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父の背中

「あっ、懐かしい曲が流れてる!」

2024年3月某日。父の3回忌を迎えたこの日は、父と、祖父母が眠るお墓があるお寺へと向かっていた。

後部座席に母を乗せて走らす愛車には、かつて私が小学生だった頃に、父がよく聴いていたエリック・クラプトンの「My Father's Eyes」が流れている。



…というよりも私自身が、あたかも偶然を装うかのように、自分が所持しているiPhoneを介して、カーステレオから意図的に流しているだけのことである。

振り返れば、家族揃って市街地を回る時、あるいは少し離れた場所まで遠出する時は、ほぼ必ず父がハンドルを握り、大体の確率でクラプトンの曲が流れていた。

父はクラプトンの曲をかけながら、家族を連れて車を走らせていく中で、どんなふうに思い馳せていたのだろうか。私はそんな他愛もないことを考えながら、愛車は山奥に囲まれた目指して行く。


* * *


2年前、父が天国に旅立って以来から今現在に至るまで、私たち家族を取り巻く環境は変わっていった。

特に一番変わったのはもちろん、母自身である。出会ってから最期を看取るまで数十年もの間に渡り、父と二人三脚で寄り添い続けてきた。

やがて、目の前で一番大事な人を失った代償は、自らの口で一言や二言ほど語るのが難しいほど計り知れないものだった。

それでも、父が遺していったものを守っていけるよう、時々面影を思い出して涙ぐむことがありながらも、前を向いて生き続けようと懸命になっている。


私より三つ歳の離れた弟は、相変わらず忙しない日々を送り続けている。弟は昔から破天荒な性格の持ち主であるが、学生時代から社会人になって結婚を経て、だいぶ落ち着いてきた印象が伺えるようになった。

年内には第一子が誕生する予定であり、いよいよ父親になる時が刻々と近づいてきている。これからの日々に悪戦苦闘を強いられながらも、暖かな一家族を築いてほしいと、私は密かに願っている。





当の私はー

この2年間で、今まで歩んできた半生の中で、もっとも宙ぶらりんの状態になってしまったと思う。

思い返せば去年の今頃には、勤め先の会社の幹部から一方的に約束を破られる形で異動を押し付けられ、こちらが不利益を被る事態となってしまった。

そうした出来事から丸一年経ったが、向こうからこちらを気にする素振りも見えない。期待するものはないにせよ、もしかしたら決断が遅かったと思うにしろ、いい加減に見切りをつけなければいけない。

おまけに高校の時から連んでいた悪友とは、例の一件から連絡が途絶えたままだ。今頃何をしているのか気になるところではあるが、こうして今も私からの応答を受けない以上、ここでもう一つ覚悟しなければならないと悟った。


* * *


父はこれまで歩んできた人生の中できっと、私たちよりも幾度とない苦難を経験したことだろう。

そして皆がそれぞれの希望を持って踏み出して行く中、私一人だけ絶望に飲み込まれて、浮かされている場合じゃない。

今、自分自身が立っているこの現在地を塗り替えるために、この体を泥まみれにしてやろう。

そしたら自分が大事にしていたものを、さらに失っていくことになるだろう。それでもその先に、自分の望んだ未来に近づけるよう、覚束ない歩幅で進んでいくしかない。


共に歩んできた父の背中は果てしなく遠い。父と同じような道は歩めないとしても、私は私にしか進めない道を描いていきたい。





* * *








ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。
敬愛する父が天国へと旅立ってから丁度2年という、長いようで短い月日があっという間に流れていきました。
父が遺した意思を忘れず、これからの日々を生き続けていきます。

改めまして、拙い文章の中で読んでくださった皆様、スキしてくださった皆様、ならびにマガジンに載せてくださった皆様、心から感謝を申し上げます。

Have a good day!
タダノツカサ

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!