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政治講座ⅴ818「世界から嫌われる無礼な中国共産党」

中国共産党は世界中に「孔子学院」を立てていた。しかしそれは孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物の『論語』とは関係ないものである。それは儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つに数えられる『論語』とは関係なく、中国共産党のプロパガンダ機関である。このような「工作活動」を文化・芸術の名を借りて、洗脳活動をしているために、欧米人には評判が悪く、中国が嫌われる要因である。
そして、中国のジェノザイドは目に余るものがある。文化大革命のときの広西虐殺(人肉食)の事実が中国共産党の歴史から抹消されて、事実が隠蔽されている。今回はこのような報道記事から嫌われぶり紹介する。

      皇紀2683年2月5日
      さいたま市桜区
      政治研究者 田村 司

在イギリス中国大使館の引っ越しに「NO」…移転先自治体、人権問題や民主派弾圧で反発

読売新聞 - 5 時間前

 【ロンドン=池田慶太】英国の首都ロンドンにある中国大使館の移転計画が「住民の安全」などを理由に移転先の地元自治体に拒否された。中国の人権問題や民主派弾圧などに対する根強い反発が背景にある。今後は国の判断に委ねられるものの覆る可能性は低いとみられ、冷え込む英中関係の新たな火種となりそうだ。

 中国政府は2018年、金融街シティーに近い旧王立造幣局の土地と建物を民間から買い取り、市内の別な場所から大使館を移転させる計画を発表した。約2ヘクタールの敷地に大使館員の住居や交流施設を併設し、中国の在外公館として世界最大規模になるとされた。

 移転先となるタワーハムレッツ区は21年に中国側の申請を受け、開発を認めるかどうかを審議していたが、昨年12月、審議会が圧倒的多数で却下した。ロンドン全域を管轄する大ロンドン市も1月30日、区の決定への支持を決めた。

 区の資料によると、住民からは反対意見が多数寄せられた大使館が移転すれば、中国へのデモ活動が頻繁に起き、反中派の標的となる恐れもあるためだ。観光客が多い世界遺産「ロンドン塔」の近くにあり、区の審議会では観光への影響や警備の難しさも申請却下の理由に挙げられた

 英国では旧植民地・香港での民主派弾圧などをきっかけに地方政治でも反中感情が広がりをみせている。タワーハムレッツの区議会では21年3月、中国の人権抑圧に苦しむ人々への「連帯」の証しとして、周辺の道路に「ウイグル」や「香港」などの名称をつける動議を可決した。区議会は大使館移転計画に反対する声が多数を占めており、区の判断に強い影響を与えた。

 昨年10月には英中部マンチェスターの中国総領事館前で抗議活動をしていた在英香港人の男性が館内の敷地に引きずり込まれ、暴行を受ける事件が起きた。英政府から警察の事情聴取を受けるよう要請された総領事ら6人は、外交特権を盾に応じないまま国外に「脱出」した。英中間にはこうした外交摩擦が絶えない

 今後、中国側が英国の中央政府に異議を申し立てれば、地方行政を所管するマイケル・ゴーブ国務相が大使館移転の可否を最終判断する。ただ、与党・保守党には対中強硬派が一定数おり、政府として地方自治体の決定を覆す利点は少ない。スナク首相も昨年11月の演説で、かつて「黄金時代」と呼ばれた英中の蜜月関係は「終わった」と宣言した。移転計画の却下について、中国大使館は公式にコメントしていない。

英女王「中国高官は無礼」発言。中国から来た彼らは何をしたのか?

2016.05.13

バッキンガム宮殿での茶会に招かれた警官エリザベス女王の会話が波紋を呼んでいる。会話の中で女王は、中国の習近平主席訪英の際、中国の代表団が「失礼だった」と発言した。本来ならばオフレコであったこの会話はBBCによって世界に報じられ、蜜月時代に入ったとされる中英関係への影響が懸念されている。

発言は警官の苦労話から

問題の会話の舞台となったのは、本年度第1回目である恒例の夏のガーデン・パーティーで、公共サービスに力を尽くした約8000人の招待客を招いて開催された。招待客の1人であったロンドン警視庁の幹部、ルーシー・ドーシ氏は、習主席訪英の際、警備の指揮を執った人物で、「その時の話をお聞かせして」とパーティを主催する団体のチェンバレン卿に促され、苦労話を女王に打ち明けた(テレグラフ紙)。

ドーシ氏によれば、イギリスのウッドワード駐中大使との事前会合で、中国の高官たちは会議を退席し、「訪問はやめだ」と同氏に言い放ったという。女王は事前にその事件を知っていたようで、「彼らは大使にとても失礼だった」と述べた。ドーシ氏は、中国側は同氏と大使を袖にしたと述べ、「とても失礼で、とても人の扱い方を知らない」と返答している(ガーディアン紙)。

ビニール傘使用で思いもかけない結果に

この会話を捉えていたのは、18年間バッキンガム宮殿で撮影を担当するピーター・ウィルキンソン氏のビデオカメラだ。同氏は報道陣が殺到するのを防ぐ理由で、女王の公式行事撮影のため英報道各社に共同で雇われており、未編集の映像素材を各社に送ったと言う(テレグラフ紙)。

テレグラフ紙によると、実はウィルキンソン氏自身には撮影中、女王たちの会話は全く聞こえておらず、素材を受け取ったBBCが初めて「プライベート」な会話に気づき、報じることを決めたらしい。同紙によれば、通常ならばカメラのマイクが鮮明に拾えないレベルの声であったが、茶会当日は雨が降っており、女王が差していたビニール傘が音を反響し、拡声器の役割を果たしたようだ。布製傘であれば、会話が録音されることはなかったはずだという。

何が中国を怒らせたのか

この事件で一番気になるのが、中国側の非礼の原因だ。英ハモンド外相は、習主席訪英は成功だったとしつつも、「どちらも少しだけストレスを感じた」と問題があったことを認めている。ガーディアン紙は定かではないとしながらも、習主席訪英時の抗議活動家を巡る問題や、彼らをどう扱うか、またどの程度まで彼らが共産党高官に近づくことを許可するかといったことへの見解の違いが、中国側の怒りの原因だったのではと推測している。同紙によれば、過去の中国からの公式訪問で異論が多い分野は、抗議活動と治安についてだという。

BBCも同じ点を指摘しているが、ドーシ氏とウッドワード大使の両方が女性だったことが、中国側の非礼に関係している可能性も示唆している。

いまだかつてない女王の意見表明。英中関係にも影響か?

ロサンゼルス・タイムズ紙(LAT)は、多くの王室ウォッチャーが、王位に就いて63年間、一貫して政治を語らず、個人としての意見を表に出さない女王の今回の率直な発言に驚いていると述べる。『The Queen’s Speech』の作者、イングリッド・シュワード氏は、女王の発言はミスではなく、あえてしたものだと推測しており、女王は中国側が大使に取った態度のひどさを、痛切に感じたのだろうと述べている。

キングス・カレッジの中国研究者、ケリー・ブラウン教授は、60年の外交経験を持つ女王でさえ、中国は扱いが難しい相手だと感じていると指摘。英中関係は容易なものではなく、そのことは女王のコメントに含まれる感情に見て取れると説明する。(BBC)

現時点で、中国外交部の報道官は、女王の発言への直接のコメントは控えており、習主席訪英は成功だったとしているが、英中の特別な関係は終わったのかというガーディアン紙の質問に、「今日の私の回答を考え合わせてみて」と意味深な受け答えをしている。

BBCの中国メディア・アナリストのケリー・アレン氏は、「女王のコメントは面目を保つことを重んじる中国のエリートには非常に決まりの悪いものであっただろう」と述べ、政府が公式にどのような見解を示すかを決めるまで、国営メディアはこの件を報道しないだろうと述べている。中国のソーシャルメディアは早速女王の発言に反応しているが、検閲も追いついてきているという。また、中国で放映されているBBCワールドニュースも、習主席訪英についての言及がある時は、すべて一時的にテレビ画面が真っ黒になっているという。

これまでも英王族の問題発言はあったものの、今回はトップである女王の発言だけに、英中蜜月に水を差す形となりかねない。両政府の今後の対応に注目が集まりそうだ。

(山川真智子)

エリザベス女王が最も嫌ったのは?英BBCやタイムズ&文春も・習近平!

↑ なのです。

女王の習近平への批判の声は動画(音声含む)にも残っています。

エリザベス英女王、中国使節は「とても失礼」と 録音されていた会話で
2016年5月11日 BBC news

https://www.bbc.com/japanese/36263943(検索で音声含む動画も)

・・・以下BBCnews引用

昨年10月に習近平中国国家主席が英国を公式訪問した際の中国訪問団について、エリザベス女王が「とても失礼だった」と発言していたことが明らかになった。女王の生誕90歳を祝いバッキンガム宮殿で10日に開かれた園遊会で、訪問対応の総指揮にあたったロンドン警視庁の警視長と女王が会話する映像が公表された。

女王は、園遊会に招かれたルーシー・ドーシー警視長が習主席訪英の戦略責任者だったという紹介を聞き、「運が悪かったですね」と反応。さらに随員が、「(ドーシー警視長たちは)中国側に非常に、非常に業務を妨げられたが、(警視長は)決して揺らぐことなくすべてをまとめ上げた」と説明すると、女王は「あの人たちは大使にとても失礼でした」と、中国駐在のバーバラ・ウッドワード英国大使に対する中国側の行動に言及した。

ドーシー警視長はこれに対して「はい、とても失礼で、外交的ではありませんでした」と述べ、中国使節が会合の席を立って退場した一件について話すと、女王は「なんということでしょう」と答えた。

習主席の公式訪問は、中国の対英投資拡大を図る英国政府の外交政策の一環として実現した。

英王室バッキンガム宮殿は、「女王の個人的な会話内容についてコメントしない」とする一方で、習主席の公式訪問は「大成功で、つつがなく進行するよう関係当事者は誰もが緊密に協力し合った」とコメントしている。

習主席の訪問当時、女王は「一里塚」になる出来事だと称え、英中関係は「意欲的な」新たな高みに向かっていると表明した。

習主席夫妻はバッキンガム宮で開かれた女王主催の公式晩餐会にも招かれた。

・・・(中略)

<解説>ピーター・ハントBBC王室担当編集委員
習主席の公式訪問は経済関係強化が主眼で、英中関係の「黄金時代」の幕開けとなる――というのが、去年の時点での政府の公式見解だった。

しかし舞台裏では実はかなり厳しいことになっていたと、王宮園遊会での会話のおかげで知ることができた。

公の場で率直な物言いをするのは、ふだんは女王の夫の役割だった。

孔子学院とは、


中華人民共和国政府が世界各国の大学等と提携してその地に設立する中国語および中国文化に関する教育機関である。
一方、中華人民共和国が諸外国の大学などで「外交関係」を名目にした「統一戦線工作」によって、教育の名を借りて中国共産党の主張を基づいた世論戦宣伝(プロパガンダ)を行う機関だという主張も存在している。
孔子学院は、中華人民共和国教育部の傘下にある中国語協議会国際事務局(漢語事務局)の支援を受けて中国語教室を開いている。漢語事務局は、中国の大学で中国語や中国文化を学ぶ外国人に教科書の提供や教師の派遣、奨学金などの経済的支援も行っており、2009年に奨学金制度が作られて以降、166か国の国々からやってきた約5万人の学生が奨学金を受け取っている。また、孔子学院は料理、太極拳、鍼灸、書道などの文化教室も提供している。

2019年末時点で162カ国・地域に550カ所が置かれ、日本にも14カ所(2021年7月時点)ある。2020年7月からは中国国際中文教育基金会が運営している。
中国への理解や友好関係の醸成を目的として掲げているが欧米では中国のプロパガンダ機関であるとの警戒・批判も強く、閉鎖する政府・大学も多い。

20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義と科学を普及させる観点から、孔子および儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開[5]。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。近年、中国では、中国共産党が新儒教主義また儒教社会主義を提唱し(儒教参照)、また、「孔子」がブランド名として活用されている(孔子鳥、孔子学院を参照)。

広西チワン族自治区「文革大虐殺」の実相

殺害15万人、人肉食、性暴力…「絶密資料」発掘

2016.10.19  福島 香織

 先日、明治大学で同学現代中国研究所主催の「『文革』とは何だったのか」というテーマのシンポジウムが行われた。いわずもがな、今年は中国の文化大革命発動から50周年であるので各地でこの手のシンポジウムが行われているのだが、特にこれに興味をもったのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の宋永毅教授が「広西チワン族自治区極秘檔案に見る文革大虐殺と性犯罪」について講演すると聞いたからだ。

 文革期に広西チワン族自治区で組織的で凄惨な人肉食を伴う大虐殺が行われたことは、知る人ぞ知る事実である。その事実について、実は共産党として詳細な報告書をまとめていたが、それは「絶密」(絶対秘密)扱いで、長らく公開されていなかった。ところが、今年、宋教授が中心となってその膨大な機密資料が編集され出版された。700万字以上36巻。

 文革というものをとらえるとき、現場で何が起きたか、それを知らないでは語れない。同じ文革でも、北京で起きたことと、内モンゴルで起きたこと、チベットで起きたこと、そして広西チワン族自治区で起きたことは違うだろう。広西チワン族自治区の文革について、この資料や宋教授の講演の内容をもとに、ここで簡単に紹介しておきたい。

なぜここまで残虐を極めたのか

 文化大革命とは1966年から1976年の毛沢東の死まで続き、77年に終結宣言がなされた中国全土で起きた大政治・社会動乱である。大躍進政策の失敗によって政権中枢から退かざるを得なかった毛沢東が、政敵・劉少奇らを失脚させ復権を図るために民衆を扇動して政治動乱をしかけた、というのが一般的な解釈で、その本質は権力闘争ともいわれているが、研究者の中には、もっとマクロな視点から、旧ソ連の社会主義に挑戦する中国式社会主義モデルの提起といった見方や、中国近現代史において唯一権力を公に批判できた時代という意義を見出す考えもある。

 中国国内ではひそやかに文革再評価論も起きているし、農村部では文革時代を懐かしむ声もある。だが、具体的に文革で何が行われたか、という視点でみると、そういう政治論的な研究など吹っ飛ぶような残虐行為のオンパレードだ。政治理想論の建前にしろ、権力闘争にしろなぜ、ここまで残虐である必要があったか、ということの方が重要な本質テーマである気がしてくる。

殺害15万人、人肉食、性暴力…「絶密資料」発掘

2016.10.19 福島 香織

 この資料によれば、広西チワン族自治区では、文革期に約20万の冤罪事件があり、名前が判明しているだけでも約8万9000人が不正常な死を遂げ行方不明者も2万人に及ぶ。名前の分からない死者は3万人以上で、少なくとも15万人が虐殺されたといわれている。民間の調査では20万人以上が殺害されたともいわれている。

 文革終結後、広西の党委員会組織は10万人の人員を使って4年かけて、「文革遺留問題」処理にあたった。1986年から88年にかけて、党委員会はこの処理について上級機関に報告するための「広西文革檔案資料」を作成。この700万字にのぼるリポートでは、いつ、どこで、誰がどのように虐殺されたか、そしてどのように「喰われたか」まで、ほとんど実名で詳細に記録されていた。これは「絶密」文献として外部の者の目に長らく触れることはなかった。例外的に、のちに米国に亡命した中国人作家・鄭儀が、これら公式資料を見て、またその資料に記述されている関係者にも取材し、広西地域の大虐殺・人肉食事件を告発したノンフィクション文学「紅色記念碑」を書いている。

 だが、それ以外にこの文革大虐殺の実体を世界に公式に発信したものは今までなかった。ちなみに「紅色記念碑」の人肉食記述の部分は、「食人宴席‐抹殺された中国現代史」(カッパブックス 黄文雄訳)のタイトルで邦訳出版されている。キワモノ本的タイトルになって残念だが、原作は緻密な資料と取材に裏付けられた渾身のノンフィクションである。

 この絶密資料は米国に密やかにわたっており、主要大学のアジア関係の図書館に分散して保管されていることが近年判明。宋教授は、今年6月になって在米華字メディア明鏡出版集団傘下の国史出版から、この資料を整理して全36巻にまとめて出版した。

組織的な虐殺と食人

 この資料で特に衝撃的だったのは、文革中、302人が殺害後に心臓や肝臓を摘出され、食べられた様子が詳細に記述されており、広西地域で食人行為が横行していたことを改めて明らかにしていることだ。

 特に被害がひどかった武宣県ではこういった記述もある。

 「(1968年)6月17日、武宣に市の立つ日、蔡朝成、劉鳳桂らは湯展輝を引きずりながら町を行進し、新華書店前まで連れていくと、龍基が歩銃で湯を打ち据えた。王春栄は刃渡り五寸の刀をもって腹をさばいて心臓と肝臓を取り出すと、野次馬が蜂のように群がって、それぞれ肉を切り取って奪った。

 肉が切り取られた後、ある老婆が生殖器を切り取り、県の服飾品加工工場の会計の黄恩范が大腿部を一本切り落として、職場に持ち帰り、工場職員仲間の鐘桂華とともに骨から肉を削り落として煮物にして食べた。

 当時、この残虐な現場にいた県革命委員会副主任、県武装部副部長の厳玉林は、この暴虐行為を目の当たりにしても一言も発さなかった。当時、招集された四級幹部会で、会議参加者のそれぞれの代表は人肉を食べ、非常な悪影響を与えていた」

殺害15万人、人肉食、性暴力…「絶密資料」発掘

2016.10.19 福島 香織

 また、これは文革という混乱に乗じた無知蒙昧な民衆の事件ではなく共産党、国家の機関が組織的に行った虐殺、食人であったことも、この資料からわかる。当時の広西チワン族自治区の党委書記の韋国清は文革中、失脚することなく自治区トップの座におり続け、軍隊、警察、民兵らから絶大な支持を得て、指揮し続けていた。虐殺のピークは、造反派と走資派が激しく戦った内戦時期の文革初期ではなく、1968年7月3日に党中央の革命委員会が七三布告を出したあとに起きており、武闘の混乱に乗じて起きたのではなく、毛沢東らが韋清国を支持した、比較的落ち着いた状況下で起きたものだった。

 この資料で名前が判明している殺人者、殺人指揮者は200人以上、うち6割が武装部長、民兵指揮員、民兵および幹部だった。食人行為を働いた84%は中国共産党員、あるいは幹部であった。チワン族自治区と聞いて、食人行為が少数民族地域の特殊な文化背景があるという人もいるが、これは漢族が中心の行為でもあった。文革中、自治区の5万人近い共産党員が虐殺、殺人に加担した。

陰惨な性暴力も横行

 資料中で、欽州地区の報告書には次のような記述がある。

 「1968年9月7日から17日にかけて、上思県革命委員会が四級幹部会を招集し、上思中学で、群衆による公開殺人大会を開いた。このとき幹部、群衆12人が殺害されたが、一部の死者は腹をさばかれ肝臓を取り出され、県革命委員会の食堂で煮て食べられた。食人には県の幹部らが参加した。同県の思陽公社武装部長・王昭騰は大隊に殺人を命令し、その晩、鄧雁雄を殺害、肝臓を取り出して煮て、部下らと一緒に食べた。彼は部下らに、人の肝臓を食べると、大胆になると言って勧めた。翌日、王昭騰は、さらに4人殺し肝臓を取り出し、二、三の生産隊ごとで、一人分の肝臓を食べるように命令を出した」

 宋教授は広西地区における文革の特徴として、食人以外に、軍の複数の師団兵力を使って組織的に民衆組織に対し攻撃と殲滅を行い、その派生事件として女性に対する性暴力が空前の規模で行われたということも指摘している。文革中、広西地区の農村では、父親や夫を殺害して妻や娘を凌辱することが常態化し、資料には、225事件1000人以上の被害者が記録されている。

特に、性的暴力を伴う殺害方法多重性、計画性、残忍性、変態性がみられるという。例えば、「1968年4月25日、浦北県北通公社で、大隊が四度にわたり24人を殺害肝臓を取り出して煮て酒とともに食べた。この公社では180人が殺害された。…主犯の劉維秀、劉家錦らは、劉政堅を殴り殺したのち、17歳に満たないその娘に対し輪姦後、殴り殺し、肝臓と乳房、陰部を切り取った」といった記述もある。

 また、父親や夫を殺害後、犠牲者の妻や娘が、殺害当事者の妻にされることもあった被虐殺者の妻を、虐殺当事者が妻とすることを「改嫁」と言った。

 「浦北県北通公社の旱田大隊革命委員会主任は計画的に22人を殺害、殺害前に、犠牲者の財産を調べており、殺害後にその妻と娘四人が幹部らに嫁がされた。その時、改嫁証明費、出嫁費用として894元が支払われた」。

 これは単なる性的暴行以上に、長期にわたる女性に対する精神的迫害ともなり、これにより正気を失った女性の報告もある。

「中国的特色」4点

 虐殺やそれから派生する女性に対する暴行の本当の理由は、革命や階級闘争といった政治的目的以上に、地主や富裕層からの財産没収や、その美しい妻や娘を奪うという下品な動機があったとみられている。文革中、地元革命委員会は被虐殺者、被虐待者から「看守費」「専政費」「改嫁費」といった名目の罰金を徴収していた。

 なぜ、ここまで残虐非道になれたのか。なぜ、食人が流行したのか。文革が特別であったのか。それとも広西地域が特別であったのか。わからないことはいっぱいある。

宋教授は講演の中で「中国的特色」という言葉を使った。

 その特色とは、①地方政府が意図的に作り出した無政府状態。
        ②高度な組織化による虐殺
        ③虐殺の目的が階級の敵の生命を絶つことから、
         殺戮に伴う官能と快楽を得ることになっている。
        ④一族郎党を絶滅させるという方式が採られているが、
         これはその一族の財産(女性も含む)を奪うという
         動機が潜んでいる。
         これらの4点を挙げている。

そしてこういう特色は、実は文革で初めて起きたことではなかったという。

 たとえば土地改革(1950-53年)でも、中国的特色の虐殺が起きていた。この土地改革で「一村一焼一殺」をスローガンに、紅軍は地主・土豪に対する徹底した略奪と殺戮を行った。殺害された地主は240万人以上ともいわれている。文革発動前の17年間、中国ではこうした高度な組織化による大虐殺の手法を政治運動の中で繰り返してきた歴史があり、文革だけが突出して残虐であったとはいえないかもしれない。文革の混乱期に、かつて経験した土地改革や右派運動といった政治運動の中で経験した略奪や婦女暴行の快楽を思い出した者もあろう。

「文革」の本質を問う

 文革とは何だったのか、という問いに対して宋教授は「共産党が文革以前に実施した17年間の政策の結果である」と答えた。文革前の17年間の政策に対する錯誤をきちんと認めず、政治運動の中の醜悪な虐殺を正当化してきた結果、文革の10年が起きた。では、文革で何が起きたかについていまだタブーが多くその後の天安門事件についてもいまだに再評価されず共産党政治に対する批判を許さない今の中国では、また、大虐殺をともなう政治動乱が起きても不思議ではないということなのだろうか。

 習近平政権が、あまりに苛烈な権力闘争を、文革を想起させるような個人崇拝キャンペーンを伴って展開している今だからこそ、文革とは何であったか、というその本質を問う作業を、中国問題にかかわる人たちは続けていかねばならないと思う。

参考文献・参考資料

在イギリス中国大使館の引っ越しに「NO」…移転先自治体、人権問題や民主派弾圧で反発 (msn.com)

孔子学院 - Wikipedia

孔子 - Wikipedia

音声つき動画・エリザベス女王が無礼な習近平を批判!英BBCやタイムズも報道 | tomo文章道場 (tomo3koko.com)

英女王「中国高官は無礼」発言。中国から来た彼らは何をしたのか? - まぐまぐニュース! (mag2.com)

ジェノサイド条約 - Wikipedia

広西チワン族自治区「文革大虐殺」の実相:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

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