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規模の経済VSこだわりの逸品

みなさんこんにちは。
強ニューです。

この記事で伝えたいことは、こだわりのものを買うと心が豊かになるよね。
安いものを買うことに慣れてしまうと危険だよ。ということでした。

以下2700文字お付き合いください。。

月曜から重い会議が何個もあり頭がパンク状態でした。。
今日の話はまさにタイトル通りのぶつかり合いでした。

”規模の経済”という言葉を知ってますか?

マーケティングをかじっている人であれば、聞いたことはある言葉だと思います。
改めて簡単に説明すると、何かものを作ったりサービスを提供する際、数が増えると固定費が逓減されて行く関係の場合、たくさん作る方が安く作ることができるよねという考え方です。
あなたが超売れっ子おにぎり屋を営んでいるとして、
1回の炊飯で10合炊ける炊飯器と3合しか炊けない炊飯器があった場合、どちらも同じ時間、同じ電気代がかかるのであれば、10合炊ける炊飯器を使う方が1つあたりのおにぎりのコストは安くなります。
電気代・時間などの固定費と米・水などの変動費で分けた際、固定費を最小化するために規模を大きくすることで有利に働く場合、規模の経済が利くという表現をマーケティング界隈ではよく言います。
わかりやすいグラフがあったので貼っておきます。

https://www.axc.ne.jp/preparations/glossary/economic_of_scale.html より抜粋

規模の経済はコモディティ化しやすい

一般的に規模の経済を利かすと、痒いところに手が届かないためコモディティ化しやすいと言われます。コモディティとは簡単にいうとみんな同じ感じだよね。特徴があんまりないよね。一般的だよね。という話です。
規模の経済=大量生産大量消費=大衆が受け入れる=機を衒わない=一般化したつまらない商品 という図式です。
日本が貧しい所以は、このコモディティ化が大好きだからだと強ニューは考えています。
イ●ンモールに代表されるように、大手アパレルSPA、シューズショップ、子供服、お値段以上の家具や生活雑貨、食事に至るまで、日本全国どこにいってもある程度認知度のある安くて品質が高くて無難な物や味を日本人のほとんどが享受しています。
多くはコモディティ化したサービスで、それらを我々は安い価格で消費し、今では欧米やアジア諸国と比較しても物価の安い国になりつつあります。為替が円安に振れれば振れるほど悲しい気持ちになるのは強ニューだけでは無いと思います(柳井さんも言ってましたが)

インターネットがコモディティ化をぶち壊しに来ている?

そんな状況下の中で、本当に価値の高いものを少量売ることで成り立つビジネスも出て来ています。
それを可能にしているのはSNSをはじめとしたネットの拡散力ですが、、
”ものづくりニッポン”というフレーズに代表されるように、日本は世界から見ても伝統工芸品や”日本製”を売りにした商品は数多くあり、インバウンド需要が最盛の時は町中至る所で”Made in Japan"という表現を目撃しました。事実一つの購買要因になっていたと強ニューは思います。

しかしコロナになり観光客が減ったことで加速度的に伝統工芸品の消費が減り地域によっては立ちゆかなくなる方もいるだろうことは想像に難くありません。

そんな中でインターネットの力によって、またフリーランスや副業リーマンによるwebデザイン力との掛け合わせで、伝統工芸の見直しと拡散は進んでいるように感じます。
アパレルセレクトのBEAMSが手がけるBEAMS JAPANという業態が新宿や京都、渋谷にありますが、日本人で賑わっている様子をみると、改めて日本の良さを体感できるし考えさせられるので、行ったことが無い方には是非行ってもらいたいなと思います(特に新宿)

話を戻しますが、今まで埋没しやすかったコモディティ化されない隠れた銘品、こだわりの一品を、どう消費者に深く刺していけるかは、ブランドを作る上で考え続けないといけない超重要ポイントです。

自社のケイパビリティをよく理解し、顧客に共感していただけるポイントのリサーチを繰り返し、価値と感じていただけるために、買うに値するモノを生み出し続け、伝え続け、広め続けて行きたいと日々悩んでいます。

これをサボるとやはりコモディティ化の波にのみこまれ、より安くて品質が高いモノたちの勢力に飲み込まれてしまい、日本人の「お、値段以上、いいじゃん。買い!」というコモディティ思考に負けます。

安さの追求は裏を返すと製造原価の削減です。
安い労働賃金にはじまり、コストカットを突き詰めたバリューチェーン全体の設計力です。それはそれで企業努力として間違っていないのですが、行き過ぎると以前アパレル界隈で問題になったウイグル自治区での強制労働のようなSDGsとは反した社会的な取組により成り立つ経済になって行ってしまうのだと思います。もちろんそういう会社ばっかりじゃ無い世の中ですが、、
何が言いたいかというと、安さを享受することに慣れると、本質やそこに隠された価値を見失うし、そういう物の見方はできなくなってしまう。そうなると、伝統工芸などもはや過去の物、アートとか、アンティークの世界になり一部のファンだけのもの(もしかしたらそれでいいのかもしれませんが)になりさがりますね。

強ニューが海外で生活している際現地の人間に”日本人ほどハッピーな生き物はいない”と皮肉を言われたことがあります。
その背景とは、
「島国で世界と切り離された豊かな日本という国で育つ子供達の多くは(大人もだと思いますが)、アジア諸国の過酷な労働環境を知らない、食料・医療不足に悩むアフリカの実態を知らない、ウクライナロシアのような戦禍に怯える生活を知らない。そういう人ばかりなのは話をしててわかる。世界に無関心」≒だからハッピーなんだよ。ということでした。今となってはすごい芯を食った皮肉だなと思います。

こう行った実態の上に成り立つ規模の経済を、ほとんどの日本人は享受していて、それに伴って実際は心も懐も貧困化して行っているので、もはやハッピーにさえ生きられなくなって来たのかなと思ってもいます笑

自分でお金を稼ぐ中で、何を買うかから誰から買うかの価値の重要性を考えるようになり、コモディティ化の外にある商品に豊かさに気づきました。
自身も製造業で働く上で、そう行ったものをより多く生み出して行くことに使命感を持っています。

人にとってのこだわりの伝播を後世に伝えることで、長く豊かな生活を続けて行きたいものです。そのためには現役世代の自分たちが如何にホンモノに触れ自社のリソースでコモディティ化の波に飲み込まれない発想力と開発力をデザインできるか。今後も追求していければと思います。

最後まで、お付き合いありがとうございました。

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