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映画『シン・ウルトラマン』の問い

※この記事には、ネタバレが含まれています。

こんにちは。
まるで梅雨のような天候。
そんな中、本日から封切りの『シン・ウルトラマン』を、朝一番で観賞してきました。

今回のコラムは、『シン・ウルトラマン』を観賞しての考察です。
※前提として、私は庵野秀明氏の携わった作品はすべて観ていて、ひとつの作品を何度も観賞するようにしています。
今回は、まだ1度のみの観賞後の考察として、書いています。

■『シン・ウルトラマン』が描いた3つのこと

この映画で描かれていたポイントは3つあったように思います。

ポイント①「ウルトラマンの”美”」
ポイント②「対話の多さ」
ポイント③「弱きモノの価値」

■ポイント①「ウルトラマンの”美”」

あのウルトラQやウルトラセブンに関わった成田了氏が、「真実と正義と美の化身」として描いた一枚の絵。
そこに描かれていた姿を、忠実に表現したものが、この新たなウルトラマン。
初めてその姿を目の当たりにした、浅見分析官(長澤まさみ)が、思わず「きれい…」とつぶやく。
地球に降り立ったばかりのウルトラマンは、全身がシルバーで統一されていましたが、神永担当官(斎藤工:ウルトラマン)の体を通して巨大化した姿は、あの「赤いライン」がくっきりと浮かび上がっています。
すらりと伸びた手足、陰影をくっきり帯びた体。なんともエロティックで、それでいて、美しい
余計な装飾がない、まるで「引き算のデザイン」がなされています。

真善美には、流行がありません
美しいものは、何年たっても美しいと、いつの時代でも感じさせるものです。その感覚を、しっかりと味わわせてくれるのです。

そして、美しさは、主人公の神永(斎藤工)のたたずまいにも、投影されています。
無口でどこかミステリアスな雰囲気を帯び、しかしその口から出てくるのは、おだやかで文法的にも美しい日本語
彼自身の美しい顔立ちもさることながら、その言葉には、強い信念にもとづく言葉が、慎重に選ばれて発せられているようです。

美は普遍性を宿す。
まさに世代を超えるのです。

アメリカにはスーパーマンがいます。彼が米国民にとっての絶対の正義のシンボルであるなら、ウルトラマンは、我が国が誇る「真実と正義と美の化身」、シンボルであると思うのです。

■ポイント②「対話の多さ」

映画中には、主な登場人物のナラティブが、丁寧に描かれているばかりでなく、なんと外星人(宇宙人のこと)のナラティブもきちんと描かれています。
非常に印象的なシーンをひとつ挙げます。
ウルトラマンシリーズに3度も登場した、あの「メフィラス星人」(山本耕史)が今回も登場し、ウルトラマンと何度も対話をもつ、というシーンです。
あるときは、団地のブランコに並んで乗りながら、
あるときは、居酒屋のカウンターで日本酒を飲みながら、
人間の姿のメフィラスとウルトラマンは、「地球と、人間がどうあるべきなのか」について、対話をするのです。

「シン・ウルトラマン」だけでなく、庵野秀明氏が監督した「シン・ゴジラ」も「シン・エヴァンゲリオン」もそうでしたが、「人間」という弱き存在をどうとらえるのか、一貫して問われているテーマだと思います。

そしてこの「シン・ウルトラマン」は、他の作品よりも、ハッキリと定義がされているように思います。
メフィラス星人が主張する、
外星の圧倒的技術の差を見せつけることによって、人間を無気力化し、地球を安全に管理しながら、他の外星人から守る」に対して、
ウルトラマンは、
彼らに秘められている善意、ポテンシャルを信じて引き出し、自律的な成長を手助けする」という、
両者、真っ向からの議論です。
要するに、人間の
無力化による飼いならし」で管理するのか、
自律的成長の芽を伸ばす」ことで見守るのか、
という主張のぶつかり合いでしたが、
結局、両者は、地球のために共闘することを諦めます。
この店、割り勘で良いか?ウルトラマン」とメフィラス星人が言った場面は、笑ってしまったけど、これからの二人の「対等性」を維持する、彼なりの礼儀があったように思います。

そしてさらに驚いたのは、あのゾフィーとの対話でした(作中では、「ゾーフィ」と呼ばれていました)。

■ポイント③「弱きモノの価値」

光の国から地球に派遣されたゾーフィは、そもそも禁じられていた人間との融合をしてしまったウルトラマンに、ペナルティを伝えに来ました。
マルチバース(恐らくはいくつも存在している宇宙のこと)で禁じられている、他星人どうしの融合をしてしまったウルトラマンへの訓告です。
地球を消滅させると、ウルトラマンだけに告げに来たのです。
「1300億ある星のひとつが消滅したところで、宇宙の秩序に影響はない。ただ、地球人は、他星人と融合することで、その力を使いこなすことができてしまう、という事実は、マルチバースにとって脅威になった
とゾーフィ。
地球人には、幼い子供を救うために、自分を犠牲にできる美しいメンタリティがある。それを守りたい
とウルトラマン。
ここでもやはり、紳士的に話し合う両者でしたが、ウルトラマンにとってもはや、理屈ではない部分で人間に愛情を感じていたようです。

恐らくウルトラマンの脳裏には、バディを組んでいた、浅見分析官(長澤まさみ)の存在があったのではないかと思います。

神永と違い、感情表現豊かで、思ったことをストレートにぶつけてくる浅見の存在は、弱き存在であればこその愛おしさ、「守りたい」と思わせるものではあったのではないかと。
ゾーフィは、「そんなに君は、地球人を愛しているのだな」とつぶやくのが、印象的でした。

光の国の掟に忠実であるゾーフィは仕方なく、ウルトラマンごと地球を消滅させるため、あの「ゼットン」を送り込むことになるのですが…

そしてエピソードはもうひとつ。
ウルトラマンの力に頼るしかなくなった日本政府は、その力を、国連の権威を利用して、ウルトラマンを管理下に置こうとします。
ここでも、弱き存在を中心とした対話、もとい交渉が繰り広げられるのです。
「地球の管理下に入らなければ、君のチーム(禍特隊)の命の保証はない」という「政府の男」(竹野内豊)に対し、「恫喝は人間のもつ悪い癖のひとつだ」と言い、
「それなら、このままゼットンを放置して、地球を終わらせることもできる。これは、あなたの恫喝に対して、本質的には同じことを言っているだけだ」と主張します。
政府は、潔く身を引きますが、じつに両者が冷静であったのが、やはり印象的でした。

ウルトラマンは、マルチバースの制裁を待つことなく、地球チームの英知を結集させた作戦に挑むのですが、
この時点で地球人は、ウルトラマンにとって「守るべき存在」であり、「共闘する仲間」になっていたのです。

■作品を貫いたのは、やっぱり「真実と正義と美」だった
ウルトラマンは、
神永から放たれる美しさ。
人とは何なのかを、問う視点。
弱き者を守る、正義。

それらを、この作品を通して、あらためてもたらしてくれたように思います。

ゼットンをやっつけるとき、思わず「がんばれウルトラマン」と、声が出そうになった自分は、すっかり童心にかえっていました。

理屈に関係なく、カッコイイものはカッコイイのです。


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