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「してもらえなかった」呪いと「してもらった」呪い


ずーっと
「本当はこうして欲しかった」
「なんであんな風にしかしてくれなかったんだろう」
と、親に対して思って生きてきた。


恥ずかしながら、
自分の不足感を親のせいにして
生きてきていた。


もっと言うと、
いわゆる「普通」の家庭に育った
(ように見える)人が
妬ましかった。

いいよね、まっすぐに育てて。
当たりのいいおうちに生まれてよかったね。

そんないじけたことを、
失礼なことを思っていた。


でも、今、前よりも少し大人になって。
わたしたちは、
環境に翻弄される受け身な人間に見えて
実は、すべて自分が選んでいることを
理解できるようになって。

わたしは「してもらえなかった」という呪いに
取り憑かれていたけれど
きっと逆に、
「してもらった」からこその呪いというものも
存在しているのだろうなと思う。


「してもらえなかった」という呪いは
振り払ってしまえばいい。
「してもらえなかった」ということが
大義名分になる。

でも、「してもらった」という呪いは
一見、呪いの姿をしていないから
振り払うのは難しい。
より、罪悪感がセットになる。

わたしが妬ましく思い、
羨ましがっていたそれは、
案外、身動きが取れなくなる
ものだったのかもしれない。


というか、そもそも。
どの環境が与えられていたとしても
そこを快適にするか
囚われたものとするのか、
結局すべて自分次第で、
結局すべて愛にまつわるものなのだと
きちんとハラ落ちするようになるのは
きっともう少し先のお話。



#エッセイ
#徒然なるままに
#子育て
#毒親
#ははとむすめ
#呪い

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