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「気候変動」を当事者として考えられる「ナラティブ」の力(太田直樹)

太田直樹「未来はつくるもの、という人に勧めたい本」 第8回
Tales of Two Planets: Stories of Climate Change and Inequality in a Divided World
著:John Freeman 
Penguin Books 2020年8月発売

100年後にはアイスランドの巨大な氷河はほぼ確実になくなっていて、20年後にはワイキキビーチは海面上昇で水没しているかもしれません。気候変動については様々な「ファクト」がありますが、控えめに言ってそれらをどう捉えていいのかとまどってしまうし、もっと言ってしまえば自分ごとに感じられません。それはフェイクだという反論もあります。

”我々はファクトの海を泳いでいるけれど、ファクトは、物語の一部になって初めて、その深さやその力を十分に発揮する。”(Introduction by John Freeman)

Tales of Two Planetsは、世界の様々な地域に住む書き手による、気候変動についての短編集です。昨年に一度さっと読んだのですが、今回朗読を聞いてみて、「ファクト」が自分の中に染み込んでくるようでした。読んでみたいと思った方には、Audibleをおすすめします。

<動画>
Tales of Two Planets, edited by John Freeman

先進国で語られること

インフラの整った先進国では、気候変動を身近なこととして感じる機会はあまりないように思います。それは専らSDGsなどの概念として掲げられています。SDGsの目標13「気候変動に具体的な対策を」です。「気候変動」や「温暖化」という言葉でGoogleで画像検索しても、先進国の暮らしに関係するものは出てきません。

ただ、世代を超えて時間軸を伸ばしていくと、すでに失われたものやこれから失われるものについて、温度感のある物語が立ち現れます。

祖母が初めて探検して、そのエピソードにちなんだ名前がついた氷河が、孫の世代にはなくなってしまう。(N64 35.378、W16 44.691:アイスランド)
先住民は雨を200通り以上の名前で呼んでいた。80を過ぎた一人暮らしの母が言うように、雨は年々激しくなっていて、自分が育った家は、浸水のたびに姿を変えていく。(THE RAINS:ハワイ)

ハワイには行ったことがないのですが、僕はこの“THE RAINS”が気に入っていて、朗読をときおり流しています。先住民が雨を様々な名前──キリ・ノエ(霧の中の雨)、キリ・オフ(少し霧のある状態)、アバ・アバ(冷たく厳しい雨)、アポ・クエ・カヒ(愛しい人がなくなった後の雨)などで呼んでいた時代から、年々雨が激しくなり、ニューヨークに住む著者が、自分が暮らした家の浸水やそこで一人暮らす母親のことを思っている現代、そしてビーチの水没の危機が言われている未来まで、物語を聴きながら、長い時間軸の中で自分の思いを重ねています。

自分の中で遠くの物語が質量を持つ

気候変動は、先進国のほとんどではいつかの(あるいは誰かの)未来の話かもしれませんが、すでに、いくつかの地域──その多くは貧しい地域の暮らしや人生を変えています。格差は、気候変動と共に進んでいきます。

遠くで起こっている痛ましい出来事を、どのように感じることができるのか。そこで暮らしている人たちは、何を感じているのか。僕は10年ほど、飢餓撲滅を目指す国連世界食糧計画を手伝っていたのですが、今でもこれらの問いは自分の中に残っています。

激しい洪水と干ばつにみまわれる東アフリカのブルンジ。50年前にいなくなってしまった、父が所有していた森のホタルを思い出す。(THE SONG OF THE FIREFRIES:ブルンジ)
長く続く干ばつと集中豪雨による洪水に苦しむ村。幼なじみで惹かれあっていた二人は、厳しく、そして悲しい人生を送り、子供の頃に別れた井戸で再び出会う。(THE WELL:インドネシア)

インドネシアは、ジャカルタしか行ったことがありません。“THE WELL”は、“THE RAINS”の次に収められているということもあって、シンプルで素朴な物語なのですが、何度か聞いているうちに、質量のようなものが自分の中に生まれました。インドネシアに干ばつをもたらすダイポールモード現象は、1999年に日本の海洋研究開発機構によって発見されました。アジアからアフリカまで、大きな影響を起こす現象です。今までは、エルニーニョ現象みたいなものというぼんやりした理解しかありませんでしたが、この物語によって、二人が井戸に向かって歩く光景が浮かぶようになりました。

ナラティブ(物語)は社会を動かすか

そしてこの状況に、政治家やメディアは対応できません。ハイチでも、ブエノスアイレスでも、パキスタンでも。2100年には、少なくとも3億人が、気候変動のために故郷から逃れて移民する必要があると予想されていますが、どのように受け止められるのでしょうか。

温暖化や汚染による海藻の異常発生により、ビーチは大量の落ち葉で覆われたように茶色くなっていて、さらに無数のプラスチックゴミが打ち上げられている。政府の石油開発プロジェクトの資金が横領されていたことが発覚し、街では暴動が起きている。物価の上昇は止まらない。ある若い女性が、ワールドカップのブラジルチーム敗戦に苦痛の悲鳴をあげた。彼女が仕入れていたブラジル関連の商品は、もう三文の値打ちもない。(Machandiz:ハイチ)
メディアは“絵になる“テロリズムの映像を求める。政治家はそれに乗っかろうとする。その傍で、洪水によって2000万人の、貧しくても飢えてはいなかった暮らしが壊れていく。(The Floods:パキスタン)

ある書き手は、気候変動を表す適切な言葉が見つからないといいます。アイスランドを訪れたダライラマをインタビューすることになった著者は、「数千年の変化を一個人の一生で経験するこの変化には、まさに7日間で世界が創られるような神話的な表現が適切なのではないか」と語ります。

どのような物語が社会を動かしうるのでしょうか。20世紀までは「大きな物語」を共有することができましたが、いまは自分が観たい物語を、小さなスクリーンに閉じこもって観る時代になりました。再び大きな物語を共有する時代になるのでしょうか。

風速90メートルの台風がくる日本

日本の村田沙耶香さんは、近未来の物語をつむいでいます。舞台は50年後くらいの日本でしょうか。

気候変動が激化し、資源が乏しい日本では、人々が生存確率によってAからDに格付けされている。努力して格付けを上げて良い仕事に就いて、住む場所と安全な住居を選ばないと、生き残ることは難しい。格付けがAとDのある恋人たちは、悲しい決断を迫られる。(SURVIVAL:日本)

環境省によると今から60年後には、風速90メートルの台風が日本を襲うようになります。首都圏3,000万人の水源の8割は利根川によって支えられていますが、その上流では気温が今から3度上昇し、豊かな水を生んでいた冬の積雪が消失するでしょう。「森の女王」とも言われるブナ林も消失します。これは、それほど遠い未来ではありません。

この本に収められている物語には、明るい未来はほとんど見えなくて、また、課題や危機への処方性が示されているわけでもありません。

それでも、近い将来、厳しい気候変動の中で未来を創っていく物語が生まれるかもしれません。例えば、ローマクラブの『成長の限界』という分析から、しばらく経って『世界がもし100人の村だったら』という物語がインターネットメールを通じて世界に広まり、SDGsというアクションにつながっていったように。新しい物語が、語られることを待っているように思います。

執筆者プロフィール:太田直樹 Naoki Ota
New Stories代表。地方都市を「生きたラボ」として、行政、企業、大学、ソーシャルビジネスが参加し、未来をプロトタイピングすることを企画・運営。 Code for Japan理事やコクリ!プロジェクトディレクターなど、社会イノベーションに関わる。 2015年1月から約3年間、総務大臣補佐官として、国の成長戦略であるSociety5.0の策定に従事。その前は、ボストンコンサルティングでアジアのテクノロジーグループを統括。

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