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ジレンマは現実である

2021年12月某日。母から一本の連絡を受けた。

あの日、父の脳にできた腫瘍を摘出する手術以来、その後に良性か悪性かを判断するための検査をおよそ1〜2週間かけて行われていた。

しかし摘出した腫瘍は大半が壊死しており、確実に判断ができるまで予定よりも大幅にかかってしまっていたらしい。

そしてその検査の結果がようやく出た旨の連絡があったため、父の入院先の病院に行ってきたそうだ。

 

腫瘍は悪性と診断された。


父の手術を担当した医師曰く、腫瘍は全てを取り除くことはできなかったという。できてしまった部分が、運悪く記憶を司る器官の間近であったからだ。

これらをもし摘出してしまったら、人としての機能のほとんどを失うことになってしまうからだと、そう告げられていた。

悪性の判定を受けた翌日、父は地元で唯一の特定機能病院と認定されている医療機関へと転院することになった。

腫瘍の進行は、我々が思うよりも早く進んでいることもあり、そこで主に放射線での治療を約1ヶ月かけて実施されることも決まっている。

しかし仮に治療が終わったとしても、父が家に戻るなり仕事に復帰するなりと、元の日常に簡単に戻ることは到底考えられなかった。

故に、長くもって半年という余命宣告まで受けている以上、今私たち家族が置かれている状況に、刻々と迫ってきている運命に対して向き合わなければならない。

願わくば私も地元へ一時的に戻り、父に見舞いなり病院に行きたかった。だが仮に行くことができたとして、世間はきっとそれを許さなかったことだろう。

コロナ禍に伴い長く発令されていた緊急事態宣言の下、それも連日感染者数の最多記録を更新し続けている東京から、家族に関わる一つの事情で地元に戻ろうとしていた人間を。

無論、転院先の病院でもその影響を受けており、面会できる時間はほんの僅かに限られている。

それも県内有数の医療機関であればなおさらだ。これ以上感染者数あるいはそれに伴う重症患者数を増やさないようにするためには、何かしら施策を取らざるを得ない。

会いたい時に会いに行けず、会いに行けたとしても時間が許してくれない。

いったい私は何を憎むべきなのか、何を押し殺すべきなのか。
こんなもどかしい思いに苛まれ、自分にとって何が最善なのかさえわからないまま時は流れてしまった。

気づけば、かつて天皇誕生日という祝日が制定されていた日付に差し掛かっている。各地で猛威を振るうパンデミックの真っ只中で、私はこの長期休暇に実家に戻るべきか否かとひとり悩んでいた。

例年ならそのタイミングで、「仕事納めの日の夜に戻ります」と母にLINEを通じて一報入れている頃だ。

だが父のこともあり、世間体のこともあり、どうしても自分の中で踏ん切りが付けるような状態ではなかった。

このまま有耶無耶にして、東京の自宅で年始を迎えるべきなのだろうか。そう考えていた矢先、母からLINEが入った。

 

「ツカサにお願いがあります」

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!