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木曜日、見舞いに行く

2021年11月某日、父が手術をすることになった。

「ひと息ついたら 大切な報告をします」と母から一通のLINEが入り、その後電話を通して父を取り巻いている事情が明らかになった。

もしこれが骨折だとか命に別状はないような病気だったなら、ほんの少し安堵できたのかもしれない。

現実は時として残酷にできている。これほどまでに神を恨んだことはない。故に父の手術する理由が、がんを取り除かなければならないからである。

 

数日前まで父は仕事をしている最中に、自分の体に異変が起きていると気づいたらしい。それまで当たり前のようにこなしていた事務仕事や配達も、自らおかしいと思うまで幾つかの間違いが多発していたそうだ。
会話においても仕事仲間のみならず母とも、思うように成り立っていなかったという。

そうして自ら車を運転して市内にある大きな病院へと向かい、検査をしてもらった。当日中にはどういった症状なのかを明らかにすることができなかったため、後日母と付き添いでもう一度そこを訪れた。
そこで検査してもらったその医師からは…

 

いわゆる脳腫瘍であることを告げられた。

 

そして父の寿命はその腫瘍が良性か悪性問わず、長くて半年しかもたないという宣告も受けていた。

その後、腫瘍を摘出する手術を行うため入院することが決まっていたが、前の日には具合が急に悪くなってしまった。

再度検査を行った結果、水頭症すいとうしょうを併発してしまっていることがわかったそうだ。
その頭に溜まった水を抜くための手術と、その腫瘍を摘出するための手術を同時に行うことが急遽決まった、とのことであった。

その報告を一通り話した母の声は、聞くに堪えないほどに声を震わせている。

正直心が、頭が、理解すら何もかも追いつけなかった。単に情報が錯綜しているのではない。なぜ父が、今まで大病を患う事など一度もなかったのに、どうしてこのタイミングで、しかも余命宣告まで受けるなんて…。

無数の疑心暗鬼が襲いかかってきている。だがそれ以上に、涙交じりに淡々と話している母は、長年父と寄り添ってきた身だからこそ、今もどうにもこうにもしようもなく立ち塞がれた現実に直面している。

もし本当に人に優しく接することができる人ならきっと、悲しみに暮れている人に対して寄り添うようにして声をかけるだろう。

しかしこの時の私には、人を励ましたり宥める力はほとんど残されていない。自分の非力さを恨みつつも「手術の日、そっちに行くから」と私は母にそう言い残して電話を切ると、スマホをテーブルに置いてソファに倒れ込んだ。

 

「あと少しだけ話ができるなら、何を話すのだろう」

物心がついてから曽祖母の最期を看取って以来、いつか親との最期の別れが訪れることを、私は覚悟していた…そのつもりでいた、はずだった。

半生に渡って、親戚や友人、いろんな人の最期の姿を遠い場所から何度も目にしてきた。そしていつしか自分にも、彼ら彼女らと同じ光景を目の当たりにすることになると。
父、そして母の最期を、この目で見送らなければならない日が必ず訪れるのだと。

けれど母からその一報を耳にした途端、それまで当たり前に持ち続けていた一つの覚悟は闇に葬られてしまった。
こんなにもちっぽけにして生半可なものだったとは…灯りの付いていない部屋で、思わず片腕だけで目を伏せている。

家中に無力という空気があちこちと蔓延る中、私はたった一つの文を口にした。

数日後、父が手術を受ける前日の夜に実家へと出発した。その道中も、不意にスガシカオの「木曜日、見舞いにいく」という曲から一説の歌詞が頭に流れ込んでいた。

ちょうど明日は木曜日だ。こんな偶然なことなど、この先どれだけ善行を積むなり愚行を積むなり一生巡ることはないかもしれない。

それよりも父の手術が無事に終わって、顔を見せることができたとしたら、私はいったい何を話せばいいのだろうか。
いや、ちゃんと目と目を合わせて話すことができるのか、これが最後の顔合わせになるかどうか、それすらもわからない。

もう「こんなことになってしまうなんて」などと思っている場合ではない。最早、時間は止まってくれない。神様はこの時のためだけに、時間を止めさせる行為などしないだろう。 

 

20時27分発、こだま757号・名古屋行き。

ホーム上に設置されているブザーが鳴り終わると、私を乗せたその新幹線はゆっくりと東京駅から離れていく。
次第に、暗闇の中に咲く一筋の光を目で追うことができないほどの速度まで上げて、地元のある方角へと向かって進んでいった。


最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!