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【短編小説】野良犬

 昔はね、年頃になったら、いろんな人が、お見合い話もってくるのよ。田舎でしょ、もうお節介な人ばっかりでさぁ、女は年頃になったら嫁に行くもんだったのよ。今みたいに、自立して生活するなんてできなかった。女なんて働き口もないしね。就職できて農協の窓口か製材所の事務員、給料やっすいしね、簿記なんかもちゃんと習ってないから、歳いって、若い子来たら、いつでも真っ先にに首切られるわけ。あの頃、ちゃんとした女の仕事って、学校の先生くらいかな。あたし、高校しかでてないからね。もともと勉強も好きじゃなかったし、無理よね。だから、つまるとこいずれは農家の嫁よ。ま、元々うちも農家だから、そんな好き嫌い言えないけどさ。
 でも、嫌だったの。なんかこう別のことがしてみたかった。ヒルに食われながら田植えしたり、芋とか大根ばっかり食わされたり、ああ、嫌だった。こんな山ばっかりな所さっさと出て、なにか違う生活がしたかった。どんなって? わからないわよ。そんな生活、知らないもの。
 違うわね。知らないことないか。月に一度、給料が出るとお友達とバスに乗って町に行くの。そこで映画を観てね、お買い物して帰るの。そうだ、お洋服買って、とっても型が良くって、嬉しかったわ。でも、帰って次の日着てみたら、ぜんぜんダメなのよ。
 お洋服はステキなのよ。でも山と田んぼしかないとこで、綺麗なカッコしたってね、なんかまるで馬鹿みたいで、恥ずかしくって。歩いてるうち、涙がポロポロでた。映画で裕ちゃんがいる街は、高いビルがあって、車がいっぱい通ってて、若い男は髪に油をつけて、女の子はお化粧して、みんなおしゃれな服を着てて、夜になってもお店が開いてて。ああ、夢みたい。だから、知ってるの。でも、そこへはいけない。
 だから、だからかなあ。まちなさいよ。これから話すから。昔はさ、お盆の時に村に興行がくるの。お芝居だったり、大神楽だったり、売れてない歌手も来た。村に娯楽がないからね、皆んな見に行くのよ。私は子供の時は行ったけど、町で映画を見るようになってから行かなくなった。そしたらお友達から行こうって誘われたのよ。お友達の妹さんがまだ中学生で、行きたがったから、連れて行かなきゃなんなかったのよ。で、誘われたのよ。
 あんまり気乗りはしなかったけど、誘われたからね、ついていった。その年は歌謡ショーだった。知らない歌手が美空ひばりの歌とか歌うのよ。ああ、お金がもったいなかった。来るんじゃなかったって思ってた。歌はうまかったけど、本物じゃないからね。小学校の体育館で、みんな座って聞くのよ。やっぱり本物の歌手は上手よねえ、とか年寄りは言ってるけど、ラジオのひばりとは全然違った。アコーディオンとギターが伴奏するのよ。それだけ、三人なのよ。笑っちゃうでしょ。
 で、ショーが終わって帰る途中で、帽子忘れてのに気がついた。町で買った、お気に入りだったのよ。町で買った型のいい服は着なくなったけど、一緒に買った帽子はよく被ってた。それだけは、どうしても被りたかったのよ。ショーの時も被って聞いてたけど、体育館は暑いから途中で脱いで、置きっぱなしで出てきちゃったのね。二人には帰ってもらって、引き返した。
 そしたら体育館の入り口のところで、男の人が私の帽子を持って、立ってタバコを吸ってるじゃない。男の人は、さっき舞台でギターを弾いてた人だった。勿論私より年上だけど、まだ若かった。舞台衣装の背広のままで、左手にタバコを持って、右手で私の帽子をクルクル回して眺めてたのよ。
「あの」って声かけた。あたしを向いた男の頭は、油がついてて、体育館から漏れる灯りで光ってたわ。
「あの、あたしの帽子です」
男の人は、帽子を回すのをやめて、あたしに差し出した。
「浅丘ルリ子」
「はい?」
「浅丘ルリ子が被ってた帽子」
嬉しくなったわ。知ってる人がいるって。あたしはちょっとどもりながら映画の題名を言った。
「うん。あの映画の帽子だ。被ってみてよ」
受け取って被ったわ。
「似合うね」そう言ってからタバコを足で揉み消して、男はあたしに背を向けた。
「あの」ってまた声をかけた。まだお礼を言ってないって気付いたから。男が振り向いた時、言ってたわ。
「ここから連れ出してください」って。
 男は黙ってあたしを見てた。見られてるうち、どうしてだろ、涙が後から後から出て、それでも男は黙ってあたしを見てるのよ。
「ごめんなさい」
あたしは謝ってたわ。なんで謝るのか、自分でもわからない。でも、何度も謝った。そしたら男がやっと口を開いた。
「頼む相手を間違えてる。俺はどさ回りのギター弾き……
野良犬だ」
 それで男はね、体育館の中に入ってたのよ。そうそう、それっきり。あたしは体育館の灯りが消えるまで外で立ってて、消えてから泣きながら家に帰った。布団に入って一晩中眠れなかった。考えて考えて。このままじゃ、野良犬以下だって思ったわ。ただ流されて、不満だけ言って、なんにも行動しないで、周りの人ばっかり呪って。でね、決めたのよ。お金が貯まったらここを出ようって。いや、そうじゃないわね。貯まらなくても、ここを出ようって。で、実際お給料がでたら、そのまま家出したんだからね。
 それからは、お決まりの水商売。金もコネもなけりゃ、仕方ないもの。でも楽しかったわよ。まあ、最初は辛かったけど、仕事はなんでもそうよ。でね、だんだん稼げるようになって、いろんなものが買えて、美味しいものも食べれて、住む家もまともになって楽しくなってきた時、お世話になってたママさんに言われたのよ。あんたもそろそろ考えなって。
「そろそろ考えなよ。どうするか。まだ若いんだからね。でも、歳なんてすぐにとっちまう。あっという間に、ババアの雇われホステスになっちまうよ。この世界で生きてくんなら、今から店をどんどん変えて、自分を磨いて、金貯めな。いいかい。自分を安くするんじゃないよ。早くから男咥えると、みんな吸われちまうからね」
後はご存じのとおり。ママの言うとおり、お店をどんどん変えて、そのうちスカウトされるようになって、また店変えて、この世界でまあまあ成功したかしら。あとは死ぬだけ。後は、あなたに任せるわ。店の権利も一切合切、あなたにあげる。あとはあなたの運と才覚。雇われママから、オーナーよ。せいぜい頑張んなさい。あなたが、あたしのこと聞きたがるから、今日は話したけど、これでおしまい。もう何聞かれても言いやしないわよ。心残り? ないわね。あったけど、今はない。何ってあの男よ。野良犬。随分探した。会ってどうしようってことじゃない。いやもう、会いたくはない。ないけど、どうしてるのかは気になってさ。随分探したわよ。金もかかった。これが一番のあたしの道楽ね。
 わかったかって? ええ、とっくに死んでた。野良犬みたいにね。ヤクザと喧嘩して指潰されてギターも弾けなくなったそう。それから場末の映画館で掃除とモギリやってたそうよ。最期は映画館で深夜映画観ながら死んだそう。昔の日活無国籍映画の3本立て。今もあるのかしら。深夜映画。昔は私も終電乗り遅れた時、よく時間潰し入ったわ。
でね、野良犬なんだけど、死んだ時、ちゃんとスーツ着てたんだって。もちろん髪に油つけてさ。なぜかって。当たり前よ。その映画に浅丘ルリ子が出てたんですもの。

            了

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