう。

捻くれ者なんて言っちゃだめだよ。

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