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「コンパッション」──幸福の連鎖を生み出すために必要なスキル(竹村詠美)

教育の未来を考える起業家 竹村詠美のおすすめ洋書! 第8回
"Standing at the Edge: Finding Freedom Where Fear and Courage Meet"
by Joan Halifax 2018年出版
Compassion(コンパッション)――状況にのみこまれずに、本当に必要な変容を導く、「共にいる」力
著:ジョアン・ハリファックス 
監訳:一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート 訳:海野桂
英治出版 2020年4月発売
「コンパッションは、宗教に関わることではなく、人間そのものに関わることです。コンパッションは贅沢品ではありません。人が生き残るために必須のものです」ダライ・ラマ法王 (本書p343より)

これまで、「コンパッション」という言葉は馴染みのある言葉である一方、どういう意味なのかきちんと理解できていませんでした。日本語で「慈悲」という言葉が最も近い意味合いですが、慈悲という言葉も悟りを開いた人を表現する印象があり、とても自分の近づける世界だというイメージを持てずにいました。大切な資質だということは気づいてはいたものの、具体的にどういう状態で、何を実践すると身に付く力なのか、わかりづらいと感じていたところに出会ったのがこの本です。コンパッションという概念を、著者の長年にわたる実践や研究に基づき豊富なエピソードや講話を通じて伝えてくれる一冊です。

本書で紹介されるコンパッションとは、

人が生まれつき持つ「自分や相手を深く理解し、役に立ちたい」という純粋な思い。自分自身や相手と「共にいる」力

であり、本当に役に立つためには、ときには要請を断り、役に立たない手助けや助言はせず、ただ見守るしかできないことも受け入れる強さが必要なのだそうです。

ネパール奥地での医療支援、終末期医療患者の支援、刑務所での囚人のメンタルサポートといった“崖っぷちの状況に立たされた人たち”の想いを瞑想を通じて深く観察しながら、逃げることなく、自らの立場で出来ることをたゆまず続けてこられたジョアン・ハリファクス博士の綴る言葉には重みとお人柄を感じます。

困難な状況ほど、コンパッションは癒しにも苦しみにもなる

ハリファックス博士は、ご自身の社会奉仕活動や関わられてきた方々の経験を通じて、コンパッションを支える「5つの資質(利他性、共感、誠実、敬意、関与)」があり、一歩間違えると崖から足を踏み外し、「負の側面」を増幅してしまう危険性について警鐘を鳴らしています。この状態は「エッジステート(崖っぷちに立つ状態)」と表現され、そこに立つことで見晴らしがよくなり、起こっていることを観察し、そこから気付きを得て成長をすることもできるのだそうです。また崖から落ちたとしても、そこから回復するプロセスの中で大きな成長を得ることができると指摘しています。

一方で、癒しのないまま負の側面に長く漂流してしまった場合の危険性についても様々な方の例を含めて紹介し、立ち直るための意思やサポート体制の大切さを痛感させてくれます。まさに現在の新型コロナ危機で最前線に立つ医療従事者や社会インフラを支えている方々の多くはエッジステートに立たされているため、癒しの時間が必要なのです。

負の側面は、病的な利他性、共感疲労、道徳的な苦しみ、軽蔑、燃え尽きといった形で表出します。実際、職場における道徳的な苦しみから孤立を続け、無関心、無気力になってしまった方のお話には心が痛みました。被災地、医療現場や教育現場などでの奉仕活動や実践に取り組む方々が、エッジステートで頑張りすぎたとき、そういった負の側面が発生しやすいのだそうです。

患者や医師からの攻撃の対象となりやすい看護師の間でいじめが起きたり、燃え尽きてしまったりする人が多いことや、ニューヨーク州の教員は5年以内に45%が辞めてしまうことなど、強い共感力や利他性、道徳観で社会インフラを支えている人たちが葛藤の末、崖を踏み外してしまうことも多いのは、とても皮肉なことです。

コンパッションは持って生まれた資質であり、磨き続けるもの

崖から落ちないように、あるいは落ちてもまた立ち戻れる力をつけるのは、簡単なことではありません。一般的にスキルの習熟に1万時間かかるという説もありますが、コンパッションについても、実践と振り返り、そして自己の癒しによる活力の維持なしに一足飛びで身につけられるものではないことが、本書ではよくわかります。

幸福な人生を送るために、コンパッションを生涯かけて磨いていくくらいの大局的な視野が必要だと本書は示唆しています。特に、構造的抑圧により、社会課題を見て見ぬふりするような行動は、世の中に溢れています。

読了後に、自分自身が地球に痛みを与える行動を完全にやめられるかというと、そう簡単なことではありません。現代社会は気候温暖化問題やゴミ問題、ホームレス問題、ジェンダー問題を含め、一見、自分自身はその発生に関与していないようにも見える、大きな社会課題が山積しています。

他者や自然とのつながりを意識することで、少しずつ日々の行動にコンパッションを発揮できるようになるはず。ですが、一貫してコンパッションに溢れた人間になることは、ヒマラヤより高い山にも映るかもしれません。

コンパッションに溢れたコミュニティは、より繁栄し、より多くの子孫を育むという観点で、人間の進化の過程で選択され受け継がれてきたのだという仮説をダーウィンは立てていたそうです。また近年、動物にも思いやりの行動や道徳的な振る舞いは認められるというオランダの動物行動学者で霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールの研究もあり、人間が本来備えている資質を阻害する要因が現代社会に多くインストールされていることに気づかされます。

科学的にもコンパッションは、受け手に幸福をもたらすだけでなく、行いをした当人にも有益であり、さらにその行為を目撃した人にも有益なのだそうです。身体的な健康状態の改善についても研究で示されているそうです。自分自身の状態を整えるためのマインドフルネスやセルフマネジメントの実践も広がり始めていますが、コンパッションにおいては、自分と他者や自然を切り離すことは出来ないのです。

つながりを意識し認めることからエッジステートに立つ勇気を持ち、その経験の積み重ねからバランスを保ち、崖から落ちない、もしくは落ちても立ち直れるレジリエンスを身につけていく。自己への挑戦と癒しの連続なしには到達しない領域なのだという事を痛感しました。とはいえ山が高いので登らないということではなく、我々一人一人が資質として持っているものを日々の生活から実践してみようというマインドが大切なのではとも気づかされます。

幸福の連鎖を生み出す資質としてのコンパッションをどう捉え、自分や周り、そして社会の幸福のために実践していきたいかを深く考えるためのガイドであり、想いのある人々と「共にいる」著者の分身とも感じられる一冊です。

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本書の基本概念(日本語版付録より)

執筆者プロフィール:竹村 詠美
一般社団法人 FutureEdu 代表理事、一般社団法人 Learn by Creation 代表理事、Peatix.com 共同創設者。
1990年代前半から経営コンサルタントとして、日米でマルチメディアコンテンツの企画や、テクノロジーインフラ戦略に携わる。1999年より、エキサイト、アマゾン、ディスニーといったグローバルブランドの経営メンバーとして、消費者向けのサービスの事業企画や立ち上げ、マーケティング、カスタマーサポートなど幅広い業務に携わる。2011年にアマゾン時代の同僚と立ち上げた「Peatix.com」は現在27カ国、350万人以上のユーザーに利用されている。現在は教育、テクノロジーとソーシャルインパクトをテーマに、次世代育成のため幅広く活動中。未来の学びを考える祭典、Learn X Creation (ラーン・バイ・クリエイション) 事務局長、 Most Likely to Succeed 日本アンバサダー、Peatix.com 創業者兼相談役、総務省情報通信審議会、大阪市イノベーション促進評議会委員なども務める。二児の母。


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