第327回 勝手に考古学用語解説 No.9金印
1、水田の中から金色の輝き
明治大学文学部の石川日出志教授から、平成30年1月21日に福岡で行われた
シンポジウム 「漢委奴国王」金印を語る~真贋論争公開討論~
の資料をいただいたので、これをもとに今回は「金印」について解説していこうと思います。
画像は是非リンク先の福岡市のページでご確認ください。
金印が発見されたのは江戸時代、天明4年(1784)のこと。
福岡県福岡市の志賀島で農民が耕作中 に見つけたとされます。
領主である福岡藩黒田氏に献上され、藩の学問所の学長であった 儒学者亀井南冥が『後漢書』に記述のある金印であると同定しています。
その後明治維新後に黒田家が東京に移った際に東京国立博物館に寄託、福岡市美術館が開設されるに伴って福岡市に寄贈がなされています。
古くは九州帝国大学の中山平次郎によって調査がなされたのを嚆矢として、研究が進めら れ1954年には国宝に指定されています。
2、考古につきものの真贋論争
金印については、古くから江戸時代に作られた偽物だという説が唱えられてきました。
代表的なものを挙げると
日本文学の研究者である三浦佑之は『金印偽造事件―「漢委奴國王」のまぼろし』におい て、
・発見時の記録にあいまいな点が多いこと
・江戸時代の技術なら十分贋作が作れること
・滇王之印に比べると稚拙
などから先述の亀井氏らによる偽造説を唱えています。
また古代史研究者である安本美典や京都大学東洋史の宮崎市定、工芸文化研究所理事長の鈴木勉などが議論に参加しています。
ここで弥生時代の研究で名高い考古学者、石川日出志の論旨を紹介しましょう。
シンポジウム講演資料の題名が「この金印は後漢初期にしか製作できない!」なので、真作説だということはお分かりかと思います。
石川氏は実物資料として金印を多角的・複眼的な検討を行うべきと主張します。順を追って整理していきますと
① 尺度論
金印のサイズが後漢代の一寸=2.35cmが基準になっているかという問題。実は江戸時代にはその情報がすでに日本でも知られていたので、偽造されていても同じサイズで作ることは可能だということ。尺度だけで真贋を決めるのは限界があるという結論です。
② 金属組成
金印に使われている金の純度がどうなっているかという問題。蛍光X線分析という手法で90~95%という値が示されていますが、これは同じ後漢代のモノとされる出土品 のデータと比べても問題ないという結論です。
③ 紐(ちゅう)の形
金印の紐を通す部分は蛇の形をしています。この形はもちろん時代によって少しずつ変化していきますので、類例を集めて比較することでおおよその年代的な位置づけを推測することができます。
「集めて、比較する」ことは考古学の原則。石川氏は42例を集成して分類した結果、やはりこの金印が作られたのは後漢代という結論を導き出しています。
④字形
そして最後は印文の文字に注目します。すでに中国で進められた研究によって、年代が推定できる副葬品を持つお墓からの出土資料や、その時代にしかない地名や官職が記されていることによって印の年代がわかる場合があります。
それらとの比較で、五文字すべてが前漢代から後漢代への過渡期的特徴を見出せると石川氏は主張します。
結論として、金印は今から二千年近くまえの日本列島に住む倭人と呼ばれた人々の中でも最有力者が漢の光武帝から下賜されたものとして間違いないと断定しています。
3、論争を楽しもう
いかがだったでしょうか。
各地の石碑も真贋論争になることがありますが、やっぱり盛り上がりますよね。
議論を楽しむためにも、基本的な知識と、論の妥当性をみることができる教養が求められる気がしますね。
もはや一年前のシンポジウムですが、前述の三浦氏、鈴木氏もパネリストとして参加していたようなので、どう反論したのか興味深いですね。
河合敦さんの参加記がありましたのでそちらも参考にしてみてください。
もし読者の方で実際にお聞きになった方がいたら是非教えてください。
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