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春はすぐそこ/好きを心に刻み込む

やっぱりすっきりと晴れた青空はいいなぁ、とゆっくりと歩きながら空を見上げた。1月も半ばを過ぎ、昨日まではかなり寒い日が続いていたけれど、久々にぽかぽかと暖かい陽気の日だった。少しずつだけれど、確実に春に向かっている、そんな気がする1日だった。

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気が付けばこのnoteを書き始めてから1年が過ぎた。ちょうど2022年から2023年に年が変わる頃、久々に年末年始に長めのお休みを取っていた私は、何だか文章を書きたい欲に駆られてこのアカウントを作ったのだった。

1年前の文章を読み返すと、何のまとまりもなく本当に恥ずかしい記事ばかりだけれど、やっぱり何かしらの形で自分の生活や考えたことを残してあるのは何だか嬉しくて、書いてきて良かったなぁと思う。

2024年という西暦の並びにも少しずつ慣れ、新年の何だかちょっと落ち着かないような、まだ日常ではなく非日常のような感覚もだんだんと薄れてきた。

久々に会った学生時代の友人に「もう妊娠生活が日常なんだねえ」としみじみ言われて、気が付けばお腹の娘と過ごす日々が段々と日常になりつつあることに気付く。

朝起きて、夫とお腹の娘に話しかけ、何となくいつも頭の端で「元気かな?」と気にしつつ、夜はよく動く娘に安心して眠りにつく。もちろん、産まれてきたら、怒涛の日々がやってくるのだろうけど、そういえばあっという間にもうこのお腹に娘がいる日々が日常になっていた。1年前にはまだこの世界に産まれ落ちていなかった命なのだと思うと、より何だかしみじみしてしまう。改めて、人間の適応能力ってすごい。

きっとこの日々を懐かしむ日がいつかやってくるのだろうな。そんなことを考えつつ、だんだんと膨らんできたお腹を撫でる。

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昨年末に友人からいただいたポストカードの中に「私が好きな私を覚えていてくれたことにとっても救われた年でした」と書いてあって、そのフレーズがとても好きで、何度も心の中で繰り返している。

長年の付き合いの友人に会うとき、何だかかつての自分に会ってホッとしたような感覚になるのはこれなのか、と思った。つい、仕事や日々の忙しさにかまけて、あんなに好きだった物たちから物理的にも精神的にも離れてしまっているときがある。誰しも経験したことはあるんじゃあなかろうか。あんなに好きだったものことに心が動かなくなってしまって悲しい気持ちになってしまったこと。

それでも、友人たちの中に刻まれている私は、昔からずっとアートや本や映画が好きで、変わらずに彼女たちの中にいてくれている。だから、きっと友人たちに会った後に「久々に映画を見たいな」とか「最近読めていなかったけど本を読もうかな」とか「美術館行きたいな」ってなるんだろうなぁ。友人から「これ好きそう!」って私の趣味にバッチリなものを言われて嬉しいのもそういうことなんだろうなぁ。

私も友人たちに対して、私が好きな私を覚えていてくれてありがとう、という気持ちになった。

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引っ越しのために荷物を段ボールに詰めていたら、ずっと部屋に飾ってあったモネの睡蓮のポストカードが目に入った。ふと裏返してみると、幼馴染がオルセー美術館で買ってきてくれたポストカードで、私が25歳の誕生日に送ってくれたものだった。

趣味がよく合う私達は、色んな美術館に行ったり、美味しいものを食べてワインを飲んだりしたっけ。あれから5年が過ぎ、住む街も名前も生活も変わり、それでも、あの25歳のときと何も変わらずずっと好きなものがあること、それを覚えていてくれる人たちがいることにほっとする。

思わずポストカードの写真を撮って友人に「懐かしくって引っ越し作業が進まないわ…」とメッセージをする。

友人から綺麗に取っておいてくれてありがとう、この間送ってくれたポストカードも嬉しかった、と返事が来て、あたたかな気持ちになる。

今日も、好きを心に刻み込んで、生きていく。もしも私がたまにうっかり忘れてしまっても、きっと誰かが覚えていてくれるだろう。そのときはよろしくね。






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