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「すべらない話ハラスメント」が許せねぇ。

 コンプライアンスの時代。社会的・倫理的に相応しくない言動は「ハラスメント」として報道番組などで大々的に取り上げられ、企業内でも研修が設けられ、ハラスメントとは何か、ハラスメントをしないために日々どう心掛けるかを社員に叩き込んでいるところも多い。御多分に漏れずわが社もそういった研修が行われたが、「こんなに雁字搦めじゃ世間話もできない」と不満を仰るのは大抵ハラスメントする側の人物。人間、既得益権が侵されるとなればそれっぽい理屈をつけて抵抗するが、時には自分の粗相を振り返ってみてほしいものだ。

 というわけで今回は、まだ世間一般には広まってはいないが確実に猛威を振るい、被害者を生み出し続けている新たなハラスメントを提唱し、その暴力に苦しみ耐えてきた者たちが狼煙を上げ「NO!」を突き付けるために、全国民を代表して私自身が立ち上がり、告発するものである。とても勇気がいる行為だが、誰かが声を上げなくては現状は変わらない。よりよき世界のため、その嚆矢として、今私は立ち上がった。同士よ、恐れることなく我に続け。反撃の時が今、始まったのだ。

 さて、国民の皆様にご理解いただきたいのは、今もまた酒の席で、あるいは昼休みの時間に度々繰り返されておきながら、その存在を秘匿され被害者の悲痛な声が黙殺されてきた非情なる言論の暴力、通称「すべらない話ハラスメント」についてであります。

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 すべらない話ハラスメント、要は「なんか面白いフリートークしてよ」という、あまりに雑な前フリであたかも会話の主導権を握ったようなツラした挙句こちらの話をマトモに聞かず場を白けさせるという、許しがたい大犯罪のことである。

 通常、人と人との会話には「文脈」「空気感」「お互いの関係性や親密度」といった様々な要因が組み合わさって成立するものであるが、それら全てを無視して「お前の手持ちのすべらない話で俺様を楽しませろ」とのたまう、平安貴族でないと許されない所業をこの令和の世に堂々とやってのける愚か者が、悲しいことに後を絶たない。そして大抵、このハラスメントを振るう者は同級生同士なのに周囲より上に立ちたい上昇志向の持ち主か、人を従える立場の人間がほとんどで、被害者はそれに逆らえない立場にいることが多く、そのため「ハラスメント」と名付けた次第である。

 何が許しがたいかと言えば、これをやる奴は大抵そいつ自身が面白くないのである。自身では鉄板ネタだと思い込んでいるトークの手札を切り崩し、さて在庫が無くなるやいなや雑なフリで周囲にトークのパスを回し、さも「俺が一番面白いでしょ?」と見栄を張るためにそのトークに茶々を入れたりするのだ。相手の話を傾聴しないということは、相手を尊重していないことの現れであり、その時点で許しがたい。

 加えて許しがたいのは、「すべらない話」そのものへのリスペクトの欠如である。すべらない話とは本来、話芸の達人であるお笑い芸人さんが、自身の体験談を自身のトークスキルに乗せて披露し、聴衆を惹きつけるからこそ成立するスタイルであって、そもそも聴く態度のなっていないお前たちにどんな面白い話をしたとて、響くはずがないのだ。もちろん、こちらのトークスキルやトーク内容そもそもの稚拙さは認めよう。だがしかし、相手に面白い話を要求するお前は、その話に耳を傾ける用意は出来ているのか??それを受けて会話の輪を上手く回せるだけの司会スキルはあるのか??それすら出来ぬままふんぞり返っているお前よりも、平安貴族の方がまだ気品に溢れている。スナックのママの脚を触ってる場合じゃねぇんだよ二重ハラスメントじゃねぇか。

 というわけで、これが「すべらない話ハラスメント」の全貌である。対話とは本来、人と人が向き合って成立するもの。それなのに、話を聴く態度がなっていないのも関わらず、相手に面白い話を要求し、あまつさえそれを「採点」する不届き者が、世に蔓延っているのだ。「おまえってホントにおもしろくないよな~」とのたまい、その場の空気を管理する責任すら追わず、誰かを傷つける。そんな生き方をして飲む酒は旨いのか?思いやりを持てと道徳の授業で習わなかったのか??本当はしっかり聞きこめば面白い笑い話も、奴らの傾聴無き態度の前に葬り去られてしまった。私は、そんな面白トークの無念を背負い、今こうしてキーボードを叩いている。

 今一度、国民の皆様には改めて訴えたい。「すべらない話ハラスメント」が許せねぇ。以上です。ご清聴、ありがとうございました。

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