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中国人は科学研究に不向き

私は中国で沢山の研究者、日本で研究者志向の中国人留学生たちと深く交流したことがある。

ほんの一握りの人間以外に彼らは、研究者として一番大事な素質である「自分で答えを考え出す能力」が著しく欠けている。

研究者に「勉強が上手い人」がなれるのは世間の誤解だ、むしろまともな研究者は誰かに教えてもらうより、答えのわからない事象から仕組みを究明し、結論を出す能力を持つ人間だ。研究者にとって、「勉強」は「無理矢理に暗記する」ような無意味なことだろうか。

中国人はその無意味な詰め込み教育を長年受け続き、すでに自力で思考する能力が退化してきた。

ハドロン衝突分野では、日本や欧米、インドの研究者たちが粒子の生じる過程から規律を観測し、次に粒子を生じるための環境を整備しているところに中国人の研究者はただ衝突実験を何回も繰り返し、結果はすべて運次第のような思考停止なやり方を執念深く続けている。
そこから、中国人は誰に明確に支持されるまで自力で探求する意識の欠如が垣間見えるだろうか。

「百無一用是書生」は中国の清王朝の詩人・黄景仁の詠んだ漢詩の一句。その意味を現代語に訳すと「何百の場に一つの役さえ立たない、それは知識人だ」となる。

これは中国の何千年間続いた知識人を蔑視する文化を正確に表した一句であり、詩人の悲嘆でもある。
日本の歌合の歴史を中国の研究者に教えた時に彼らの嘆息の姿を見たら、私は彼らの体の輪郭を黄景仁の面影に重ね合わせてみたのだ。
中国は昔からこのような教養を大事にする文化はない、詩人は朝廷に追放され、科挙も頭に詰め込まれたものをそのまま書けばいいような思考が許されない社会だ。

今の中国は国民個人が博士の肩書だけを求め、国が科学大国の称号だけを求めている。それは、研究者にとってはもう一つの禁物だ。

肩書は課程、称号は評判方法に沿ってひたすら作業すれば得られる単純なことだ。
そんな「単純作業」の粋を超えられない中国人は頑張って沢山の単純作業を行った。
彼らは現行の認証体制では承認せざるを得ない捏造データで論文を書き、段落を組み換えるだけで新しい論文にし、お互いに論文を引用することで論文の発表数も引用数も世界一まで稼いだ。

山東省の山東師範大学は2017年から毎日一本、二本ほどのスピードで数学分野の論文を世界中のデータベースに注ぎ込み、この分野で世界一の論文数を誇っているのも実際の研究成果はないのままだ。

名門である清華大学も大金をかけて世界中から質の低い留学生、研究より称号に目を眩んだ学者を招き、大学の世界ランキングを稼いだ。

そんな評判基準を見抜いて小賢しい方法で得られた実績が多ければ多いほど、中国人はまやかしの勝利に酔いぼれ、他民族を見下ろすのだ。しかし、基準に合わせることは基準のない世界で答えを探す研究者のやることとは真っ逆な存在、中国は他国を嘲笑いながら確実に世界に負けつつある。

では、中国人はそんな負のスパイラルから果たして脱出できるだろうか。
いいえ、無理だ。
中国の文化は「百無一用是書生」、知識人はどの時代でも一番無力な集団、そんな低劣な文化を直せば少なくとも香港のようにその文化から離れ、百年以上に優秀な文化を積み上げなければならないのだ。しかし中国は現在でも知識人は無力だ。中国の大学に移籍した他国の研究者たちはさぞ、毎週研究室で開催される中国共産党の組織を作る運動(中国語は「党建」という」)に呆れるだろうか。

しかも近年の中国では自国の低劣な文化をネット中の若い人たちの頭からかき消すために「百無一用是書生」の意味を歪曲で解釈する記事が多く見られる。

中国人の研究者、学生たちは日本の研究環境に憧れ、毎年に数え切れないほどの研究者が日本に移籍、学生は日本に留学してくる。
そんな彼らに、親は必ずこの一言を贈っただろう。
(一定要和老师搞好关系)
日本語に訳すと「必ず先生と良い関係を作るんだ」。
中国の文化がわからない人はこの言葉をただの人間関係を大事にするよう、親が子に教えることとしか捉えないだろうか。しかし中国のことよくわかる人こそ真意を汲み取られるのだ。
中国では研究活動より先生に媚を売るほうが出世に繋がるんだ。
そんなルールはどこでも通用すると思い込んだ中国人留学生は、先生にくっつき、質問を飽きれないほど出すように見える。
しかし、それこそ「自ら答えを考え出す能力」をさらに失う過程と言えるだろうか。

私達は学問の暗黒時代に生きている。世界中の学界は研究を極めるより評価、利権に拘り、大学は無意味なランキングを勝ち取るために学問を蔑む国から研究者の素質のない留学生を数多に受け入れたのだ。

その狂気の中、大学の値引き戦争にできるだけ参入せず、留学生の受け入りを他国よりできるだけ抑える日本は先進国の中に唯一の正気をある程度に保ている国である。

例え世界中の人々は99.9%のDNAが同じでも、残る僅か0.1%の差が致命的な結果をもたらす。
それは、犬と狼の遺伝子が如何に似ていようとも性格が違うのと同じだ。

日本人の気質は「修行」するのが大好きな研究に向いてる民族だ。世間の騒がしさに耐えつづ、仕事する時も、遊ぶ時も、外に見せず他人にも言わずとも一人一人で確実に自分の中で何かを考えている。そして、知らないうちにどの国の人間よりもいち早く本質事象を捉えた日本人は後学な他民族の栄枯盛衰をただ静観している。その堅実さで思考停止の中国人などの民族との決定的な差が決めされた。中国人、中国の文化に汚され凋落していく世界の学界、誰かが勝手に決めた大学ランキング基準に盲目に付き合わず、門外不出でも日本の世界一優秀な文化は末永く汚れない「技術」こそ、これからの日本人は自力で答えを考え出し、「研究」すべきことである。

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