学校のしくみは、保護者が「しっかりしている」前提で成り立っている感

 10年以上前に親になってから、保護者面談などで伝える言葉を変えてきました。同時に、ふと学校制度にある疑問も湧いてきました

1 親は完璧ではない…子育ても初めて

 

 以前は、担任している子どもが「宿題を見てもらえていない」や「支度を一緒にしてもらってない」、「精神的に満たされていない」と感じると、その子の保護者に対して「自分の子どもなんだし、きちんと見てくれないかなぁ」とよく思っていました。

 そして、面談などがあると「(深刻そうに伝えると重たいので、和やかな雰囲気にしながら)もう少し見てあげてください」などと言っていました。


 確かに、正論ではあるんです。教育基本法で

「父母、その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」

とされているように、育てるのは親で、あくまで学校は家庭ではできない部分を伸ばす役割…という位置づけではあります。


 ただ、自分が親になって痛感ですが…親自身が仕事で精一杯なことも多いと思います。
(親の立場にならなきゃ気付かなかったあたり、センスや想像力不足…)


 子育て世代は、ほぼそのまま現役労働力世代です。夫の一馬力で生活している家庭の方が少数派、共働き世帯があたり前という流れの中、子育てに十分な時間や労力が割ける人ばかりでないことは、言うまでもありません。


 また、3組に1組が離婚する、という現代では、母子家庭や父子家庭もまったく珍しくありません。

 
 子育てを通して親になっていく、とはよく言われますが、親だって子育てを知っているわけではありません。自分の子どもの頃と照らし合わせて何とかしのいでいる人も多いでしょう。それでも、スマホの普及に伴う子どもとデジタル機器のあり方など、時代の違いで判断に迷うこともあるかと思います。


 そのため、保護者面談等では、いわゆる保護者の至らない(と思われる)部分についても、共感するようになりました。


2 学校のしくみは、保護者が子どもを育てられる前提で成り立っている感

 
 (時代の移り変わりや家族のかたちの変容については、他にも詳しい記事があるかと思いますので、そちらを参照してください)


 学校のしくみは、保護者が子どもに十分時間や労力を割き、子育てができる前提で成り立っているのが現状ではないか、と、自分は思います。ざっくり言えば、保護者が「しっかりしている」前提があるのではないか、ということです。


 例えば、低学年…以前、子どもの宿題について「放課後児童クラブに任せてるんで」と言い切ってしまう保護者がいた、ということを耳にしました。担任からすると、「自分の子どものくらい、見てほしい」と思うところであり、そうあるのが望ましいとは思います。
 ただ、その保護者からすると、きっと仕事や家事で手一杯、それが本音だったのでしょう。


 多くの子どもは、一日頑張って学校で授業をしてきたのに、その上、家でも学習をするなんて、やってられないと感じるでしょう。しかしながら、下の学年であればあるほど、親や近しいだれかが取組を見てくれたり、共感したりしてくれるだけで、前向きになれると思います。(大事なのは、学習を身につけることより、こちらの方だとも感じます)


 しかしながら、その重要性は、どこかで教えてもらわなければ、きっとわかり得ないと思います。

そして、わかっていても、できるわけではないのだと思います。


学校から配布される手紙などもそうだと思います。

 文章に落ちがないように、隙がないように書かれていると、読み手としては非常に読みにくい文書ができあがることは、しばしばあります。
(けして、読みにくい文書を作りたいわけではなく、行政文書になるので、突っ込まれないように書かなくてはならない…その結果、一般の方にはとても読みにくいものに仕上がる)


 文字が得意な方はいいですが、そうでない方には、とても不親切です。

 でも、学校側としては、文書で伝えていることで、責任は果たしているわけです。

 じゃあ、文書では伝わりにくい家庭には…個別に電話確認をする場合もあるかと思いますが、全てにそんな対応をしていたら、働き過ぎ改革まっしぐらです。


 つまり、学校は、子どもが完璧な存在でないことは十分承知しており、ユニバーサルデザインとか合理的配慮の対象となりますが、こと、対保護者については、もともと保護者が対応できないことはあまり想定していないしくみ…ではないかと考えられます。


3 学校が支援できる限界


 特に顕著なのは、保護者自身が、十分な教育や養育を受けてこなかった場合かと思います。

 自分が受けたもの以上を提供することは、子育てや教育以外であっても難しいかと思います。

 じゃあ、そんな保護者に対して…保護者自身も苦しんでいる場合が多々ありますが…学校側が何かできるかと言ったら、それほど多くのことはできません。


 あくまで教育機関だからです。

 

 しかしながら、子どもは親の影響を多分に受けます。というか、育てる立場なので、影響が大きいのはあたり前です。

 最近でこそ、スクールソーシャルワーカー制度が普及し、家庭への支援もできることが増えてきましたが…それでも限界はあるでしょう。

 
 「学校をプラットフォームに」という流れもありますが、それにしては予算を含め制度が脆弱です。

 
 何のプラットフォームかって、教育のプラットフォームというより、福祉的なプラットフォームですから、もし本気で現状を改善しようとするならば、しくみだけでなく、根本的な考え方も変えていく必要があるかと思います。

 

 そんな自分は、親としてできることの限界を感じながら自分の子どもを送り出し、担任としてできることの限界を感じながら学級の子どもを受け入れ、保護者の対応をする…




 メスを入れるべきはどこでしょう?



 最後までお読みいただきありがとうございました^^

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