第293回 古代の塩づくりをめぐる議論

1、論文を読んでみよう Vor.4

今回取り上げる論文は

阿部芳郎2016『「藻塩焼く」の考古学ー縄文時代における土器声援技術の実験考古学的検討ー」『考古学研究』63ー1

になります。

実はミヤギは古くから塩づくりの歴史があり、縄文時代の塩づくりに使われる製塩土器が出土する遺跡が数多くあります。

また多賀城に陸奥国府と鎮守府が置かれた時代にはその需要を満たすために生産量が求められ、薪として多くの木が伐採され環境が大きく破壊されたという説もあります。

江戸時代にも盛んに塩田が営まれ、藩の財政を支えていました。

今回はその製塩技術に関する議論を取り上げます。

2、本論文が掲載されている雑誌の構成

論文

鶴来航介「結合構造から見た組合せ鋤の機能と地域性」
弥生時代から古墳時代前期の農耕具のスキについて刃部の形状分析を元に検討された研究。

小田裕樹「盤上遊戯「樗蒲(かりうち)」の基礎的研究
古代の平城京や三重県斎宮跡、岩手県柳之御所遺跡などでみられる記号が記されたモノを盤上遊戯の道具だと推定して検討を行う研究

展望
脇山佳奈「松帆銅鐸発見記念シンポジウムに参加して」
2016年2月7日に兵庫県南あわじ市で開催されたシンポジウムの参加記。この銅鐸は石材販売会社工場内の砂山から発見されたといいます。なんとも危機一髪でしたね。

原田昌浩・金澤雄太「渋谷向山古墳事前調査のいわゆる「限定公開」参加」
澤田秀実「「陵墓」立ち入り観察に参加して」
2015年12月4日に実施された奈良県天理市の古墳の限定公開のレポート。この古墳は景行天皇陵に比定されていますので、普段は立ち入ることはできませんが、宮内庁が特別に認めた16学協会36名が参加されたと言います。

中村大・松尾恵【連載企画】アートな考古学の風景 ④
2015年4月に行われた明倫茶会「超縄文」というイベントから見えてきたアートと考古学のコラボについて対談がなされています。

新刊紹介 阿小島香編『北の原始時代』
小畑弘己『タネをまく縄文人 最新科学が覆す農耕の起源』

考古フォーカス
マリ共和国 エスーク・タドメッカ遺跡
奈良県大和郡山市 郡山白天守台の発掘調査

考古学研究会第62回総会・研究集会報告

例会レポート

という構成になっています。

3、今日のフレームワーク

・どんなもの?
縄文時代に行われていたとされる海藻を灰にして塩づくりをするという手法について、出土遺物の分析から、工程をモデル化して、再現実験を行なって検証するもの。
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・先行研究と比べてどこがすごい?**
製塩を行なっている遺跡から大量に出土する焼けたウズマキゴカイなどの生物痕跡から、海草を焼いた灰を土器の内部に入れたまま海水を煮沸した方法を想定し「補注式灰煮沸法」と名付けています。

新しい時代の製塩技術から遡って推定されてきた手法ではなく、遺跡の出土状況を元にして、合理的に説明できる手法を採用しているところがオリジナルと言えるでしょう。
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・技術や手法のキモはどこ?**
作業効率を図るために、同じ形の土器を用意して、4パターンの実験を行なったこと。
実験1は土器内で海草を利用して海水を煮詰める手法。乾燥させた藻と藻灰の二種類を用意します。実験2では藻灰を土器の内部に入れて加熱し、これに適宜海水を注いで煮沸する手法。対比のために海水のみの煮沸も試します。
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・どうやって有効だと検証した?**
実験終了後の土器に付着した成分を分析し、遺跡から出土した製塩土器の分析結果と比較することで実験が有効であるかを検証しました。
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・議論はある?**
これまで製塩土器の編年を通じて関東〜東北と瀬戸内海の土器製塩は別の系譜の技術と考えられてきた事に対して、微小生物の痕跡を共有するという観点からは何らかの可能性があると指摘しています。

これについては通説を大きく変更するものであるので大きな議論を生むことになると考えられます。

また実験結果により、採鹹(海水を濃縮する作業)を必要としない土器製塩の存在が指摘されるが、今後採鹹に関わる遺構が見出される可能性も捨てきれないのではないでしょうか。

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・次に読むべき論文は?**
阿部芳郎2010「製塩土器の生産と資源流通」『移動と流通の縄文時代史』

今回は掘り下げられなかった製塩土器について、
同じ著者の過去の論文を確認してみたいと思います。
**
4、塩釜に衝撃が走る?**

さて、今回の論文読解はいかがだったでしょうか。

正直言いますと実証実験の条件付けや計測データなどが正確に理解できているかというと自信はありません。そんな状況で説明しているのでうまく伝えられているか不安です。

とは言え論旨は整理できたと思います。

出土遺物の科学的分析から想定される製塩方法について実験を行い、検証を行なったこと、その結果従来考えられているのとは異なる手法が縄文時代、日本の東西で行われていたのであろうという結論に至ったことになると思います。

その結果、ミヤギは塩釜のホンダワラ神事は創作された儀礼だと断じています。

これは地元民にとってはとても衝撃的なこと。

古来より受け継がれていた伝統的な手法と思われていたものが、遺跡から見出された古代の手法と明らかに異なると証明されたということなのですから。

また今回は雑誌の構成を紹介するなかで他の論文にも一言コメントを付してみました。

ぜひ感想などお寄せください。

#毎日更新 #歴史 #エッセイ #考古学 #論文

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