社会ではなく世間

 愛知県、それも豊田市のトヨタ自動車本社のそばで育った私は田舎の社会というものの恐ろしさを理解出来ていなかった。

 今振り返ると私が育った地域は地方と言っても全く地域性のしがらみなどなかった。隣近所のつながりは個人間の付き合いでしかなく、それ以外は他人だった。今実家に帰るとマンションが立ち並び発展した都会となっているが、私が育った頃はトヨタ自動車が発展していった時代で土地を切り開いてバンバン住宅が建って行った。それも日本全国、特に九州や大阪から移住してきた人たちが多かったと聞く。

 通っていた小学校はトヨタ自工(そのころはみなそう呼んでいた)のプールを借りて授業をしていたくらいだ。そんな環境も影響して公立小学校なのに青い目の子供も時々入ってきた。

  逆に新潟の田舎で育った主人は絵にかいたような古里そのものだった。義理の父親の葬儀では未知の世界の習慣にびっくりした。そんな主人が「田舎は大変だよ。」と忠告してくれたが私は、「気にしなきゃいいだけだよ。」と思っていた。しかし長野の田舎に来て、気にしないといけないし、そこには社会はなく世間しかないと良く分かった。

 長野にいたときの5年間はあまり良い思い出とは言えない。山梨にきて自宅をフリースクールとして開放した時、新聞や雑誌に取り上げられ長野の頃の様子を語ったがそれでもやはり学校の事を悪くいってるとうわさとして耳に入ってきた。どうしてそのような見方しかできないのか情けないくらいだ。

  長女が小学1年生の2学期に全校生徒60人くらい、1学年10人ほどのクラスに編入学した。転校生自体が珍しいということで最初はかなり親切にされた。しかし娘があまりコミュニケーションがうまく取れなく子供同士段々と娘とは離れていった。私は周りからどう見られているのか東京でも経験しているので驚きはしなかった。

 しかしそうではなかった。その村では、文化祭に子どもたちの作品が展示される。小学校しかない小さな村なので学校全員の作品も展示されるのだ。私たちは隅から隅まで探したが、娘の作品がどこにも貼られていない。不思議に思い教師に尋ねたら、「ここは小さい村なんです。娘さんの字を見て他の人が何というか、はらない方がよいでしょう。」

  運動会の練習が始まった時も娘はまったくほったらかしにされていた。集団練習ができないからという理由らしい。これでは運動会に参加すらできないし、私が憤慨してボイコットをすると言った時も止める気配は無かった。

  この村はスケートが盛んで、冬は体育の授業はスピードスケートだった。村の湖が天然のリンクになる。学校から靴を買ってくれと言われ、娘は女の子なのでフィギュアスケートの靴でも良いか聞いたが先生の方がこれにはびっくりしていた。

  校内スケート大会での事、同級生はみな小さな時から滑っているのでたちまち差がつき、娘だけが一人集団から取り残されてしまった。他の子供たちがゴールした時まだ娘は懸命に滑っていたのにかかわらず、PTAの役員の人たちが、娘を無視して次の組をスタートさせ、まだ途中の娘に対して「邪魔になる。どいて、どいて。」と言われコースから外されてしまった。誰一人として娘の応援などしていなかった。

  長野市にあるテレビ局に学校から見学に行ったらしいがその時は娘は参加させてもらえなかった。「どうして連れて行ってくれなかったんですか?」と教師に抗議したら、「他の子供たちはちゃんと質問も考えて参加しているんです。娘さんが行く意味がありますか?」と言われた。それに加えテレビ局に行くことさえ知らなかった。そのことも聞いたら「お知らせはちゃんとほかの子供と同じように配っています。娘さんが家に持ち帰っていなかっただけです。」と言われた。よく見ると机の引き出しにはほかのプリントやまだ見ていないお知らせのプリントが入っていた。先生からすると、他の子供と同じようにと両親は言っているのだから同じように接している。そこに何の問題があるというのか!といった理屈なのだろう。娘はちょっとした声掛けや気配りだけでサポーターまでは必要ないにもかかわらず、本当にがっかりだ。北欧では、特別なクラスを作らずにそのケアの必要な子供にサポーター先生をつけている国もあるという事を聞いたことがあるのに!特別なクラスのない小規模な学校にいれた意味はここでは全く通用しなかった。

  娘だけではなく、長男にも同じような事が起こった。これは次回としよう。

 

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