千と千尋

まさに、現代の神話。『千と千尋の神隠し』は、僕たちに何を問いかけるのか。

【『千と千尋の神隠し』/宮崎駿監督】

観客動員数 2,350万人、興行収入 308億円、その破格の記録は、日本の映画ビジネス史に、未だ燦然と輝き続けている。そして、宮崎駿という巨大な才能が、ついに全世界に向けて開花した今作によって、日本映画の在り方は決定的に変わった。

このように、何重もの歴史的意義を誇る『千と千尋の神隠し』は、まさに、現代の神話として、今もなおその存在感を放ち続けている。

日本の民話に基づく神話性と、「万物の全てに神が宿る」という日本古来の神道の思想をベースにした物語は、善悪という二元論を超越した全く新しいファンタジーとして、世界を震撼させた。論理では語り切れない、それでも人間が根源的に抱えている得体の知れない「何か」が、今作には克明に描いている。

カオナシとは、一体何であったのだろうか。その答えは極めて曖昧なものなのかもしれないが、同時に、誰しもの心の中にカオナシは宿っていることを思わせるのだから恐ろしい。

文化的背景/宗教的背景の違いを超えて、あらゆる人間に、未知なる興奮と畏怖を与える今作は、唯一無二のオリジナリティでもって海外からも絶大なる評価を得た。その意味で、平成の日本カルチャー史における一つの金字塔を打ち立てた作品であると断言できる。


そして、「一人の少女の精神世界を巡る旅」として、圧倒的なエンターテイメント作品に昇華されていることこそが、今作のもう一つの素晴らしさである。

まだ何者でもない千尋。名前を奪われ、アイデンティティを模索しながら、労働とその対価を通して自らの存在意義を獲得していく。まさに人生そのものともいえる彼女の物語は、眩くも尊い普遍性を秘めていた。それが過程であっても未完であっても関係はない。今作に、人生を導かれ、救われ、許された人は、きっと少なくないはずだ。

そしてついには、千尋は、己の信念を貫き、輝かしい創造性を爆発させ、感動的な生命のカタルシスに達する。その生き様は、言葉を失うほどに美しいものであった。

あらゆるものがあって、同時に何もない、不透明で不完全で不確かな未来を、僕たちはどう生きるべきか。宮崎駿は、千尋の生き様を描くことを通して、私たち観客にそう問うた。その問いはまさに、全ての現代人が向き合う果てしなき命題なのかもしれない。


『もののけ姫』、そして『千と千尋の神隠し』で、一つの頂点を極めた宮崎駿は、それでも創作を止めなかった。『ハウルの動く城』、『崖の上のポニョ』、『風立ちぬ』。そして現在、引退宣言を取り下げてまで、彼が新たに制作に着手している映画が、『君たちはどう生きるか』である。

令和初となる待望の次回作が、「次の時代」の指針となることは間違いないだろう。



【関連記事】


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。 これからも引き続き、「音楽」と「映画」を「言葉」にして綴っていきます。共感してくださった方は、フォロー/サポートをして頂けたら嬉しいです。 もしサポートを頂けた場合は、新しく「言葉」を綴ることで、全力でご期待に応えていきます。