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自由を求めて 〜自由奔放な母、タモヨ その2〜 #011

大人になってから両親を車で送迎している時、父が「つなまよが運転して送ってくれるようになるとはねぇ」としみじみ言った。

父は運転免許を持っておらず、うちでは母が運転してきた。母が免許を取ったのは私が小六の時で、私が少し遠い病院に通院する必要があって、その送迎のために取ってくれたという話だった。有難いことである。

「あんたの通院のためにお母さん頑張ったのよ」と当時言われたことを思い出しながら、私は言った。

「そういえばさ、お母さん、おれの小六の時の病院通いのために免許取ってくれたんだよね」

「あぁ、あれ嘘よ」

「…え?」

突然のカミングアウトである。動揺する私に母は言う。

「おかあさんね、自由になりたかったのよ。教習所のお兄さんイケメンで、通うの楽しかったわ。あんたの送迎は、大変だったのよね」

母が免許を取ってくれたと思っていたことへの今までの感謝は何だったのか。息子想いの母親、という美談にしていてもいいのではないか。しかし、これがタモヨである。どこか解せぬと思いつつも、妙に納得もする。息子に対してこんなにも、自由な発言があろうか。


タモヨは運転免許を取った次の日に、当時住んでいたマンションの駐車場の壁をバックで破壊した。

「お母さん、壊したわ。でも仕方ないわよね。管理人さん笑ってた。難しいよねって。だから仕方ないのよ」

何が仕方ないのかよくわからないが、バックで車庫入れするのは難しいのだろうと子ども心に思っていた。

今タモヨは市のプールの水泳教室に週ニ、三回通っている。そういえば、車庫入れはできるようになったのか、と数十年ぶりに尋ねた私にタモヨは言った。

「その辺に歩いている人に、やってもらっているから。狭いのよね」

なんとタモヨは、車庫入れを他人にやってもらっていたのだった。狭い、とかそういう問題ではない。

え?どうやって?と聞く私に、タモヨは言う。「ちょっと、すいません、駐車してくださいって言えばいいのよ。だいたいのことは、頼めばなんとかなるのよ」。

母のコミュニケーション力は最強で、そして自由なのだ。

2023年9月30日執筆、2023年10月9日投稿


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