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【厳重警告】 映画『ジョーカー』に「共感」してはならない。

【『ジョーカー』/トッド・フィリップス監督】

まもなく幕を閉じようとしている2010年代。この混沌のディケイドを席巻したのは、「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」「ゲーム・オブ・スローンズ(GOT)」という2つの超大作シリーズであった。しかし、たった1本の映画が、それら全ての衝撃を超越しようとしている。世紀の問題作。2010年代の最後に、この世界に生まれ落ちてしまった狂気の化身。それが、映画『ジョーカー』である。


今から振り返れば、クリストファー・ノーランが監督を手掛けた『ダークナイト』(2008)に登場したジョーカーは、完全なる「空白」の存在であった。そこには、一切のコミュニケーション・意思疎通の余地はなく、だからこそ絶対的なカリスマ性を誇っていたといえる。その一方、今作で描かれるのは、あまりにもリアリスティックで等身大なアーサー・フレックの人生だ。貧しい生活。心臓と精神を病んだ同居人の母。予算の削減による福祉支援の打ち止め。そして、脳の損傷に由来する「笑い」の発作。不憫だろうか。可哀想だろうか。あなたは、彼に同情するだろうか。アーサーの困窮した暮らしを観ていると、「共感」という、いかにも性善説に則ったかのような感情が芽生えそうになるかもしれない。

しかし、僕は思う。その「共感」は、アーサー個人に対して向けられるものであって、決してジョーカーに対して捧げられるものではない。アーサーは、想像を絶するほどに困難な人生を歩んできた。しかし、彼が、いや、彼だけが、ジョーカーへと変貌を遂げる必然はどこにもなかったはずだ。もし、冒頭のバスのシーンで、子連れの母親から「ありがとう」の言葉をかけられていたら、もしかしたら、その後のアーサーの人生は全く異なるものになっていたかもしれない。彼の、いや、誰しもの人生は、そうした何気なく些細な偶然の連続によって形作られていく。

悲哀な偶然が重なり、いくつかのボタンを掛け違えたまま物語が加速していき、極限まで精神を蹂躙され、その結果としてアーサーはジョーカーになってしまった。繰り返しにはなるが、そこには必然など何もない。さらに言えば、この世に存在する全ての悪の裏側に、アーサーの人生のような「共感」すべき物語があるわけでは決してない。貧困層の象徴として描かれる彼に、悪の理由を押し付けられることがあるとしたら、僕は強く異を唱えたい。また、今作の公開後、アーサーへの「共感」から転じて、熱狂的な負のムーブメントが起きないことを望む。


アーサーとジョーカーは別の存在であり、そして今作では、全く異なる人格への変貌の境界が、極めて曖昧に描かれている。この映画は、だからこそ恐ろしいのだ。

あなたは、その変貌の瞬間を思い出せるだろうか。きっと、そのシーンは一つではないはずだ。彼がいつジョーカーになったのか、私たちは明確には分かり得ないのだ。観る人の数だけ、「アーサーがジョーカーになった理由」が存在する。そして、あなたの脳裏によぎった「理由」が、ゴッサムシティに蔓延する狂気を通じて、あたかも「悪」の根源であると錯覚してしまいそうになる。

その曖昧な理由で、私たちは善悪のジャッジを成せるのだろうか。決して、そんなことはないはずだ。劇中で描かれるのは1981年。そして、同じくジョーカーが究極の問題提起を果たした『ダークナイト』が公開されたのが2008年。悲しいことに、今、僕たちが生きる2019年は、その当時と比べて、善悪の境界線はより曖昧になってしまった。より複雑になってしまった。そして、善悪の溝はより深くなってしまった。

今、現実のアメリカが、いや、世界が、本当に弾圧すべき「悪」とは何か。それは、なぜ、どこから、いつ生まれてしまうのか。私たちは、その構造から目を逸らしてはいけない。「悪」の正体を、「共感」というベールによって覆い隠してはいけないのだ。

今作は、ジョーカーによる宣戦布告だ。そして、その戦いから、私たちはもう逃れられないところまできている。この映画が、観客に壮絶な覚悟を求めるのは、それ故だ。


僕は、今作の最後の台詞に、僅かながらの救いを見い出した。そうだ、もう僕たちには、ジョーカーの「冗談」を「理解」できないのだ。「共感」なんて、無駄なのだ。ジョーカーとなってしまった彼を前にして、そんな生温い言葉たちはあっさりと無化されてしまう。

戦争。テロリズム。圧政。差別。殺人。全ての根源として、絶対的に遍在する「悪」の象徴。私怨や損得勘定、個人の価値観/正義感、そうしたあらゆる私性を超越した「空白」の存在。ジョーカーには、これまでも、そしてこれからも、そんなキャラクターであってほしい。そしてもちろん、それはフィクションの世界において、である。




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