見出し画像

祇園囃子は彼方へと

    男女交えてのボウリングとカラオケに行ってきた。半数以上は初対面である。ボウリングについてはそれなりの経験値があるため180オーバーを出せたが、カラオケはまったくの不得手だ。

  それでも少し前までは、男女交えてウェイウェイするだけでそこそこ楽しめた筈だが、今は虚無に襲われている。

   これはその場の男女がダメという話ではない。みんな気のいい連中だった。ただ俺が老けただけなのだと思う。いわゆる健全な男女グループ交流みたいなものに完全に飽きてしまっているだけなのだ。

   話の合うオッサンと飲むほうがよほど楽しくなってしまっているのだ。もしくは、パコラビリティがある程度発生している魅力的な女とサシで飲まないと高揚しないメンタルになってしまったのだ。こうやってオッサンは偏屈を深めていくのだろうと実感している。

   偏屈な上に、女とはしっかりやりたい。でも交際じみたことはしたくない。こんな生き物は世間から忌避されて当然といえば当然だ。

   幹事曰く、カラオケのあとさらに祇園祭に行くとのことだったが、疲労を隠せなくなっていた俺は、相手にも申し訳ないため離脱することにした。

   彼らと別れたあと、ひとりでラーメン屋に入りつけ麺を注文する。適当に選んだ店だったがなかなか美味かった。カラオケに於ける幾ばくかの居心地の悪さから解放されて、ホッとする気持ちも正直あった。

   そして、今この文章をペチペチと書いているうちに虚無を脱しつつある。若い女もいるグループ交流を蹴って、ひとり変な文章を書くことで気持ちが穏やかになってしまっているのだ。

   これは一種の変態というか、要はどんなに背伸びしても俺は根っこのところで陰キャなのだろう。しかし、もうそれでも構わないという諦念も固まりつつある。

    スミレはスミレのように咲くだけであるし、俺は俺として生きるしかないのだ。俺なりの悦びがそこにあるならば、それをやるしかないのである。

   祇園祭に向かう彼らの背中は最早彼岸のものである。彼らはきっと俺の喪った季節を未だ生きている。存分に祭りを楽しんできて欲しい。その最中でカップルの一つや二つも生まれるなら大変めでたいことだ。俺も通った道だ。そしてもう戻れない道なのだ。

   祇園囃子から遠ざかる帰りの道すがら、グループラインの彼らに向けて送ったメッセージが以下の通りである。

皆さん、ありがとうございました!
またいつかお会いできる日を楽しみにしています。
それでは、お先に失礼します。 

(了)

お酒を飲みます