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イチゴジャムと、たまごペースト

月曜日の朝、わたしはとても慌てていた。

ベランダの非常口点検から逃れるために。初対面の点検者が自宅に上がりこみ、居間を通ってベランダを点検するという、半年に一度おとずれる恐怖の訪問日がやってきたのだ。

月曜日の朝の居間は、決まって、おそろしい。
週末の子どもたちは盛大に散らかし、床の洗濯物は畳まれる暇がなく、洗われるべき茶碗には手さえ付けられていない。
 
以前、その点検の知らせをすっかり忘れて、インターホンに出たことがあった。流れるがままにドアを開け、おじさんたちが上がりこむ。週末のリビングのカオスを通りぬけ、ベランダの非常口へと進んでいく。もちろんベランダも軽いカオス。非常口を開け閉めをするのは、ものの数分。そうして再び、居間のカオスを抜けて帰っていく。

点検はとても事務的で、おじさんたちからも、コレヤルイミアルンカイナと漏れ聞こえてくるようなものだった。

普段のわたしは、おおよそ在宅している。だが不在であれば、その点検は実施されない。だから、月曜日は外出をして、外で作業しようと思っていた。

訪問は10時50分頃の予定だと、事前にポストに入れられていたお知らせの紙にあったので、のらりくらりしていたら、外で聞きなれないトラックの音がした。

10時10分。

まだ早いなと思いつつ、居間をみわたす。もしここでインターホンが鳴ればジエンドだ。中途半端な身じたくのまま、慌ててコートをはおった。

玄関から外へ飛びだすと、階段でなじみのないおじさんふたりに出くわした。こ、これは点検の方々……。心臓がばくんと鳴ったが、最大限の笑みを浮かべ、あいさつを交わした。

逃走犯とは、こういう心境なのだろうか。

わざとらしく腕時計に目をやる。焦って引っぱりだした自転車が、真横に倒れる。完全犯罪はむずかしそうだ。なんにせよ、おじさんふたりは爽やかな笑顔を残して通りすぎ、わたしはマンションの門を出ることに成功した。


⋆⋆⋆

 
自転車を必死でこいだ。いきなり訪れた冬の外気が頬をさす。やりすぎかと思った厚手のコートがちょうどよい。そういえば、どこに行くかまだ決めていなかった。なんとなくいちばん近くにあるコメダコーヒーへと向かった。
 
入った瞬間、店員さんの微笑みと暖気に包まれて、寒さと妙なこわばりが溶けていく。お腹は空いていないし、コーヒーもさっき飲んだところだったが、とりあえず、コーヒーをレギュラーサイズで頼もうと思った。

店員さんに注文すると、
「今、無料でモーニングがつきますが」
モ、モーニング? まじですか。
「は、はい。お願いします」

再度言うが、お腹は空いていなかった。
それでも、流れに乗りおくれまいと、パンはどれか、サイドはどれか、パンには何を塗るのか。店員さんにうながされるまま、わたしは何かを選んだ。

しばらくして目の前には、イチゴジャムの塗られた山食パンのトーストと、手作りたまごペーストたるものが運ばれてきた。パンは予想よりもちもちで、表面のイチゴジャムは甘かった。

ジャムパンを半分ほど食べたところで、困ったことに気づいた。食パンには全面にイチゴジャムが塗られている。その横にあるのは、たまごサンドに入っているようなたまごペーストと、バターナイフ。

たまごペーストはいかにも、パンに塗ってほしいという顔をしていた。だが、塗るべきパンがないのだ。ということはつまり、イチゴジャムとたまごペーストを、同時に食べる必要がある。

合うのか? 

それなりの年数を生きてきたはずなのに、そんなことさえ知らない。イチゴとたまご。字面は似ている。わたしはこの疑問からしばし距離をおくために、パンのカゴを遠ざけて作業に専念することにした。

とはいえ、目の端にうつりこむ食べ物を長いあいだ無視することなど食いしん坊にはできない。やむなく唯一の武器、バターナイフを手にとってみる。パンの表面には、すでに全力でイチゴジャム。イチゴジャムと、たまごペースト。……いや、やっぱり無理だ。それらを混ぜあわせることは、わたしにはどうしてもできなかった。

しばらく考えこんだあと、ふと、その食パンがかなりの厚切りであるということに気がついた。三枚切りほどのぶ厚さだろうか。その厚みの部分に、たまごペーストをはめこむというのはどうだろうか。つまりは、二階建て作戦である。上階のイチゴジャムはそのままに、下階にたまごペーストをうめていく。
 
できあがったそれを、大きな口をあけて頬張る。悪くない。いや、たまごの味が強いな。まあ、いいや。美味しいし。つづけて、コーヒーを飲みほす。
 
いろいろとやりきった気持ちで、また何かを書きはじめる。
午前11時15分。
とりとめのない時間が、今日も水のようにさらさらと流れて消えていった。

  



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