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韓国映画『鬼手』はホビー漫画×暴力の危険なPPAPだ。

 今年の秋は、エモの秋だった。

 『TENET』を観ては「美しい男と男の死をも厭わない強い結びつき…ロバート・パティンソン……」とうわ言を繰り返し、『ゆるキャン△』を観て初めて「エモい」という言葉の真の意味を知った。その上今は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の原作小説をまとめ買いし、夜な夜な枕を涙で濡らしている。触れた作品の一つ一つに感情を揺さぶられ、充実したエンタメライフを営むことができたと思う。

 だが、何かが決定的に欠けている。そう、暴力だ。

 血と硝煙の香りに塗れたノワール、飛び交う怒号と拳、美しい男と男のブロマンス……。日常では発揮しようもない暴力衝動を映画に託すボンクラ青年であるところのおれは、今や完全に牙を抜かれた狼そのものだ。獲物に食らいつく勇気さえ持ちえず、ただただ怠惰に日々を消化する屍。

 そんなおれに舞い込んだ朗報、あの傑作韓国映画『神の一手』の続編にして前日譚が『鬼手』のタイトルで日本公開されるというではないか。

 地元での公開はかなり遅れたものの、囲碁映画を名乗るにはあまりに常軌を逸した本国ポスターがTLを席捲し、おれと同じリティク・ローシャンの女からの素敵レビューが投稿されていた。『鬼手』への期待は日に日に増すばかりで、クォン・サンウの豊満な胸筋を観るたびに色んなものをハッスルさせていた。そして待ちに待った最寄り劇場での公開初日、鑑賞を終えて真っ先に浮かんだ言葉は「異常」の一言であった。

 両親を失い、唯一の家族であった姉も自死してしまった貧しい一人の少年。彼は生前の父から教わった囲碁の腕前だけを頼りにソウルへ移り住み賭け碁に勤しむことになるのだが、そこで師に出会う。厳しい修行を経て一級の棋士へと成長した青年だったが、師を殺され、またしても孤独の身となってしまう。彼は奪われた大切な者のために復讐を誓い、あらゆる最強の棋士に立ち向かっていく。

 韓国映画といえば今やノワールとバイオレンスの総本山だが、そこにまさかの知的ゲームである「囲碁」が大胆なエントリーを果たしたのが本作『鬼手』である。囲碁、時々暴力という正気とは思えないマッシュアップを実現させた前作『神の一手』の成功に学んだ韓国映画界は「囲碁とバイオレンスをもっと濃厚に絡ませよう!」というマッドサイエンスを勇猛果敢にも行い、その結果誕生したのは「異常ホビー囲碁漫画の実写化」とも言うべきおぞましい代物だったと言えよう。

 本作の魅力は何と言ってもキャラクターの濃さだ。韓国の裏社会では囲碁が強くないと大成しないのか??と思えるほどにみんな囲碁が強いし、囲碁の勝敗で全財産や不動産を賭けるのは序の口。果ては負ければ腕を切られるとか硫酸をかけられるとか、一事が万事勝敗が痛みや死と直結しているのが少なくともこの作品における「囲碁」なのだ。

 やっていることは非情に血なまぐさいのだが、遊戯の勝ち負けが人命や世界征服に直結するほどの影響力を持つのは、いわゆるコロコロコミックで連載されている玩具宣伝漫画のあの感じにありがちな特徴だ。ベイブレードとか、ビーダマンのアレですよ。そこに少々のバイオレンスや欠損描写を足したら『鬼手』になるというのは、映画をご覧になった方ならご納得いただけると思う。

 各見せ場に登場するボスキャラクターも曲者揃いで、「長城の占い師」は霊能力を駆使して相手のトラウマを掘り起こし揺さぶる異能者、負けるたびに掛け金を倍にして自身を追い込む破滅型スピード棋士「釜山の雑草」、復讐鬼である主人公に復讐するためにデス碁盤を自ら考案した「復讐棋士ウェトリ」などなど、当たり前のように全員に二つ名が用意されているのも笑いを誘う。

 そんな彼らが本気マジで囲碁による命の奪い合いを交わし、時折直接的な暴力に及ぶ様を観ている内に、観客は囲碁と暴力の境目が曖昧になっていく。囲碁で勝敗がつかないとなれば即・実力行使!という短絡的思考の下に繰り出されるバトルシーンは韓国映画なだけあって質が高く、主演のクォン・サンウは冒頭のシーンで披露したバッキバキの身体から繰り出されるパンチと素早い身のこなしで刃物を華麗に捌き、名も無きモブに異常なまでのスピードファイターがいたりと、全く飽きさせない。

 囲碁のルールがわからないために楽しめないのでは?という鑑賞以前の不安を帳消しにするかのごとく、囲碁の勝敗に観客を納得させるようなロジックを一切挟ませずキャラクターの異常性だけで押し切り、最終的に拳で解決!という潔さでエンドロールまで連れて行ってしまう剛腕さ。実写版『ちはやふる』の丁寧さとは一線を画す、テーブルゲーム映画に新たな価値観を刻み込んだヤバい映画が『鬼手』の正体なのだ。

 意味不明、リアリティが迷子、とにかく異常。本作を口汚く罵倒するのは簡単だが、作り手には明らかな勝算があった。滅茶苦茶で現実とは乖離したシチュエーションも、俳優の熱演と暴力で押し切れる、と。

 そしてその試みは見事に成功し、唯一無二の魅力を放つ暴力囲碁映画という二つ名を得るに至った。こんな映画は間違いなく今の日本には作れないし、作ろうとも思わないはずだ。だからこそ、韓国のエンターテイメントの底力に私たちは憧れ、ときに畏怖するのだろう。『鬼手』を観て、これを製作し許容する人々の創造性と国民性に改めて驚かされた。絶対に観た方がいい。

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