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文庫本が110円で手に入る時代に、本を買ってくれる人がいること

かれこれ三年、本を売っている。
自分が書いた文章をまとめて、表紙を描いてもらって、ゲストに協力を仰いで。
そうして三年間で三冊の本を作って、文学フリマのようなイベントや自分のネットショップなどで売っている。

もともとは形を持たない、頭のなかをぼうっと漂っていたものに、活字をまとわせ紙に刻み、ひと塊にして世に送り出す。
その作業自体は、とても楽しい。けれど本に値段をつけることは、毎回とても恐ろしい。
印刷費や謝礼などの経費はせめて回収できるように。そう考えると、価格はどうしても高めになってしまう。
向田邦子もトーベ・ヤンソンも、文庫本なら500円玉一枚あれば買えてしまうのに。
なんなら古本屋に行けば、運がよければ110円で手に入れることだってできてしまうのに。
安くても800円、高いもので1200円。しかも著者は超無名。
いっそのこと「綺麗な貝殻と交換できます」とか「りんごか苺と交換しませんか」とか、そうした物々交換の方が気楽なのかもしれない。でもそうして私のブースにどんどんりんごばかりが寄せられたら、売りに出るときより帰るときの方が大変かもしれない。りんごが腐る前に食べきるのも、けっこう難儀するかもしれない。
だからお金が存在するんだった。

「価格決定!」とSNSに投稿してしまえば、もう引き返せない。
「アイテムが購入されました!」と通知がくれば、安堵で力が抜けると同時に本当にこの価格でよかったのだろうかと再び不安が湧き上がる。
その価格で買ってくれた人にとって、高い買い物になっていやしないだろうか。
同じ金額で、もっといい本が買えたかもしれないのに。
本なんて買わずに、外食することだって選べたはずなのに。
買ってくれたことをとっても嬉しくありがたく思う一方で、そんなうしろめたさや申し訳なさが拭えなかった。

他の出店者の作品を見ると、私の本よりページ数が多いのに500円で売っている人もいる。「どうしてこんなに安いんですか?」と聞いたら「このくらいの値段じゃないと手に取ってもらえないとどこかで読んだから。趣味なので赤字でも仕方ないと思って」と苦笑していた。
ああ、やっぱり私も500円くらいにしておけばよかった。でも趣味とはいえ、赤字にはしたくないのだった。「赤字になるなら作らない方がいい」そう考えて新しい趣味を手放してしまうことの方が、私には怖かったからだ。
このページ数で500円にするには今の倍は印刷しないと採算が合わなくて、でもその部数を売りさばく力が私にあるとは思えない。いったいどうしたものだろう。

そんなうじうじした意識を変えてくれたのは、二人のお客さんだった。
一人目は、去年の文学フリマに来てくれたロマンスグレーの紳士。
私のnoteを通勤時の楽しみにしていると話してくれた彼は、迷いなく既刊と新刊を指した。そして「合計で1800円ですよね」と言いながら、封筒から2枚のピン札を取り出した。
「えええ、めちゃめちゃピン札じゃないですか!」と慄くと、くしゃりと笑って彼は言った。

推しにお支払いするお金は、ピン札って決めているんです

か、かっこいい……!!
心遣いがとても嬉しくて、その2000円を丁重に会計箱の最奥に置いた。
そして、気づいた。
この2000円も、ほかのお客さんからいただいたお金も、ただのお金じゃない。私がおっかなびっくりつけた値段を「作品の対価」と認めてくれた人たちのお金だ。
本当はいただいたお金すべてを自分の手元に留めておきたかったけれど、多くは他の方へのお釣りとして会計箱から旅立ち、文フリ会場内をぐるぐる循環してしまった。けれど、この2000円だけは今もお守りのように手元に置いてある。

もう一人は、初めて作ったエッセイ集『春夏秋冬、ビール日和』の感想のお手紙をくださった方だった。
個々のエピソードに対するコメントのあとに、「お値段以上でした。よい買い物をしました」と達筆で書かれていた。
ニトリかよ、と思わず噴き出してしまった。
けれどそのあとでじっくり読み返して、「お値段以上」という言葉のありがたみを噛み締めた。お値段以上。800円で売った本に対して、その方の体感で800円以上に楽しんでもらえたこと。それって、なんて幸せなことなのだろう。

今まで私は、安ければ安いほどいいと思っていたけれど、それは違う。
安さは選ぶ理由の一つにはなるけれど、選ぶ人が見ているのはそれだけじゃない。
単純に安いことと、「お値段以上」と感じることは別物なのだ。

作り手がつけた値段を「作品の対価」として払ってくれる人がいること。
ときどき、その対価以上の価値を感じてくれる人がいること。

そうした人が存在することを知ってから、私は値段をつけることに過剰に恐縮することをやめた。
作るからには、売るしかないし。売るからには、よいものを作りたい。
誰かの「お値段以上」になれたらいいな、ひそかにそう願っている。

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