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不安症のわたしが家を建てました2 -土地との出会いが全ての始まり-


気になる薬局

 300坪はあろう畑の角にその小さなT薬局はあった。昼夜共にいつもシャッターが閉まっているのだからもう辞めてしまったのだろう。唯一稼働していたのは、家族計画の販売機のみ。

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夜になると煌々と照らされる販売機を眺めながら前を通った。当時借りていた駐車場からマンションへの歩く道沿いにあったためだ。

 しかし、もったいない。その地域はマンションは多いわりに宅地はまだ少く、平静な雰囲気に家を建てたいと思う人は多いだろう。この自販機のためだけに300坪。宅地にすれば4区画、いや6区画?になるかもしれない。

 もしかすると、そう遠くない時にその日はくるのではないか。密かにこの街を気に入り始めていた私は考えていた。


薬局無くなる

 いや、まさか本当にそうなるとは。半年後、毎日願いをかけたのが通じたかのように、あっという間にあの自販機も薬局も無くなり、田んぼが埋め立てられて更地になったのだ。しかも既にコンクリートで区画をしている。

でも、4区画。

いや、広い。こりゃあ広い。高い、絶対高い。それに売地とはどこにも書かれていない。気づかなかった一週間の間にも売れてしまったのかもしれない。土地主さんの親戚が買ったのかも。でも・・・どうしても気になって、駐車場を借りている不動産屋に聞いてみることにした。


土地、でてるよ

「出てますよ。でもあと残ってるのは一区画だけ。一番小さいとこ」

え!

そういいながら出されたのが、これ。 

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 小さい。と言われても当時の私たちにとって65坪という大きさは想像を超えていた。お隣の100坪近い区画と比べれば、狭く見えないこともないけれど、ここは冷静にならないといけない。で、お値段は?

「一坪○○万円」

 夫婦でのけぞった。高い。徳島の中心地でもないくせに高い。震える我らに印籠を突きつけるように電卓で値段をはじき出す不動産屋。そして一言。

「もっと安いとこ探してあげるよ」

何も言えず、無言で帰りながら考えた。諦めの感情の中に少しのひっかかりがあったからだ。


「安いから」だけじゃだめだ

 実はこの土地と出会うまでもいくつかの場所を見てきた。どれも値段を優先して選んだ場所で、実際に見に行くと「ここで暮らしたい」という気持ちは湧かなかった。街の雰囲気、人、風、匂い。自分がここにずっと暮らすという想像ができず、不安感やデメリットばかりが頭をよぎった。

 けれど、あの土地は何かが違っていた。家族計画の販売機が光っていた頃からの知り合いで、あの頃から私は待っていた。そう、安いからという理由だけで土地は選んではいけないのかもしれない。住みたいところなんてそう見つからない。

こんな出会いは、もう無いかもしれない。

 そう思うと居ても立っても居られず、伴侶の許可を経て不動産屋さんに、一週間だけ押さえてもらった上で熟考した。もちろんお金のことだ。


金策

 はっきり言って、私はケチだ。それは私の不安症がゆえのことで、もしも病気になったら、もしも働けなくなったら、もしも・・・と溜め込んでいた不安貯金が今回の家を建てるために大いに役立つことになった。

 子供の頃からのお年玉通帳、嫁に行く前に両親から頂いた預金。20年間働いて貯めた通帳。伴侶の通帳も含めて初めて合算してみて驚いた Σ(・□・;)

いけるかもしれん

 そう思っていた矢先、相談していた両親たちからも買ってしまえの後押し。

 そして数日後、私たち夫婦は手付金の200万円を握りしめ、不動産屋さんに向かった。本当は不安しかなかったのだが・・・


わが家を創ると命名した下のファイル。この頃のメモ書きからすべてある。緊張のあまり、電話する内容まで用意したメモまで残している。表紙にはその後、土地主さんや行政書士さんなど、どんどんと名刺が張られていく。

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土地持ち

 想像もできなかった土地を買うという体験。勇気とお金とタイミングが何より重要なのだと実感した。これがわたしたちが買った土地。

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 その後何度かに分けて土地主さんに土地代金を払い終えた瞬間のことを今も思い出す。

 所有した瞬間にこの沢山生えた草さえも愛おしく、そしてこの上で暮らすことができることが嬉しかった。


次回は、建築家ナカノさんとの出会い


で、どんな家建てる?

そう、土地は買ったものの建物に関してはノープランだった。

予算オーバーの土地を買ったため、お金も無くなった。そんな状態でよくまあ、設計事務所に・・・という次回はそんな話になります。

なかのさん


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