abstraction展について

今月20日まで、東京、アーティゾン美術館にて、
abstration、抽象画と、抽象画の歴史についての、展示が行われています。絵画というのは、具象画と、抽象画に、わけることができます。
私は、抽象画と、具象画、どちらも描くのですが、
以前に、展覧会を開いたとき、お客さんが、抽象画をみたら、
これは、何を意味しているのか、どういう風に、見たらいいか
というようなことを、聞かれて、あまりうまく答えられませんでした。
それは、私も、お客さんの立場になれば、わかるので、
具体的なものというよりは、色や、動きのようなもののみが、
描かれている場合、なんだか、戸惑う、というのは、わかります。
ただ、私は、私が、心地よいということを実現するために、
私が、心地よいという場所に、色を置いたり、ニュワンスを
作ったり、書道でいったら、トメ、と、ハネ、のようなことをやったりします。絵画のなかで、ピリオドに当たるようなものを、痕跡として、
残したりします。それは、鑑賞者に、うまいこと、感じてほしいのです。
ブルースリーの、「ドントシンク、feel」となってしまうので、
お客さんの立場と、気持ちとしては、わかるが、
どういう風に、とか、何を表しているか、ということは、
あまりいえないんですね。抽象画、非具象を書いた場合は。
そんな中、今回のアーティゾン美術館の展示を見て、とても
思ったのは、そもそも、自分が、沢山の試みの、バリエーションの
抽象画を知らなかったし、触れてきてなかったし、先駆者の
こころみを、知らなかったし、そういう意味で、
いい経験でした。
そもそも、今回の、アブストラクションの、専門的な、展示が
あった、という、日本における、文化的な、積み重ねが
あったので、もっと、堂々と、晴れ晴れとした、気持ちで、
アブストラクションを、描いて、作っていけば、いいということだと
思いました。それは、世界は、広いので。
世界基準で、絵画の可能性の探求があったことを、
忘れてはならないと思うし、必要だから、先人の試みを、
必要になったら、参照し、思い出し、
自分が、美しいとか、整っていると思うものを、
描いて、作れば、いいと思います。
カンディンスキーと、ウーキー、
それと、デ・クー二ング、未来派の絵画と彫刻は、素晴らしいし、
出口に出たころには、綺麗な映画を一本見終わった後のような、
実に充実した、すがすがしい気分になりました。

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