見出し画像

【5分で恋愛もの】神様が思いがけないプレゼントを用意してくれた話【3,000字小説】

優は、暗闇の中で目を開けた。私、今どこにいるんだっけ。ぼんやりした頭で考える。

どうやら横たわっているらしい。目が覚めていくのと同時に徐々に戻って来た自分の身体の感覚がそれを教えてくれる。同じように目も暗闇に慣れてきたようだ。

ぼんやりとだが、見慣れた天井の姿を認識し始めた。どうやら、右手側にカーテンで閉められた窓があるらしい。きちんと閉められていないのか、そこから差し込んだ明かりで、部屋の様子も伺うことができた。

首を少し動かしてみる。ベッドサイドに置いてあると思しき、デジタル時計の時刻は25時を少し回っていた。

寝返りを打ちたくなり、もぞもぞと身体を動かす。途端、左肩が自分以外の誰かの温もりにぶつかった。成人男性と思しき体格。その身体の肉感。そうだ、とようやく頭が追い付いてきた。

ここは良太の部屋だ。

優は自分の推測が間違いないか、自分の傍らに寝ている男の顔をまじまじと見た。間違いない。恋人の良太だ。

星座を紡ぎ出すように、優は自分の朧気な記憶を丹念に手繰り寄せた。何せ、ずっと眠っていたのだ。そうしてやっと全てのピースを自分の得心のいく形に嵌めることができた。ほう、と吐息をつく。

やはり、神様というのはこの世界に確かに存在するのだ。歴史好きが興じて、節操無しに寺やら神社やらを訪ねた自分の行いを今さらながら誇らしげに思った。

優は改めて、自分の身体を傍らに眠る良太の方へ傾けた。そしてそのまま、その頬に左手でそっと触れた。二度、三度と指を這わしてみる。良太は起きない。少し躊躇った後、人差し指の爪を立ててみた。良太は微動だにしない。

当たり前か、と優は薄く笑った。良太は元々鈍い男だ。朝も弱い。大体のことは「いいよ、いいよ」と済ませてしまう。そののんびりとした口調に優はいつも笑ってしまうのだった。

26歳なのに、まるで昔話に出てくる好々爺みたい。いつだったか、そんな話をしたら「好々爺って何?」ときょとんとされた。
あの時の顔が、優は今でも忘れられない。

ベッドからそっと身体を起こす。何度訪れたか分からない良太の部屋は、暗闇の中であっても、どこに何が置いてあるのか大体把握している。

優はゆっくりと、床の感触を確かめるように歩いた。変な物音を立てて、良太を怯えさせることがないように。

慎重に歩みを進めた優は、お目当ての場所に辿り着いた。パソコンやその周辺機器を備え付けたデスクに、良太は小さな写真立てを幾つか飾っている。全て、優が映っているものばかりだった。

「そんなところに置いたら邪魔じゃない?」
照れ隠しも兼ねてそう尋ねた優に、良太は恥ずかしそうに答えた。
「いつでも目に入るところに置いときたいんだ」

一つ、二つ、三つ。…四つ、五つ。

いつの間にか増えているそれを、優は静かに見つめた。無邪気に笑っている自分自身。その写真のうち、1つは良太と寺社仏閣巡りをしたときのものだった。

あんまり興味ないんだけど。そう言いながらも、良太は優の行きたいところにはどこでも付いてきてくれた。写真の練習もできるしね、と言いながら。

良太、と優はつぶやいた。部屋は静寂に満たされたままだ。暗闇の中は、深夜特有のひんやりとした重たい空気が支配している。優が何をしようとも、絶望的なほどに何も変わらない。
何も、変えることはできない。

暗闇の中で、優は目を凝らす。良太の部屋にあるもの全てを覚えておこうと、優はぐるぐると身体を一周させた。

壁に飾られた良太が好きなサッカーチームのユニフォーム。二人でお金を出し合って買ったスピーカー。奪い合うようにして使った、大きなビーズクッション。優が持ち込んで、良太だけがちゃんと世話をしていた観葉植物。

もう、ここにいられる時間は幾何もない。誰にも教えられていないことのはずなのに、優は直感的にそれを知っている。

ベッドに眠る良太に近づく。幼い子どものように背中を丸めている。優はそっと、その背中をさすった。

苦しそうな表情を浮かべたまま眠る良太に、ごめんね、と話しかける。
良太の伸びきってしまった髪を払う。額に口づけた。震えながらゆっくりと、今度は頬に唇を落とす。良太のふっくらした頬にキスするのが好きだった。

時計の針が動く音が、はっきりとした形で優の耳に入る。もう、行かなければならない。
良太の分厚い唇に、優はそっと自分のそれを押し当てた。ありがとう、と良太を抱きかかえるようにしてしがみつく。

良太が、反応するかのように身動ぎをした。

**************

「ごめんねぇ、良太くん」

お仕事で忙しいのに、時間作ってもらって。優の母親が、電話越しに申し訳なさそうな声を出す。良太は、努めて愛想よく、且つ気を遣わせないように声色を明るくした。

買ったばかりのワイシャツの質感に、身体が中々馴染まない。それと同じぐらい、わざとらしい自分の声は何の質感も説得力も持たない。野球を始めたばかりの子どものキャッチボールみたいだ。相手に届くこともなく、ただ、投げることだけが精一杯の。

「大丈夫ですよ。僕も行きたかったので」

こちらこそ我が儘言ってすいません。良太が短く答えると、優の母親の声が急に湿っぽくなった。

「いいのよ。あの子、絶対に来てほしかったと思うから…」

抑えるような嗚咽に、良太は自分の鼻先が冷たくなっていく感覚を覚えた。喉の奥が締め付けられる。相槌を打つのがやっとだ。どうにかして会話を続けた後、通話を切る。待ち受け画面の優の笑顔に、視界がぼやけた。

優の心臓は、何の予告もなくその動きを止めていた。苦しむことはなかったでしょう。悲痛な面持ちで告げたという医師の一言だけが、せめてもの救いとして、優のことを知る弔問客の胸に瞬くように光った。

いつも真面目に勤務している優が連絡もなく、会社に出社してこないことを不審に思った同僚が第一発見者だった。

あの日の滅茶苦茶な着信履歴を見る度に良太は吐き気に襲われそうになる。その日に限って会議やら打ち合わせやらが入っていて、良太は自分のスマホをチェックする時間が無かった。

一か月以上経った今でも、その日の記憶は鮮明に残っている。思い出す度に胸が焼かれてしまうように苦しいのに、何度でも反芻してしまう。覚えておかなければ、と半ば縋るようだった。

この痛みを身体に染み込ませ、後悔の念を忘れずにいることで、良太は自分の中に優を繋ぎ止めようとしているのかもしれなかった。

今日は優の四十九日の法要の日だ。

そろそろ出発しなければ、と良太は重い腰をあげた。ふと、視線を感じてPCが備え付けてあるデスクに目を移す。

飾ってある写真立ての一つが倒れていた。
慌てて元に戻す。写真の中の優と目が合った。

こんな表情をしていただろうか、と良太はまじまじと見つめる。自分といる時だけ、幼さを滲ませたように笑っていた恋人。不意に、この写真を撮った時のことを思い出した。

「こうやって定期的に神様のところにお参りして、毎日良いことしてれば、神様がきっとお願い叶えてくれるよ」
「ええ?そしたら俺、今頃宝くじ当たってると思うけど」
「そういう即物的なやつじゃなくて。もっとこう、切実なお願いとかさ」

そう言って、優は笑っていた。自分よりももっと、神様にお願いごとをすることが多かった彼女の願いは、叶うことがあったのだろうか。

自分の耳の奥には、あの時の優の楽しそうな声がまだ残っている。
俺も、今度から一人で神社でも寺でも教会でも行ってみよう。良太は震えながら、写真立ての優の笑顔にそっと触れた。

俺の願いが叶うなら、俺の中の記憶からずっと優を奪わないで欲しい。これから先、どれだけ歳をとったとしても。彼女の温もりも肌の質感も全て、俺の身体に刻まれたままでいて欲しい。

写真の中の優は、確かに微笑んでいた。まるで、自分が望んだプレゼントを貰えて喜ぶ少女のような、満足気な笑みだった。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?