自殺が未遂で終わった話2

前回の続きです。
2回目の自殺未遂の話を書きます。
正直これに関しては記憶がほぼほぼ無いので、思い出せる限りで書こうと思います。

このパートナーである彼女と私たちは人生のどん底というくらいに精神的に参っており、毎日どちらかが「死にたい」と口にしていました。彼女は解離性障害も引き起こしており泣き暴れ、私は布団からも出れず泣いてばかりの日々。そんな私たちでしたが、躁状態の日は買い物に出かけたりドライブしたりなんかもしてました。
ある日の夜彼女はそれまで普通だったのに突然、「私は死んだ方がいい。死にたい」と包丁を持ち出し暴れだしました。私は止めるのに必死でした。「包丁置いて、お話しよ?」と問いかけても「はさみでばつんと手首の皮膚切ったらどのくらい血出るかな?」「包丁でさせば死ねるかな?」と聞く耳持たず。
私も疲れていたし、彼女が死にたいならその方がいいのかもと馬鹿な思考に陥り、「なら一緒に薬飲んで死のうよ」と提案しました。
彼女も承諾し、その時既にその日の分の眠剤を服薬していて意識もふわふわしている中、残っている薬を全て出し、何回かに分けて全て飲みました。
「死んでも一緒にいようね。一緒に星になろうね」と言いながら意識が飛んでいく感覚がしました。その時彼女が突然苦しがり始め、何かを訴え出しました。何を言っているか分からず聞き返しているうちに彼女は意識がなくなり私もふらふらふわふわしていてまともに話せませんでした。ですが、彼女を死なせてはいけないと思い119番しました。意識が遠のいており話すこともままなりませんでしたが、気づいたらまた病院でした。
「彼女は?」「また死ねなかった」のふたつが頭でぐるぐるしていました。
過量服薬で薬物依存と名前を忘れましたが、筋肉が強ばる症状になりしばらく車椅子で生活していました。

結果、この後彼女のお母さんが退院の手伝いをしてくれ外来で通っていた精神科の入院病棟に転院しました。1ヶ月ほど入院生活を送りました。
彼女も同じ精神科入院病棟の別の病棟(1〜6病棟まであった)に入院していたので、毎日電話して外出時間を合わせて会ったりしていました。
話し合いを重ね、彼女のお母さんとも話し退院した後また同じ家で生活を始めました。
この時は私は自分の親とは連絡を取っていなかったので入院、退院手続きは全て彼女のお母さんがやってくれました。

いつか精神科入院病棟の入院生活のお話も書きます。

3回目の自殺未遂はまた次の記事で。

月ノひまわり🌻

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