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ねじを、ずらす


九州に住む母を、吉本新喜劇につれていったことがある。

当時、京都にいた私は、久しぶりに関西へ遊びにくる母を最大限に楽しませたいと思った。そしてあれこれ考えた末、なんばグランド花月へつれて行くことにした。(その頃の私は、夕方『ちちんぷいぷい』を欠かさず見る大学生でした。角さんがなんだか好きだったのです。)


劇場に行くのは、私も母もその時が初めて。

開始早々、ドカン、ドカンと、笑いが起きる。
ああね! ほらね! これね!

でもそれよりも、母の反応が気になって仕方ない。
母は楽しめているだろうか。笑いながら、ふと隣を見る。

母はクスリともしていない。
あれ? 

会場内では、またドカンと笑いが起きる。
その瞬間、隣を見ると、母は真剣なまなざしで舞台を見つめている。

おかしい。母には合わなかったのだろうか。
不安になってきた。公演時間はまだ長い。

連れてきたことを少し後悔し始めた頃。
隣からブフォッという大きな笑い声が聞こえた。母だ。母の噴き出す音。
ハンカチで口や眼鏡の奥をおさえながら、肩を大きく揺らして笑っている。
心底たのしそうだった。
まわりは誰も笑っていない。


そのあと何度も、シーンとしたなかで母の笑い声を聞いた。
どうやらそれは同じ芸人さんのところ。その人がしゃべると母は笑う。
失礼ながら、知名度の高い芸人さんではなく、お名前も失念してしまったのだけれど(ごめんなさい)、その方には感謝してもし尽くせない。母を笑わせてくださって本当にありがとうございます、と心から思った。

見終わったあと、母は高揚感抜けきらぬ様子で、
「ああ、よしもとってやっぱり、こんなに面白いんだねえ!!」
と言った。
私も「そうだよ!」と、答えた。


***

小中学生の頃、どうしてあんなに、ずれることが怖かったのだろう。
周囲とずれていることがあっても、ひた隠しにして、ずれ過ぎていない自分を演出した。

ずれていないことがよしとされる雰囲気を汲み取っていただけかもしれないし、ずれることで生じる雑多な問題がただ面倒だっただけかもしれない。


大学生になってまわりを見ると、いろんな方面へずれまくりの人が、わんさかいた。とてつもなくパワフルで、かっこよかった。

ある時、大学のOBが『つきひちゃんは普通やな』と言っていたと、間接的に耳にしたことがあった。

それを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。突き放されたような気持ちになった。おもんない。そう言われてるみたいだった。
そんなこと、言われなくても自分がいちばんよく分かっている。

一方で、こんなにもショックを受けている自分をみて、ああ、これほど、ずれていることに憧れていたのだなと思った。

なんなんだ、ズレって。
あんなに隠そうとしていたのに、こんなにも憧れている。


***

娘が1歳くらいの頃、ふたりでホームセンターに行った。

平日の真昼間だったので店内にお客は少なく、いっそうガランとしていた。
広々とした通路をしゃかしゃかと進んでいく娘は、あるところで足をとめ、ふらりと陳列棚のほうへ入っていった。

そこには、さまざまなタイプのねじが、20cm四方の仕切りの中にきっちりと分けて置いてあった。

大きなねじ、小さなねじ。長いねじ、短いねじ。銀色、金色。
とがったねじ、ボルトの類。

娘はきれいに仕分けられたそれらを、ひとつつまんで隣の仕切りの中に移しはじめた。移した仕切りの中からまたひとつつまんで、隣にずらす。

大きなねじを小さいねじのほうへ、小さいねじを長いねじのほうへ。
そして手を叩いて喜んだ。

最初は私も「ああ、だめだよ」と言って元に戻していたのだが、娘は繰り返し、ずらしては、手を叩く。くしゃくしゃの笑顔で。

なんて楽しそうなんだろう、と思った。

そうだよね。『ずれる』って楽しいよね。

1歳。まだ何の刷り込みもない状態。
そんなまっさらな状態でも、『ずれる』ことを楽しいと感じるんだなあと、私はひとり衝撃を受けた。

『ずれる』ってやっぱりいいものなんだよなあ。

楽しそうに笑う娘をしばらく観察し、その場をあとにする時に、ねじにお礼を言いながら、ひとつひとつ元あった場所に戻していった。

その途中、いろんなねじが混ざった景色を見て、なぜか心がホッとした。


***

もちろん、統一することが気持ちのいいタイプの人もいるだろうし、『ずれる』とひとくちに言っても、いろんなずれ方があるとも思う。

大きな驚きをくれるもの、小さいけれどすれすれをいくもの、鋭い変化球……。

自分の好きなズレがある。

でも何と言われようと、好きなんだもの。
そういう要素が、ズレには含まれているような気がする。

これからもし、子どもたちがまわりと『ずれる』ことで悩むことがあったら、それはきっといいものだよ、あなたの持ち味なんだよと伝えたい。

子どもから教えてもらったくせに偉そうだけど、そう伝え続けたい。

それはきっと、人生を楽しむための、小さいけれどもとても大切な秘訣なんじゃないだろうかと、思っている。








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