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小学校教員だった私が、民間企業に転職したはなし


ちょうど、1年前の今日。
私は小学校教員をやめて、転職活動をはじめました。現在は民間企業で働いています。

この1年間で転職について相談を受けることが予想以上に多く、私の転職経験はある程度の需要があるのではないかと思い、文章にして共有することにしました。
私自身も転職する際、元教員の実例が少なくて困ったので、同じ思いをしている方に少しでも役立てばと思っています。

生産的な情報を記述しようと思ったのですが、結局いつもの癖で感情もりもりのエピソードトークになってしまいました。
ですので、気になったところがあった方や具体的な情報が知りたい方は、別途ご連絡をいただければ幸いです。

また、あくまで私個人の話なのでふらっと読んでください。
にしては、思いが溢れすぎて結構な文量(なんと6300字超!)になってしまったのですが…

要点だけみたい!という方はこちらをどうぞ!






転職を決めた理由

一言でいえば、このまま仕事を続けていたら自分が嫌いになりそうだったからです。

私は6種類の教員免許を取得しています。教育実習には、4回行きました。
自分が教員に向いているかはさておき、「いい先生になりたい」という思いは強かったと思います。

一方で、大学4年生のときは「学校の先生」になるか迷っていました。
学外の団体やNPOで活動するうちに、教育に携わる仕事は学校現場にとどまらないことを感じていました。

最終的に学校教員になろうと決意したのは、在学中にお世話になったキャリアカウンセラーの方のお言葉がきっかけでした。

「大きな組織に入ると自分のやりたいことができるとは限らない。でも先生なら、大きなムーブメントは起せなくても、目の前の子どもたちにあなたがしてあげたいことはできるんじゃない?」

私は目の前の一人一人を大切にしたいのだと気付き、晴れて小学校教員になりました。
だからこそ私は、どのような先生になりたいか尋ねられたとき、こう答えていました。

「一人一人の子に寄り添う教員になりたいです。」

それが私の原点でした。


学校には、私を先生と慕ってくれる子どもたちがいて、苦しいこともありながらも、充実した日々を送っていました。

一方で、ぬぐえない違和感がありました。
「本当に一人一人に寄り添えているのか」ということです。

学校は集団生活を行う場のため、きまりがきっちりと定められています。

例えば、「体育は半そで半ズボンで行う」というルールがありました。

冬の寒い日のことです。
ある子が「寒いから、上着を着たいです。」と申し出ました。けれども、それは受け入れられません。
きまりだからです。

体幹を保つのが苦手でも、朝会では直立不動で話を聞かなければなりません。
教室で過ごしたくても、休み時間は健康のために校庭に出なくてはなりません。
40人のクラスと学校全体を運営していくためには、誰かの我慢が必要でした。


研究会にいくと、「いいクラス」に出会います。

机の決まった位置に教科書、ノート、筆箱が準備してある。
背筋をぴんと伸ばして、まっすぐ手を挙げる。
はきはきと意見を述べ、時には教室全体から拍手が起きる。
見に来た教員に「ありがとうございました!」と笑顔で言いに来てくれる。

絵にかいたように素敵な子供たち。


その集団は素晴らしいけれども、
私が目指したいクラスではありませんでした。

私は「みんな揃ってなくてもいいじゃん。」と思っていました。
朝礼でふらふらする子や砂いじりをする子がいたら、「話長いよね、もうちょっとで終わるからね。」と言いたかった。
休み時間は好きなことをしてほしかった。中でも外でも、友達と過ごしてもいいし、一人でいてもいいし。そこに優劣はないはずです。

「教員としての私が行わなくてはならない指導」と「一個人としての私が思っていること」が乖離していました。

自分で掲げた「一人一人に寄り添う教員」という理想。
しかし、月日を追うごとに逆行している自分に気付きました。個人よりも集団を優先するようになっていたのです。

子どもたちはすごく素直で、大半の子は文句を言わず、「学校のルールだから仕方ないよね。」と受け入れていきます。

一方でそのルールを特性的に受け入れられない子たちは、「困った子」として集団に迷惑をかける存在になってしまいます。

私は、「先生の言うことをよく聞く物分かりのいい子を育てて、学校という組織にフィットしない子の自己肯定感をそいでしまっているのではないか。」と考えるようになりました。

目の前の子たちにベストな教育を届けられるから教員になったはずなのに。一人一人に寄り添おうと思っていたはずなのに。
個人を置いて集団統制力を磨いていくのなら、それは私のやりたいことと真逆ではないか。

さらに、生活のためだと単純な割り切りでやっていける仕事ではありません。
精神的、身体的に壊れていく友人や同僚の姿を見て、「私は大丈夫」と言い切れなくなってしまいました。

そこで転職を決意します。

子どもとかかわることや教えることは、学校教員でなくてもできる。
自分がこれがいいと自信をもって言えないことを指導するなら、別のアプローチの仕方をしようと考えたのです。


誤解しないでいただきたいのは、私は学校教育がおかしいとか、間違っているとかいうつもりではないということです。

教員は、人の成長にかかわることのできる素晴らしい職業です。
教育方針も状況も学校によって違うし、私が抱えた違和感(集団生活と個人尊重のバランス)も、指導力でカバーしていらっしゃる先生方がたくさんいらっしゃいます。

今でも教員として過ごした日々は、私にとってかけがえの宝物です。
もう一度人生をやり直せるとしても、私は教員として働くことを選びます。

ただ学校現場で10年、20年教員として働いていくことが、当時の私には想像できなかったのです。私個人の、相性や価値観の問題でした。



転職活動のはじまり

私の転職活動は予想外の連続でした。そもそも退職願を出した際には、5月からフィンランドで教育実習を行う予定になっていました。
私の理想と近い教育現場を見てから、今後のことをゆっくり考えようとしたのです。しかし、その計画が白紙になってしまい、急遽4月1日より転職活動を始めます。

と思ったら、4月初頭にインフルエンザになってしまいました。予定していた会社訪問は全部リスケになってしまい、家で紋々とした時間を過ごしました。

そんな前途多難な転職活動で、私が最初に目指していたのは「教育」×「テクノロジー」の業界でした。

教員時代、タブレットを使用した学習が個人の学習ペースや表現方法に合っているということを実感していました。だからこそ、EdTech業界で私の思い描く教育に携わろうと考えたのです。

初めて面接に行った会社は、EdTech系のベンチャー企業でした。事業内容が面白く、私のやりたいことにも合致していました。

面接を受け、私の思いを話し、打ち解けたところで「それで、何ができますか?」と質問を受けました。

そこではっと気づきました。
やりたいことは考えていたけれど、やれることを考えていなかったのです。
当時の私は第二新卒として未経験で入社し、スキルは勉強しながら身に付けようとかなり甘い考えをしていました。

そこから、やりたいこととやれることの交わる業界を探し始めました。
(これは転職の基本なので、私のように面接を受けてから気付く人はなかなか珍しいと思います。当時の私は、それくらい転職初心者でした。)

また、選択の幅を広げられるように情報を集めました。
複数の転職サイトやエージェント登録しておいて、相性のよいものを残していきました。会社によって強みが違う(掲載数が多い、サポートが丁寧、相談しやすいなど)ので、並行して使うのがおすすめです。
私は転職サイトは6社、転職エージェントは7社使っていました。

スキルが大事だと気付いたので、プログラミングが学べるスクールもいくつか訪れました。(単純なスクールもあるし、転職支援付きの業態もあります。)

さらに大きな転職フェアに参加し、未経験でも受け入れてくれる業種や企業をリサーチしました。






はじめての内定

そんな中転職フェアで、あるIT系の会社と出会いました。
「ぜひ一度オフィスにいらしてください。」と声を掛けていただき、面接を受けました。

社長は真摯な方で自社のビジネスと、起業した思いを語ってくれました。
「やりたいことド真ん中ではないけれど、ここなら働いていけそう…」
そう思ったところで、内定をいただきました。

先の見えない状況下で「おいで」と言ってもらえ、自分を受け入れもらえることは、何よりも有難いことでした。

初めて内定をもらった会社。
おそらく一生忘れません。

内定辞退をしたときは、胸が張り裂ける思いでした。
水道橋の駅で辞退の電話を切った後、思いっきり泣きました。
その経験があったからこそ、とりあえずよさそうなところに就職するという考えを捨てることが出来たと思います。

「あの会社を断ったのだから、納得する決断をしなければ。」と、より一層気持ちが引き締まりました。




心が折れたとき

転職活動を進めていくうちに、最終面接まで行った企業がありました。

キャリア関連の企業で、私のやりたいことともあっていたように思えました。
誰もが知っている大企業のグループ会社だったので、自分の転職が正当化されるような気がしていたのです。

ここに行ければ、納得感がある。
そう自分に言い聞かせて、気持ちの方を曲げようとしていました。

今考えると、落としてもらって本当によかったです。
人事の方は私を推してくれていたけれど、社長には私の浅はかな考えを見抜かれていたような気がします。


ただ、「受かった。」と思っていたのでショックは大きかったです。
もう本当に誰からも必要とされていないのだと感じ、心がぽきっと折れました。

部屋にいるだけで涙が止まらなくなってしまったこともありました。

支えてくれた両親や友人に感謝です。
一人だったら、乗り越えられなかったと思います。

どんなに自分でやりたいことが見えているつもりでも、不安に苛まれると冷静な判断ができなくなるのだと実感しました。




今勤めている会社

私は全部で21社を訪問したり、面接を受けたりしました。
そして、今の会社を選びました。

採用のことを公の場で書くべきではないと思うので割愛しますが、今の会社に勤められているのは、本当にラッキーだと思っています。

私は今勤めている会社がとても好きです。
事業内容も企業風土も、そして何より人が好きです。

多くの企業を見ているうちに、理想と現実の間にはギャップがあることを知りました。
人の役に立つけれど効果を数字で表しづらい業態は、ビジネス化が非常に難しいのです。素晴らしいビジョンを掲げている企業でも、補助金で運営されていたり、ボランティア的な待遇になっていたりする例が多くありました。

私の勤務先は教育関連のビジネスに挑戦し、結果を出しています。
社員も関係者も、集まってくる人たちはどなたも優秀で、思いがあり、魅力的です。

私自身の力不足による悔しさや、考えていることをうまく形にしたり、言語化したりできないことでもどかしい思いをすることはありますが、尊敬する人たちとともに成長していける環境にいることを、幸せに思っています。

そして、私らしく子どもたちの前に立つことができています。


▲見づらくて申し訳ないのですが、昨年の2月に私が思い描いていたやりたいことの図です。改めてみると、会社の事業と関連することが多いのです。
転職活動中、様々な業界を検討したけれど、回りまわって本当に理想的な仕事に出会えたなと感じています。









感謝を込めて

教員を辞めると伝えたとき、周りから言われたのは「ご両親は何と言っているの?」という言葉でした。「先生は安定しているし、誇りでしょう。」と。

「両親も納得しています。」と答えていましたが、教員を辞めることで家族を悲しませるかもしれないと心のどこかで思っていました。

いざ転職活動をはじめてみると、思ったような会社にすぐ入れるわけではなく、「辞めなきゃよかった。」「私を認めて生かしてくれた場所だったのに。」と何度も泣きながら実家に電話しました。

人生で1番つらかった経験だと思います。

社会の中で誰の役にも立てておらず、過去の自分が一生懸命稼いだお金が日々減っていくのを見ながら(生活費は勿論、年金、保険、税金を賄うのは大変なことでした。)、世の中から置いてきぼりにされた気持ちでした。

この状況がいつまで続くのかわからないという絶望の中で、毎日ちょっとしたことで涙が止まらなくなっていました。

自己研鑽でイベントに参加しても、「所属なし」と伝えることが心苦しく、大好きな人の講演会に行っても、話が全く入ってきませんでした。

そんな原体験があるからこそ、
仕事があること
喜怒哀楽を素直に感じられること
それだけで幸せなことだと思えています。

さらに気づいたことがあります。

私はやっぱり人の役に立ちたいし、誰かを喜ばせたい。
誰かの成長に寄り添って、そのために力を使うことが好きなのだ、と。


入社するかどうかをうじうじと迷っていたときに、背中を押してくれたのは両親でした。会社の事業を、「おもしろそう!」「絶対にこれから必要なことだよ。」と言ってくれたのです。

周りの言葉にすぐ惑わされて視野が狭くなりがちで、不安に押しつぶされそうな私を、誰よりも分かってくれて応援してくれる家族に感謝です。

今考えれば私の両親は世間の見え方よりも、私らしく働いていることを喜んでくれていると思います。そんな両親のもとで育った自分が好きだからこそ、きまりではなく個人を尊重する教育をしたいのです。


今日は4月1日。新しい年度のはじまりです。
理想の場所にいる人、違和感を抱えている人、様々な事情でお休みをしている人。きっと状況は、人それぞれですね。

私は「nico and…」というブランドの『であうにあう』というコピーが好きです。

思いがけないような出来事やモノに「であう」ことで、人生はおもしろくなると思っています!…「にあう」とは、「らしさ」の入り口だと思います。いろんな「にあう」が、思いがけないことを与えて、その人の人生を彩ってくれるものだと思っています。 (コピーを考えた小杉さんのインタビューより)

何を選んでも絶対的な正解はないからこそ、最終的に自分に似合う場所を見付けられればいいんじゃないかなと思います。

1年前の自分に、今の私の話をしたところで信じてもらえないでしょう。それくらい考えも状況も、日々変化していくものです。

たくさん迷ってうじうじして心折れそうになりながらも進んだとき、残ってるものはきっと、スペシャルなものです。

だからこそ、心にちょっとでもひっかかる小骨があったら、何かアクションを起こしましょう!
その一歩は小さな一歩だけれど、一歩の積み重ねがいつの間にかとんでもないところへ運んでくれます。

今の環境が好きで自分に合っていると感じているのならば、それはものすごく幸運です!大切にしましょう!

私の3か月の転職活動には非常に多くの方に関わっていただき、歌詞カードの最後に書かれているスペシャルサンクスや映画のエンドロール並みに感謝を伝えたい人がいます。
たくさんのご縁に感謝し、これからもできることをやっていきたいと思います。

不安な社会情勢が続く中ではありますが、これを読んでくださっている方が、心から笑えていますように。「明日もがんばるぞ!」と思えていますように。

今笑えてなくても、思えてなくても、いつかそんな日が来ますように。

おわり。







































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