能面、ときどき、満面の笑み

 うれしい、とか、たのしい、とか、そういう感情表現が乏しいことを、長年責めてきた。

 きっかけはたぶん、祖母から言われた「あんたは可愛がり甲斐のない子やな」というひとこと。私には三歳年下の弟がいるのだが、その弟を引き合いに出して「この子みたいにもっと可愛く喜びなさい」と言われた。
 幼かった私は、「弟みたいに喜べるようにならないと、(お金とか愛情とかいろんなものが)もらえなくなる」と危機感を抱いた。

 そこから、「もらうこと」が苦手になった。
 友だちからの誕生日プレゼントとかお土産とか、好きな人からの贈り物とか……。「はい」って、うれしそうに渡された瞬間、「相手が満足するくらいのよろこびを表現しなくては」という焦りで頭がいっぱいになる。
 ありがとう、と言いながら、笑顔がひきつっているのが自分でわかる。「わー、可愛い」という声が上滑りして、それを隠すために、思ってもない言葉を重ねてしまう。
 その間、私の感情は凍りついていて、自分が本当はどう感じているのかがいっさいわからなくなる。
 そんなことを繰り返すうちに疲弊してしまって、「もう何ももらいたくない」とまで思うようになっていた。

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