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書くことは、手放すこと。

悩み、妬み、僻み、葛藤、悲しみ、願望、自己嫌悪、願望。

自分の中で抱えきれない生々しい感情。どうしようもない感情を大声で吐き出したり、好きなことで発散したりすることができなかった小学生、中学生時代。そもそもそういうものをいかに抑え込もうか、自分の中で消化させようか、そんなことばかり考えていた。

「器用貧乏」なんてのは、言われ慣れた言葉だ。


どうしようもなくなった時、文字というかたちで吐き出してしまえば、いったんは自分と切り離すことができた。詩やエッセイや、マンガやアニメの二次創作、そうしたものに救われていた中高生時代。授業中、プリントの裏やルーズリーフに書いて、いろいろな感情を昇華させてきた。

精神的に不安定だった時、紙で残っていたものは全て燃やして捨ててしまったけれど、そういう感情を私はどうしたって忘れ切れないでいる。


そうして私の創作活動は今も続いている。

詩やエッセイ、二次創作といった文字だったり、作品だったり、かたちは様々だけれど、どれも私の感情が色濃く投影されていると思っている。

書くことに責任が生じると、求められた差し障りのないことしか書くことはできない。たとえ自分がそう思っていなくても、周囲のウケや評価、需要と供給、金銭など、様々な理由から表現を制限されてしまう。
そうしてまたやり場のない感情を「創作」というかたちで私は昇華させている。


携帯小説というものが流行った時から書き溜めていたものは、今も「小説家になろう」、「ハーメルン」、「フォレストページ」といった有名どころに残っていたり、残っていなかったりする。
今となってはどれも中二病の産物。

悲劇から生まれる物語が圧倒的に多いのは、私が物語はそういうものと思っているタイプだからだと思う。闇を抱えた主人公は、常にチート級の最強キャラなのに、どこか脆さや危うさを隠し持っている。どうしても、キャラクターを酷い目に遭わせてしまうのは、私の思考か性癖か…。ハッピーエンドでは物足りないんだろうな。



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