第1399回 人の智は、さまざまの難儀苦労をするより生ずるものなり

1、読書記録323

本日ご紹介するのはこちら。

山田康弘2023『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘』中公新書

2、古いイメージを壊す快感

戦国時代の「将軍」は7人。

八代将軍足利義政から十五代の義昭まで。

古くは

せいぜい京都とその周辺だけにしか影響を及ぼすことができなかった

細川氏や三好氏の傀儡であった

というイメージを抱かれがちだった戦国時代の将軍ですが

なかなかどうして、そう単純な話ではないですよ、というのが本書の主眼です。

まず前史として室町幕府の成り立ちから語られ、なぜ不安定な組織となったのか、が考察されます。

そして列伝的の将軍たちへの権力移譲の様子が語られていきます。

その中で最も印象的だったのは八代義政と九代義尚の関係。

一般的なイメージでは義政が応仁の乱後は政治に意欲を失って東山銀閣に代表されるような文化的な施策に走り、趣味に没頭したような印象でしたが、

そもそも文化芸術の振興にかかる莫大な費用を捻出できたのは、義政自身が権限を握っていたからに他なりません。

一方の義尚は、なかなか権限を移譲したがらない父からの脱却を図るために近江六角氏へ自らが大軍を率いて攻め込んだ、と著者はいいます。

もし、このあと義尚が近江で父の干渉を排しつつこのまま親政を行い、奉行衆以下の将軍直臣を掌握しながら着実に実績をあげていけば、どうなったであろうか。

京都への凱旋後も権力を掌握できたであろう、と思われましたが、史実ではそうならず、長引く戦の最中で、将軍義尚は病に倒れてしまいます。

そこで父義政は中風で公文書に花押を書けない程であったにもかかわらず政務を執り続けました。

文化芸術にかける執念に改めて驚かされます。

そして続く10代将軍義稙もやはり六角征伐で求心力を得ようとしますが、

先代の愚を犯さず、敵を深追いせず適度な勝利で凱旋することにしました。

ここまでは良かったのですが、続けて畠山氏と斯波氏の要請に応えて次々と別な戦をはじめてしまったのです。

この後は、義澄、義晴、義輝、義栄、義昭と代が変わっても毎度同じ構造の争いが続いていきます。

つまり、一人の大名に依存せず、複数の支持のもとバランスを保とうとする将軍と、権力闘争で抜きん出ようとする大名たちとの駆け引きが繰り返されます。

京都を追われ、取り戻し、義輝のように命を落としてしまうものまで。

それでも結局足利幕府が存続したのは何故だったのか。

著者は将軍は大名たちの「あこがれ」の対象だったと解きます。

軍事力や経済力といった「ハードパワー」は失いつつも

「ソフトパワー」は未だ有していた、ということ。

将軍家が持つ格式、授けられる栄典、正当化根拠に和睦の仲介など利用価値があったのです。

その力が求められる根拠として著者は

大名たちは意外と武力衝突を回避しようとしていたことから説明します。

「戦国」という名称とは裏腹に、他の時代より意外に平和であったとまで言います。

この時代であっても社会的に「正しいこと」「そうでないこと」の区別はそれなりにあったのです。

「下剋上」は当たり前ではなく、批判されるべきことであったのです。

3、歴史を学ぶことの意義

著者は「はしがき」の中で問います。

私たちにとって過去を知ることに、どのような意味があるのだろうか、と。

私たちは自分が生きている現代の世界があまりにも身近な存在であるがゆえになかなか見えてこない。

だからあえて過去の世界と比較してみる。

「すでによく知っている」と思い込んでいた現代の世界を自分が意外に知っていなかったことがわかってくる。

そしてあとがきに記された著者の最後の文章が突き刺さります。

過去を知ることはおもしろい。しかし、過去の事実を知るだけで満足し、それでおしまい。という過去学(ダークサイド)に堕ちてはならない。

肝に銘じたい言葉です。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?