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ほんの一滴のミルクを落とし込む

時折、XやフェイスブックにインスタなどといったSNSなどで「今日は〇〇に行ってきました」や「今日は〇〇をやってみました」といった記事を見かけることがある。

それと加えて、画像やショート動画も一緒に目に飛び込んでくると、そんなふうにして輝く日々を謳歌している人が微笑ましくも羨ましいと思ってしまう。

それに引き換え私が今過ごしている毎日は、それらのようにすべてが充実したものを送り続けているとはあまり考えていない。
そうは云っても、私は先週の三連休ではそれなりに至る場所に出かけたりしていたものである。

その反動のせいかもしれない。この土日はどこにも出かけることなく、ほぼ一日を家で過ごしていた。おまけに、こうして極力表に出さないようにして抑えつけているジェラシーなるものを感じてしまっている次第でもある。

特に本を読むでも映画を見るでもなく、そして何かを想像するでもない。ただ体を横にして無になることに時間を費やしていたのだった。

これを傍から見れば、貴重な休日の時間を無駄に過ごしていると思われても仕方ない。私も何一つ実りはおろか刺激もなく、ぐうたらと休みを過ごしてしまったと思っている。

けれど、後ろ向きなことばかり考えてはいない。来週に向けて大きく動いていくための休憩あるいは充電期間だと言い聞かせれば、いくらか前向きになれるかもしれない。

そう考えたら、疲労から解放することなく刺激的な毎日ばかりでは、やがて自分にとって取り返しのつかない過失に繋がることもあり得るだろう。

私はこれまで勤めてきた会社で、一月に一度も休むことなく働き続けていた人間や、常に精神的に追い詰められるようないわゆる「極限状態」の日々を過ごしていた人間などを、少なくともこの目で見てきている。

結果的に彼ら彼女らは当然ながら、長期的に休むことを余儀無くされるのだった。

常に一定のペースで走り続けなければならないマラソンの概念があるにしても、やはり間を挟むようにして安息の日々を取り入れなければ、再びカラーに満ち溢れた日常に自分を落とし込むことができなくなることができないかもしれない。

休息を取ることがいかに大切か、感情を無にすることが大事なのか。改めてこの土日をほぼ出かけることなく家で過ごしたことで、ほんの少しわかってきた気がしている。

今、私は数年前に手に取ったブライアン・フェリーの「Avonmore」というアルバムから「Driving Me Wild」をひたすら聴き続けている。

こんなどうにもならない日には、デスクライトの灯りだけを頼りにして唯一無二の音楽を聴きながらコーヒーを片手に、他とは比べ物にならない「何か」について思い吹けるも良いと思う。

モノクロな日常に包まれた私の中に微かに宿る激情が、再びかき立てられるのならば。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!