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人はなぜ超常現象を信じるか──戦間期の英国を侵したスピリチュアリズム(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」第17回
"The Haunting of Alma Fielding: A True Ghost Story"
by Kate Summerscale(ケイト・サマースケイル)2020年10月出版

本書の著者、ケイト・サマースケイルは2008年に"The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder at Road Hill House"(『最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』日暮雅道訳・早川書房)という素晴らしいノンフィクションを出版しています。同書は英国で最もすぐれた(とされる)ノンフィクションに与えられるサミュエル・ジョンソン賞を獲得してベストセラーになりました。その著者が今度は心霊術にかんする本を書き、またしてもベイリー・ギフォード賞(上記サミュエル・ジョンソン賞が2015年に名称変更されたもの)の最終候補になりました(受賞作はクレイグ・ブラウンがビートルズを描いた"One Two Three Four"でしたが)。
「取り憑かれたアルマ・フィールディング」ないしは「アルマ・フィールディングの憑依」とでも訳せる本題に「本当の幽霊物語」という副題がついています。はたして現在、「本当の」と強調されたところでゴーストストーリーを信じる人がいるでしょうか? これはひとひねりある副題で、本書の背景となる二大戦間の1930年代当時、アルマ・フィールディングという主婦をめぐる心霊現象が正真正銘真実の幽霊物語であると「された」という、シニカルな響きを帯びています。

「霊媒」主婦アルマと「ゴーストハンター」フォードー

本書の主要登場人物は、アルマ・フィールディングという1903年生まれの労働者階級に属する主婦と、ナンドー・フォードーという1895年生まれのユダヤ系ハンガリー人、ブダペスト大学法学部卒業後アメリカへ渡ったジャーナリストの二人です。

フォードーはニューヨークでスピリチュアリズムに興味を持ち、同地を訪れていたコナン・ドイル(シャーロックホームズの著者)とも親しくなります(ドイルはスピリチュアリズムに傾倒していた作家として名高い)。同じく同地で英国の新聞王ロザミア卿と知り合って彼に雇われるという幸運に恵まれ、ロンドンでのジャーナリスト活動を始めます。

スピリチュアリズムが盛んだった1930年代のロンドンで、彼は早速複数の心霊学研究組織に加盟。その後ジャーナリストの仕事を辞めてInternational Institute for Psychical Research(国際心霊研究協会)の主任専任研究員になります。同会の目的は心霊現象を科学的に解こうとするものでした。
英国のスピリチュアリズムはもっぱら労働者階級で流行した現象でしたが、同会は年会費が高額だったため、富裕層、医師・弁護士などの専門職が会員でした。

こうしてフォードーは英国各地の心霊現象を訪ね歩くうちに、アルマというロンドン郊外に住む34歳の主婦の周辺で怪奇現象が頻繁に起きるという噂を聞きつけます。彼女はサウスケンジントンの国際心霊研究協会に招かれます。フォードーのほかに数人の協会員や医師が集まり、アルマが招き入れられた部屋には隠しカメラが設置されました。ふつう、霊媒と交信し怪奇現象を起こすとされる人物は照明を落とした部屋を好むものですが、アルマは意に介しません。女性職員によって身体検査をされたのち、手を使ったりできないよう、アルマは両手にコップを持たされます。午後3時半、アルマが座っている場所から5メートルほど離れた場所にブラシが落下する大きな音がしました。午後4時過ぎ、アルマが室内を歩いていると彼女の背後でまた大きな音がして、薬瓶が現われます。驚いたアルマはそれを拾い、自宅の化粧台のうえにあるはずの薬瓶だと確認します。これは心霊界の用語でアポート(幻姿)という、霊媒によって物体が動いたり出現する現象です。その後も、アポートとして彼女の自宅にあるべきものが彼女の周囲に出現しました。

こうした現象は、ある日アルマが腎臓付近の激痛に倒れ夫のレスリーが口から出血して、共にベッドに横臥していたとき、室内の鏡に6本の指の跡が現われたときに始まった、とアルマは言いました。それ以降、室内のコップが飛び回ったり電気がつかなくなったり、台所に立ったアルマのそばで卵が割れたりしました。

こうして国際心霊研究協会によるアルマ研究は続き、彼女も色々な場所で心霊現象=超常現象を披露します。我々読者は、アルマの周辺で起きる不気味で驚くべき現象の数々を目撃してゆくことになります。21世紀の読者たる我々はそれがすべてでっちあげだと承知していても、著者のたくみなペンによって1930年当時の雰囲気にすっかり浸ってしまい、当時の人々が感じたかのようなスリルを共有することになるでしょう。次々と生じる幻姿のほか身体離脱など、扇情的になりがちな現象をクールに描くその筆致が、かえって穏やかならぬ戦慄をかき立てる――それは"The Suspicions of Mr Whicher"で存分に見せてくれた著者、サマースケイルの技量です。

抑圧された人々をめぐる重層構造のエンターテインメント

本書は霊媒アルマ・フィールディングと心霊学研究者ナンドー・フォードーそれぞれのミニ伝記でもあると同時に、その両者、すなわち「調べられる者」と「調べる者」の一騎打ちの書であり、さらには二人が「活躍」した二大戦間英国社会の精神史のスナップショットであるとも言えます。順不同に説明していきましょう。

(1) 二大戦間英国社会の精神史(おおげさですが)
第一次世界大戦で英国は80万から100万人の死者を出しています。これが社会に与えたショックは第二次大戦の比ではなく(第二次大戦での死者は45万人)、愛する者を失った喪失感が蔓延し、死者のよみがえりの期待が高まり、さらには戦争神経症を抱えた兵士が続々と帰還し、心霊現象に慰めと気晴らしを求める人々が増えました。著者はこの時代を、超常現象乱発の時代・心霊研究の黄金時代と位置づけます。
蛇足ながら、ネス湖の怪獣ネッシーの目撃例が増えたのも1930年代からです。さらに1930年代も後半に入ると、大陸におけるナチスの台頭やユダヤ人迫害など将来を不安にさせる要因が加わります。

(2) 調べる者(フォードー)と調べられる者(アルマ)の一騎打ち
フォードーは1928年にブダペストからニューヨーク経由英国入りしたジャーナリストで、英国民が分かち持つ戦後ショックとは無関係。死後の世界に興味を持ち心霊現象が本物であって欲しいという熱い思いを持つ人物ではありましたが、「本物」であるためには科学的に証明されなければならない、というジャーナリストとしてのこだわりを持っていました。矛盾とまでは言いませんが、そうした二つの方向性を抱えながらフォードーは、アルマの研究に激しくのめりこんでゆきます。

アルマは結局いかさま師ということになるのですが、医者や弁護士などロンドンの知識人たちをまんまとだましたうえに、フォードーの熱意に応えようと心霊現象の発現をますます派手に、凝ったものにしてゆきます。ある意味で二人の関係は意識されなかった「共犯関係」と言えるでしょう。

(3) フォードーとアルマのミニ伝記
最終的にフォードーは降霊室(あるいは交霊室)にX線撮影機を仕掛けて、アルマのトリックを見破ることになります。あまりに即物的で興ざめな大団円だとお思いになりますか? ところが物語はここで終わらず、フォードーはトリックを知ったのちも、それを口外することなくアルマに超常現象のパフォーマンスを続けさせます。降霊術が本物ではなかったことに失望したフォードーなのですが、彼の関心は、なぜアルマが取り憑かれたように(!)いかさま心霊術を繰り返すのか、という点に遷移します。「取り憑かれたアルマ・フィールディング」というタイトルの意味がここで一転する、ないしは二重性を帯びるわけです。

フォードーの分析はアルマの心霊術にではなく、彼女の人生そのもの(生育状況、家庭環境、夫婦関係など)に向かい、論文を書き上げます。たまたま同じ年(1938年)、フロイトがユダヤ人迫害を避けてウィーンからロンドンへ移住していました。フォードーは論文を持ってフロイトに面会に行きます。数カ月後、フロイトから称賛の手紙が届き、再度フロイト宅を訪れたフォードーは精神分析の始祖から激励の言葉をかけられます。戦後、フォードーはニューヨークに戻って何冊かの著作を発表し、精神分析家として成功します。診療室に掲げたフロイトからの手紙が箔をつけたという話です。
一方、信用を失ったアルマは英国がドイツに宣戦布告をした1939年9月、ロンドン郊外を去ってデボン州の海の近くに移住します。戦時中彼女は負傷兵の手当などに従事しますが、戦後は近所の村人や子どもたちに降霊術を見せて気味悪がられるなどし、最後は健康をそこなって1976年に亡くなります。

アルマとフォードーに焦点を当てましたが、本書にはほかの霊媒や研究家たちも登場し、二大戦間の英国を侵していたスピリチュアリズムを垣間見ることができると同時に、抑圧された心の傷と超常現象の相関関係を感じ取ることができます。そして、社会変動(と個人的不幸)にさらされた人間がいかにもろく理不尽な恐怖に支配され、けしからぬものに心を捧げてしまうか、そうしたことを改めて気づかせてくれる、重層構造のエンターテインメントです。

※豪ABCラジオで2020年10月に放送された著者インタビュー
https://www.abc.net.au/radionational/programs/latenightlive/true-ghostly-hauntings/12722556

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。ロンドン在住。翻訳書にジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々:外国人旅行者が見たファシズムの勃興』、フランク・ラングフィット『上海フリータクシー:野望と幻想を乗せて走る「新中国」の旅』、アリエル・バーガー『エリ・ヴィーゼルの教室から: 世界と本と自分の読み方を学ぶ』、フィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』(いずれも白水社)など。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』でロンドンを担当。
インスタグラム satoshi_sonobe

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