第1391回 青森旅行記 その5

1、ようやく辿り着いた

いよいよ今回の旅行の最終目的地である三内丸山遺跡についてご紹介していきたいと思います。

北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されたことは記憶に新しいですよね。

これまた20年近く前、学生時代に訪れたことはありましたが、

当時と比べるとガイダンス施設もリニューアルされ、大きく印象が異なっていました。

2、縄文最前線

三内丸山遺跡は

三内丸山遺跡では、平成4年(1992年)から始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)の大規模な集落跡が見つかりました。たくさんの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土しました。

と公式ページでまとめられている通り、我が国を代表する縄文時代の遺跡として知られています。

中でも六本柱の大型建物跡は、その迫力とミステリアスな佇まい(要はなんのための施設だったかわからない)で人を惹きつけます。


地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡です。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていました。地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていました。6本柱で長方形の大型高床建物と考えられます。

発掘調査で見つかっているのは柱穴ですから、正確な上物はわかりませんが、

物見櫓だったのか、高床倉庫だったのか、階級差がなかった縄文時代ですから、王の居所ということはないでしょうね。

大型竪穴建物跡も大迫力です。

長さが10メートル以上のものを大型住居跡と呼びます。三内丸山遺跡では最大のもので長さ約32メートル、幅約10メートルのものが見つかっています。集落の中央付近から見つかることが多く、集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。

実は今回訪問時は作業中で内部が見られなかったのですが、ちょうど茅葺き屋根の維持管理のための燻蒸作業が行われており、


これは雑誌『月刊文化財』によく広告出している「スーパーケムラー」ではないか!と一人でちょっと興奮していたのはご愛嬌。

史跡公園内には、さまざまな復元建物があり、竪穴建物もあえて上部構造に差をつけて整備しているようでした。

茅葺のままのものだけではなく、上に土を被せたものもあり、

ついつい一軒ずつ内部を覗いてみたくなります。


また、発掘調査でトレンチ(縦方向に深い溝状に掘る形、塹壕)調査した状況をそのまま見せるような保管設備がいくつもあり、

土層断面が間近で見られるいいチャンスです。

そしてガイダンス施設は常設展と特別展があり、かなりのボリュームです。


詳しく説明すると長くなるので、あえて触れずに、ここだけ、の珍しい施設をご紹介します。

まずは縄文ビッグウォール。


出土した本物の土器を5120個も使って壁を装飾しています。

これは活用の難しい破片資料の画期的な利用方法か!とニュースになった時は印象深かったですが、実際に見るとけっこう大きめの破片もあり、

これっていいのかな、

という気持ちの方が強くなってしまいました。

後の時代の考古学者が「この土器が見たい」という調査依頼をしてきたら

ビックウォールのあの辺に刺さっていますよ、と案内するのでしょうか。

そして収蔵庫や整理作業場の公開スペース。


最近このようなバックヤード公開!という施設も増えてきましたよね。

でも仕事している側の立場だったら、常にお客さんの視線に晒されているのは辛いかな…

総合していえることは、やはり山内丸山は縄文時代に限らず、全ての時代を通じて「史跡」のガイダンス施設としては最先端を行っているな、ということでしょう。

3、先輩はいつも大きな存在

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

実は三内丸山の施設には私の大学院時代の先輩が勤務しており、直前に連絡したにも関わらず、顔を出してくれてご挨拶することができました。

いつもいきあたりばっかりの後輩で大変申し訳なく思いました。

それでも今回の青森旅行は最終目的地だけ決めてあとどこを見るかはゆるっと決めていただけでしたが、十二分に楽しむことができました。

次はいつこのような旅行ができるでしょうね。

その際にはまたこのnoteでご紹介していきますね。

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