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「好き」を仕事にして「嫌い」になる覚悟はある?



 私は今、好きなことを仕事にできていない。

「おはようございます」

 挨拶をしたら挨拶が返ってくる。そんなあたたかい職場だ。私が昔勤めていた会社はそうではなかったから、今の環境は心踊るほど豊かな環境である。

 今の会社に入社して半年以上経った。

 だいたい仕事のことは理解し始めてきた、なんてまだまだ到底言えそうにない。毎日慣れない業務の連続。わからないことが積み重なると、頭の中が真っ白になってしまう。加えてすぐに人と比較してしまい、自分の矮小さに落ち込んてしまう。定時過ぎたあと、ひとり会社に残っていたら、わけもわからない涙が溢れてくるときもあった。

 今の私は福祉職員として働いている。私自身10年前にパニック障害と診断され、病院の人、カウンセラーの人、様々な人に助けられて生きてきた。今度は私が"救いたい"と思い、この業界に飛び込んでいた。


 ただ実際はどうだ。

 福祉の会社でありながら、蓋を開けてみれば売上至上主義の会社だった。いや、会社を存続させるためには必要なことではある。わかる。わかってはいるけれど、歴の長い上司(職員)がふとした瞬間こぼした言葉が今も胸の奥にひっかかり、残っている。

障害のある子がいなかったら仕事回るんだけどね。


 その言葉を私は近くで聞いていたのに、何も反応できなかった。私自身も「そう思ってしまうよね…」なんてことを考えてしまったからだ。それくらい日々の業務に忙殺されている。

 自分はなんのためにここで働いていて、なんのために生きているのだろう。そんな壮大で抽象的なもやもやが、私の身体と心を包んでいた。

 ・・・


 通勤電車に揺られながら、今日もこの文章を書いている。

 昨日の仕事帰りの電車でも書こうと思ったが、思うように言葉が続いてはいかなかった。

 いつも冷水を入れた水筒を私は持ち歩いている。仕事でへとへとになって、眠く疲れた身体に、その冷水を入れるのだ。

 なんとか頑張れ自分。どんなに先が見えなくても、少しでも前に進まなければ何も変わらない。私はもう、何も変えられない自分は嫌だったから。それでも身体が動かなくて、私は気絶するように帰りの電車で眠ってしまっていた。


 noteを始めたのも、昔描いていた物書きとしての夢を奮い立たせたからだった。

 何年も何年も昔ブログを書き続けた。エッセイも小説も日記も、なんだって書いた。書き留めていた。

 パニック発作が起きようと、涙が止まらなかったとしても、とにかく手を動かした。会社に行けなかったとき、スーツ姿のまま春の木漏れ日を感じ、公園のベンチでエッセイを書いた日もあった。


 私は文章を書くのが好きだ。

 特に、エッセイを書くのが好きだ。

 これを自分の生業にできたとしたら、天職だろうと思う。闇雲に書いても仕方がないのに、手を動かさずにはいられなかった。私は言葉を紡ぎ、真っ白な画面に叫んでいる。


 重苦しい嘔吐のような気分になっても、私は文章を書いていたい。

 昔ブログを続けていた頃、たまたまネット上で知り合った作家の方に、私の姿を見てこう聞かれた。


「好き」を仕事にして「嫌い」になる覚悟はある?




 私は即座に返信した。

「あります」

 なぜならもうとっくに、書くことだって「嫌い」だったから。対価をいただいて、ちゃんと仕事として文章を書いていたときもあった。どれほど強く自分の文章を否定されても、私は文章を書きたかった。そんなことを何度も乗り越えて、今も「好き」を携え、この文章を書いている。

 私は救いたかった。誰かのことを。誰ってきっと、まずは自分のことだった。自分のことも救えずに、誰かのことを救えっこない。

 私自身、人の文章、言葉を読んで何度も救われてきた。

 病院の人の言葉、カウンセラーの人の気持ち。いまはもういない友人。最愛の恋人。家族——


 私は書きたい。

 書いて、仕事にしたい。

 会社で働いて、家に帰って眠るので精一杯の日もある。それでも会社以外の時間、たとえば起きてすぐ、家に帰って寝るまでの時間、それこそ今電車の中で書き続ける。朝の通勤時間だけでは書ききれず、結局いま、今度は会社帰りの電車でこの文章を綴っている。

 ああ。私は抜け出したいのだろうか。

 いま自分がしている福祉の仕事は、間違いなく人のためになっている仕事だった。私の支援を受けて、笑顔になり、前向きに人生を考え、歩んでいく姿をもう何度も見てきた。その度、私の方が救われた気持ちになっていた。こんなちっぽけで、ささやかな文章を紡ぐのみの私が、人を笑顔にしている。そんな、そんな私がと、この文章を書いている、そのときだった。


 電車内、私から見て斜め前、5、6歩ほど先に座っていた方をずっと実は私は気にかけていた。その方は白杖(視覚に障害のある人が歩行するときに使う道具)を持っていて、どうやらその方が降りるようで、スッと、慣れた動きのように立ち上がっていた。だが、手に持った帽子を落とされていった。

 どうやら落としたことに本人は気づいていない。いや、少ししたら気づくだろうか。近くの他の誰かが拾って渡してくれるだろうか。なあ。誰か近くにいる人。見えているだろう。なぜ誰も拾わない?渡してやらない?どうして、どうして。。

 そんなことを考えるいとまもなく、私の体は勝手に動いていた。早くしないと白杖を持った方が電車から降りて、帽子が残されてしまう。早く、早く——


 私はすぐにその方に駆け寄り、帽子を渡した。笑みが僅かにお互い溢れた。ああ、よかったと純粋に思う。

 ふっとその後、私は冷静になった。そうだ、私は席に、電車の席にそもそも座っていたのだった。立ち上がってしまったのだから、もうきっと、、と思っていたが、案の定だった。別の方がそこにもう座っている。そこを変に凝視しないよう、私は近くの吊革に掴まった。


 電車内。小気味よく、雑音が響く。夜の車窓に映る私と目が合い、なぜか私の目からは、一縷の水滴が流れる。

 ときたま私は、鏡に映る自分に涙が溢れそうになる。ああ、私はきちんとこの世に存在しているのだと。

 病んでなどいない。過不足なく、私は自分の存在を尊いと思っているからだ。偽善と言われようが、何かのアピールだと思われようが構わない。体が勝手に動いてしまうから。私は自分のために書く文章、人を救いたい文章のとき、手がよく止まらなくなるのだ。誰かの哀しみを想像すると、胸の奥がいつも苦しくなった。


 私は今の仕事をどこまで続けるのだろうか。

 私は、、作家になれるだろうか。

 この人生は、一体どこまで続いてくれるのだろう。自信がある日などない。涙と朝日が交錯すると、視界は万華鏡のように輝いてくれるから。それを知っている自分は、どうか弱くてもよいと、これを読んでくれたあなたに話しかけている。

 一生懸命真面目に文章を書いていたら、気持ちや言葉は必ず返ってくる。それが文章を書く、そのものに宿る幸福なのだろう。

 詩旅つむぎ

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