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クリエイティブとは考え抜く勇気のこと【「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考】

『Little Green Bag』が流れる本屋で私は失った5年半を探していた。「たった30分で〝できる人〟になる」「この一冊で驚くほどうまくいく」……幸せを探す歌を聴きながら平積みされたビジネス書の表紙に目をさまよわせていると、人生の正解はこの紙の束のどこかに埋まっている気がしてくる。


会社を辞めたのはほんの2日前だ。誰かが作った資料の印刷、誰かが使った経費の精算、誰かのお客さんへのお茶出し。言われたことだけを淡々とこなす毎日だった。


主担当としてイベントの企画を立ち上げたこともあるが、軌道に乗った頃には雑用係に戻っている。あれよあれよとリーダーを取られたり、企画もろともポシャったりしているうちに、クリエイティブは向いていないのかもしれないと思うようになった。新しいものを生み出す仕事に憧れてはいるけれど、できもしないアイディアを抱えているのも虚しくて、この5年半は何もひらめかないよう黙々とタスクを潰してきた。


だけどもうすぐ30歳。このまま思考を麻痺させたまま死んでいくのかな?とふと怖くなる。


せっかく私として生まれてきたのだ。私だって私だけの表現で私にしかできないものをつくってみたい。


次の就職先も、これから何をすればいいのかも、あてなんてまるでない。ただ飛び出すように辞めてきた。


目を細めたくなるほどの圧倒的な黄色に惹かれ、思わず手に取っていた。ずっしりと図鑑のような分厚さ。ほとんどのページがカラー印刷で見出しやアイコンにも色が踊っている。タイトルは『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)。文字通り「中学生の子どもでもわかる」という意味でありながら「大人でもまだ間に合う」と手招いている気がする。白黒の5年半を取り戻すにはうってつけだ。


ベッドにごろんと寝転がり、表紙を開く。

「鉛筆」と「紙」と「鏡」を用意して、自画像を描いてみましょう。(p.57)

慌てて閉じた。一旦見なかったことにして、深呼吸。これって美術教本だっけと表紙を確認するが、「絵が上手くなる」とはどこにも書いていない。枕元にはメモ用のノートとペンはあるし、中学高校とずっと美術部だったからそこそこうまく描けるはず。なのに、どうしてこんなに抵抗しているんだろう。


とにかくペンを握って、鏡の代わりにスマホのインカメを起動。部活でやったように実物をしっかり見て形を捉えていく。でもなんか問題の術中に嵌っている気がするんだよなあ。あえてデフォルメを加えてイラスト風に仕上げようか。うーん、それもひっかけ?もっと大胆に原形を崩して妖怪風にするとか。いや、奇を衒いすぎて問題の意図から外れたら元も子もない。なんだか試験を受けているみたいな気分。だれが見ているわけでもないけど。


プレッシャーが顔に出ていたのか、紙の上の私は物思いに沈んだ表情。気を取り直してページをめくる。どーんと画面いっぱいに人の顔。男とも女ともつかない肖像画。こっくりと隈の落ちた目で私の左耳あたりを見つめている。アンリ・マティスの『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』だ。


まずは率直に、見たまま、感じたままの感想を口にしてみましょう。(p.64)


と、言われてもやっぱり気後れしてしまう。パッと全体を眺めてみるが、もやもやっと言葉にならないフィーリングが湧いてくるだけ。100年以上の時を渡ってきた作品だ。すごいと感じるのが正解なのだけど、たしかに鼻すじが緑色だなあとしか思えなかった。まあ、解説を読んで納得できたらいいや、と次にすすむ。


私から1つクイズを出しましょう。マティス夫人の「眉毛」は、何色でしたか?(p.65)


てっきり説明が始まると思っていただけに面食らった。網膜に写したばかりの光景を必死で呼び起こす。が、浮かんでくるのはTゾーンの緑だけ。だってそこしか意識してなかったんだもん。


「作品をよく見る」ことは、意外と難しいのです。美術館に行っても、タイトルや解説文だけに「答え」を見つけ出そうとしてしまう人がほとんどです。(p.66)


まさにタイトルの鼻すじの色だけ確認して解説を求めた私のこと。「きっとすごい作品なんだろう」という思い込みに気を取られて、目の前の作品をちっとも見ようとしていなかった。ピタリと言い当てられ、鳥肌が立つ。


展覧会に行ってもいつもこんな調子。「へえ、これがすごいやつか」と見物気分で、友達を置き去りにして出口をくぐる。もちろんすぐ忘れてしまうので、ポストカードやパンフレットは必ず買うが、一度も手に取ることなく本棚に収められている。思考停止で他人の答えに頼るクセは思った以上に根深く染みついているようだ。


そんなときには「アウトプット鑑賞」がおすすめです。(p.66)


つまり、作品を見て気づいたことを口にしたり書き留めたりするだけで、自分なりの解釈をする一歩になるらしい。なんと「人が描かれている」みたいな簡単なことからバンバン挙げていいいとか。(p.66-67)

たしかにそれなら「すごいと思わなくちゃ」とプレッシャーを感じる隙もない。ぱらぱらと前に戻って、マティス夫人ともう一度向き合ってみる。



絵の具のチューブからそのまま塗りつけたようなごてごてした色。顔の右側は暖色、左側は寒色でまとめられているがどこかつくりものっぽい。

筆遣いはよく言えば豪快、悪く言えば大雑把。肝心の緑の鼻すじも一筆でぎゅぎゅっと描いたみたい。

夫人の顔に笑みはない。がっしりとした唇に、太い首、まつげは一本もなく、女性の色気のようなものはほとんど感じられない。じっと見ているとこっちが見られているような気まずさすら覚える。



この作品が発表されたのは1905年。19世紀に生まれたカメラが一般人にも広まり、それまで写実性が求められていたアートは一転、存在そのものが揺らぐこととなった。アートにしかできないものってなんだ?途方のない問いに投げ込まれたアーティストたち。そこへ現れたのが、この『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』だという。(p.72-80)


なるほど、だから絵の具のチューブからそのまま出したような色だったのか。似せようとするならパレットで混ぜ合わせ、本物に近い色を慎重に探すはず。マティスは最初から見たままの夫人を再現する気なんてなかったんだ。それならカメラでもできてしまうから。

アウトプット鑑賞での発見と解説とが絡まり合って、すうと胸に落ちていく。

鼻すじを緑色に塗ろうとしたマティスの勇気はどんなだっただろう。そこから100年経った現代でさえ、塗り絵に太陽があったら赤とオレンジ以外は塗るのをためらってしまう。指が震えたかもしれないし、案外、軽はずみだったかもしれない。

少なくとも「この絵こそがアートにしかできないものだ!」と確信して描き出したわけではないはずだ。悩んで、わからなくなって、作品として問いかけることにしたのだろう。


正解なんてはじめからなかったんだ。


そう気付くと必死になって答え探しをしていた自分がまぬけに思えた。自画像を描くときも課題の意図ばかり気にしていたし、はじめてマティスの肖像画を見たときも「すごいと思わなきゃ」と先に答えを固定していた。わからないことを作品を通して一緒に考える。それでよかったのに、間違えるのが怖くて、描くのも鑑賞するのも全然楽しめていなかった。


思い返してみると、仕事でも正解ばかり探っていた気がする。どうすれば企画が通るか、なにをすればターゲットに受けるか。周りのアドバイスに不満があっても、それが正しいと信じて実行していた。そのうちにやってみたかったことからどんどん遠ざかって、ちょっとつまずいた拍子に企画ごと消えてしまっていたのだ。クリエイティブに向いていなかったわけじゃない。他人が出した答えで楽をして、納得できるまで考え抜く勇気がなかったんだ。


無我夢中で収められた6つの課題に取り組んだ。これもアートに入るの?と度肝を抜かれたり、オリジナルとコピーの境界線を考えさせられたり。

章の最後に設けられた振り返りのページは普段なら読み飛ばしてしまうところだが、自分なりの感想が浮かんでくるまでじっくりと思考に浸る。時には前のページに戻って向き合ううちに、以前行った美術館のことを思い出したり、読んだばかりの本と結びついたりする。次から次から溢れてくる考えをノートに書き留めていると、私の中にもこんなに敏感な感性があったんだなとちょっと嬉しい。

本の中で触れられている解釈と違っても平気。むしろ他人と違う視点が世紀の新発見につながるかもしれないのだ。考え抜くってなんてわくわくするんだろう。



自動ドアを跨ぐと秋のやわらかな風が熱った頬を撫でていった。充足感がため息となってほうとこぼれる。本を読み終えたあと、他の作品でも試してみたくなって一番近くの美術館に車を走らせた。前知識はまったくないが、絵画、コミック、陶芸と3つの展示が一緒になっていて、アート思考を発揮するには最高の環境だ。


さすがに美術館の静謐に気圧されてしまうが、まずは落ち着いてアウトプット鑑賞。描かれている対象、使われている色、キャンパスのサイズ。考えなくても分かることからひとつずつ挙げ、問いへと変換させていく。それはちょっと大学時代に没頭した文学研究の過程に似ていた。いきなり核心に迫ろうとせず、登場人物や文体の特徴をまとめるところから始めるんだっけ。


細かく特徴を観察するときには美術部で身につけた知識や技法が役に立った。遠近が正確かは一目でわかるし、色を塗った順番や使った画材も検討がつく。

コミックの原文は英語だったけれど、時々店舗の応援で外国のお客様の対応をしていたのが助けに。会社の方針で茶道と花道のお稽古に通っていたから、陶芸作品も使われているところを想像できた。


5年半を取り戻す必要なんてなかったんだ、と思う。自分の中に答えを見つけようとする限り、どんな遠回りに見える過去もその糧になってくれる。大切なのは簡単にあきらめないこと。


腕時計に目を落とす。4時間もいたのか。くくっと笑いが込み上げる。美術館で後ろを歩いていた人に抜かされたのは初めてかもしれない。すっかり長くなった影をステップするように踏みつける。


27歳、次の仕事のあてはない。これまで休ませ続けた興味のセンサーに思う存分身を委ねてやるのだ。


●末永幸歩『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)


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