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ヨガの服に着がえたら、お風呂そうじがはかどった


格好からスイッチを入れる、ということは往々にしてあるけれど、いつも狙ったスイッチが押せるとはかぎらない。

つい先日のこと。
雨が降っていたので、ランニングには出かけなかった。代わりになにか体を動かさなければと(コロナ時代に初めて挑戦し、胸骨をいため挫折して以来)ひさびさに、ヨガ用のTシャツとタイツに着がえた。

気合い十分。汗をかく気満々。
お、待てよ。その前にお風呂を沸かしておいたら、汗をかいてもすぐに入れて最高じゃないか。妙案とばかりに浴室へ向かう。


数ある家事のなかで「いちばんキライなものをあげよ」と聞かれれば、まっ先にお風呂そうじをあげるくらいには、お風呂そうじが苦手である。微妙にどこかがぬれてしまったり、いまいちやりがいが感じられなかったりするのが、その理由かもしれない。

加えて、ドのつく近眼で、普段はコンタクトを取ってから入浴するので、浴室の汚れはまったく見えない(知人にこの話をしたら、なんて幸せな人なの! と羨ましがられたことがある)。

足がぬれるのもキライだ。とはいえ、狭い家で浴室用サンダルは置き場所をとるので、ある時から置かないことにした。だから普段は、床が乾いたタイミングで、普段履きのスリッパのまま、ちゃちゃっとお風呂のそうじをする。靴下を脱げばいいのだけれど、それさえ微妙にめんどくさい。

さて、ヨガの服に着がえたわたしはそのとき、とても動きやすい格好をしていた。のびちぢみ抜群の服、さらには裸足になっていた。

浴そう以外の部分は、年末から見て見ぬふりをしていた。ぬるっとするフタも、黒ずみも。蛇口のつけねも、水アカで白い鏡も。ちょっとここだけ、ああ、ここも、と、ヨガの格好をしたわたしは、どこもかしこも気になりはじめた。風景になりつつあった汚れなのに、一度気になると放っておけない。

気がつけば、ヨガに当てようと思っていた一時間、まるまるお風呂そうじをしていた。ハッとしたときにはタイムアップ。もう夕食の準備をしなければ。ヨガの「ヨ」の一画目にさえ、たどりつくことのできないまま、ヨガの服を脱ぎすてた。


***

以前より、いろいろと、あきらめるのがうまくなった。たとえ狙ったスイッチは押せずとも、予想外のスイッチを押してしまうこともある。

その偶発的ななにかを楽しめたなら。脈絡のない思いつきの点ばかりつけて、何の線も結べなくとも。それが無性に怖くなり、夜中に目が覚めようとも。

汚かった浴室はきれいなり、体も動かした。まあ、いいか。それでもいいか。

苦笑まじりの息をはきながら、少なくとも「あれをしなくては」という自分の思考にしばられなかった時間を得たのだと、そう思うことにする。そうして、洗濯をおえたヨガの服を丁寧にたたんで、また引き出しの奥へと仕舞った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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