【読書メモ】『傷ついた日本人へ』(著:ダライ・ラマ14世)
少し前になりますが、台湾でチベット侵略に対するデモが行われていたようです。日本でも同日に行われていたようで、読売新聞さんが取り上げてくれたのかな、、その他の地上波も含めたオールドメディアはどうだったんだろうなぁ、、
デモはチベット動乱(共産中国によるチベット侵略)が本格的に始まった「3/10」に行われたとのこと、それで思い出したのが『傷ついた日本人へ』、チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世からの、題名も示している通りに、東日本大震災で傷ついた日本人に向けたメッセージをまとめた一冊となります。
仏教観に彩られた、慈愛に満ちた様々な言の葉が綴られています。意外だったのは、密教の信仰が継承されているのが「チベット仏教」と「日本仏教」の二か所だけとの点、これは大切にしたい「絆」ではないかと。
そんな仏教ベースの人生訓のような本書ですが、後半では「科学する宗教」なんて観点もあって、知的好奇心への刺激もなかなかに、、やはり「文化としての宗教」は興味深いです。個人的には、宗教を信仰対象としてみるには歴史学の視座の影響もあって、どうにも素直に落ちてきたことはないのでアレですが。。
科学の定義を「自らの言葉で思考し、検証し、実証し、体系化していくこと」とすると、この視点は非常にスルっと入ってくる内容です。また現時点では「脳科学者たちも意識が何かわからない」とありますから、仏教の「死後も意識は消失せず、他の生命の意識として生まれ変わるもの」との概念についても、否定は出来ていないとも言えるのでしょうか。
ふと思い出したのが、小説にはなりますが『ロスト・シンボル』での「意識の質量の話」や『生物と無生物のあいだ』での「生命の定義」といった話。ある意味、狭義での文理横断の視点は歴史学が基礎学問にあるからかなぁ、と、善し悪しを鑑みながら、、なんて考えていたら、お釈迦様のお言葉は、正しく「科学」だよなぁ、と納得してしまいました。
個人的には、宗教を学問としてみた場合の社会的有用性の一つは「倫理観(モラル)」を養っていく点かな、との認識です。
日本人にとって「お天道様が見ている」、「他人様に迷惑をかけない」との感覚はそんなに違和感なく受け取れるものと思いますが、この背景には神道があるのかなぁ、となんとはなしに。「教」ではなく「道」とつくあたり、他の「宗教」とはまた異なる思考体系だろうなと思いますし、誇るべき文化と、個人的には。
そういえば、ブラッド・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」、定期的に放映すればよいのにとはチベット侵略の話題を目にする都度、感じます。せめて公共放送ならその位の気概は、、まぁ、期待できないかな。。
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