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職場の後輩が「腕毛を消毒しますか?」と聞いてくること(*1)、以前の同僚が「毛にレベルをつける」趣味があること(*2)について、以前書いた。

自分では、そんなにも毛深いとは思っていないのだが、毛の話題が多くて、台湾に行った時には「KEBUKE」という熟成紅茶の専門店の名前に、どことなく親近感を覚えたりもした。

一緒に暮らしている猫たちは、よくお互いをなめ合って、毛づくろいをしている。ある猫は、私の腕の毛を毛づくろいする。私は猫を撫でるだけで、毛づくろいをしないのだが、猫は丁寧にしてくれる。同じ毛のある動物と見なされているのかもしれない。どうしてそう思うかと言うと、妻には毛づくろいしないからである。

私は身長が180cmあるのだが、ある朝、私の腕にマジックでほくろを足してきた後輩(*1)から「毛の巨人だ!」と言われた。いじめか。BGMに「紅蓮の弓矢」を流してほしい(「進撃の巨人」のOPテーマ曲)。その後輩はかなり小柄だから人間側であって、朝から壮絶な戦いが繰り広げられるのである。私だって、人間側なのに。

私はラジオ体操の1級指導士を持っていて、医療機関のリハビリ施設で患者さん達に体操を指導していた。数十人はいたと思うのだが、小一時間、目の前で一生懸命に参加していた女性が、終了後に声をかけてきた。何か質問があるのだろうか、熱心だな、など思って少しワクワクいると、彼女は少し言いにくそうに、こう言った。

「先生のギャランドゥが気になりすぎて、体操に集中できませんでした」

ギャランドゥとはお腹の毛のことである。彼女は体操ではなく、ギャランドゥに熱心だった。おそらく私を傷つけないようにと、婉曲した言い方で「ギャランドゥ」と言ったのだろう。しかし、言葉のインパクトが強すぎて、私のその日の思い出も「ギャランドゥ」ばかりになったのだった。

こんなにも毛のことが話題にのぼるのは、なぜだろうか。女性が多い職場だからだ、というのが私が思っている理由であるが、妻は「つなまよの毛は、宇宙一なんだよ。ギャラクシー・ギャランドゥなんだ」と謎のことを言っている。

最近いろいろなものを断捨離するのに凝っている私は、ヒゲなどの脱毛を考えているのだが、もはや宇宙まで出てきてしまうと、脱毛していいものか、迷うのである。

(追記)
Weblioの実用日本語表現辞典によると、ギャランドゥは西城秀樹が1983年に発表した曲のタイトルで、もともとは特に意味のない言葉だったが、水着姿で歌う彼の下腹部の毛の濃さが話題となり、松任谷由実が深夜のラジオで「へその下の剛毛」をギャランドゥと呼び、広がった、とある。

それはそうと、次の「ギャランドゥは英語でなんというか」の項目には、「ギャランドゥに対応する英語表現としては abdominal hair(腹毛)、tummy hair(腹毛)、stomach hair(腹毛)などのような表現が最も無難であろう」とあった。何も(腹毛)をそんなにも繰り返さなくてもとよいのでは思うし、「最も無難であろう」という言い回しは、なんだか、とてもよいと思う。

*1  腕毛を消毒したがる後輩

*2 「毛にレベルをつける」趣味がある同僚

2023年10月8日執筆、2023年10月12日投稿


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