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黒人コミュニティで起こった「事件」の裏側にある人間ドラマ(新元良一)

「新元良一のアメリカ通信」第9回
Deacon King Kong
by James McBride(ジェイムズ・マクブライド) 2021年2月出版

人情噺というジャンルが、落語の世界にある。コミカルな会話や描写をもたせつつ、市井の人たちの付き合いのなかから、ほろりとさせる人間関係の機微のようなものを感じさせるフィクションの世界だ。

昨年発表されたジェイムズ・マクブライドの長編小説『Deacon King Kong』を読みながら、その人情噺のことが頭に浮かんだ。黒人コミュニティで起こる出来事、住民たちそれぞれのストーリーに悲喜こもごもの感情が込められ、現代社会で失われたもの(あるいは、失ってしまったと思い込まされているもの)が提示され、彼らの心と心のふれあいが胸を打つ。

なぜ老人は同じ地域に暮らす青年に銃口を向けたのか

本作において、場所と時代の設定は重要な意味がある。黒人コミュニティといっても多種多様だが、小説の舞台となるのは、ニューヨークはブルックリンのコーズ・ハウシズ(Cause Houses)という、労働者階級の人たちが暮らす、架空の公営住宅地(Housing Project)だ。

黒人以外の人間にとって、Housing Projectと聞くと、危険で犯罪の多い場所といったステレオタイプ的なイメージをもつことが多い。小説でもそうした闇世界の部分が紹介され、麻薬密売といった犯罪に手を染める若者が登場するが、そこにもコミュニティへの属性と人間味の豊かさが表現される。

もうひとつの設定である「時代」だが、ここで描かれる1969年は、アメリカの黒人コミュニティにとってマルコムX(1965年没)マーティン・ルーサー・キング博士(1968年没)と、ふたりの指導者が暗殺されからまだ間もない時期と重なる。これらの悲劇が同コミュニティに影を落とし、50年代から続いた公民権運動による社会の変革も思い描いたように進まない、ジレンマから引き起こされる停滞感が作品にもどこか漂う。

そこへひとつの事件が起きて、コーズ・ハウシズ全体を震撼させる。普段と変わらぬおだやかなある日、住宅地域内の広場にいた19歳の青年が、近づいてきた71歳の老人に銃口を向けられ、発砲後に倒れた。

老人はこの界隈に住み、数年前に妻を亡くした教会の執事であった。スポートコート(Sportcoat)のあだ名で知られる彼は、無類の酒好きで、事件当時もアルコールが入っていた。

彼に撃たれたのは、コーズ・ハウシズで育ったディームズ・クレメンスという青年だ。少年のころは野球に熱中し、付近の人たちから可愛がられていたが、やがてスポーツを捨て、麻薬の売人として組織に属し名を馳せるようになった。

大勢の人の目の前で行われた狙撃事件は、コミュニティを混乱の渦の中へと導く。大酒飲みではあるが、根は善良なスポートコートがなぜ、ディームズに発砲しねばならなかったのか? いつも広場に集まるおしゃべり好きな人たちはもとより、住民たちの間ではその話でもちきりになった。

ところが、当のスポートコート自身はといえば、発砲現場から立ち去り、何事もなかったかのように、いくつかかけもちする仕事のひとつである酒屋へと向かう。店の奥で、オーナーの目を盗んで商品を口にしながら、片づけの作業をしているところへ友人が来て、事件について問いただすが、スポートコート本人は、そんなおぞましいことをした心当たりすらない。

一筋縄ではいかない住民たちの深いつながり

物語の展開にともない、事件へ至った経緯へと近づき、そのスリルを読む側は感じるのだが、“謎解き”の面白さを味わいつつも、本作の魅力は、登場人物の織りなす人間ドラマに尽きる。

広場で井戸端会議をする婦人たち、事件現場でその様子を目撃した私服警官から、空港に“貴重な”品を届けるよう依頼されるイタリア系の運び屋まで、先の事件を中核に据えながら、淀みなく、様々な人たちの生活や人生が紹介されていく。なかでも特筆すべきは、事件の当事者となるスポートコートと彼に銃弾を撃たれたディームズである。

一命は取りとめたものの突然の襲撃で負傷したという加害者と被害者の立場からすると、憎しみ合う感情があっても不思議でない。しかし両者の間には怒りや憎悪といったネガティブな感情がないばかりか、それらとは真逆の親しみや尊敬さえ窺える。

そうしたポジティブな感情をもたらすのも、彼らが同じコミュニティの一員同士だからである。

たとえば、片方の耳を撃たれたディームズが、自分の少年時代を回想する場面が出てくる。いまは闇社会の人間となったが、ほんの数年前まで野球の才能を認められ期待の星だった彼の所属チームのコーチが、ほかでもないスポートコートだった。

たしかに大酒飲みではあるが、スポートコートにはその酒とともに野球という心底捧げるものがあった。往年の黒人リーグの選手たちの話をおもしろおかしく聞かせてくれ、自分たち子どもを軽視せず目をかけてくれる。

そんな彼に比べて、ほかの大人たちはどうだ。親も含めて、不平不満を口にするばかりで、わが子ですら構わず無関心でいるではないか。そんな思いを抱いていたディームズの目には、スポートコートだけが「幸せ」をつかんだ人に映る。

事件以前はそんな信頼関係の両者であっただけに、銃撃した動機がますます不可解になるのだが、一方で、そこには小説で紹介される黒人コミュニティにおける、住民同士のつながりの深さがある。心を通わせあえる幼馴染や仲間がいれば、いつまで経ってもソリの合わない人間もいる状況ではあるが、それでも互いを「知る」集合体の存在は、多様性が求められる現代社会に、何が必要なのかを伝えてくれる。

リアルな関係性はそうたやすく「ブロック」できない

いまは、ソーシャル・メディアを通じ国境を超え、これまでなら会う機会もなかったであろう誰かと知り合える時代になった。そのこと自体は利便性があり、新しい可能性が発見できるのだが、それはまた同時に、少しでも気に入らないと見るや、クリックひとつで交流を遮断できる時代でもある。

言うまでもなく、社会にはいろいろな人がいる。そんな彼らの近くで生活し、言葉を交わすことで自身も知識や知恵を授かり、人間として成長していく。言い古された考えかもしれないが、身近にいる人たちに「知られている」という環境が、生きていく上で支えとなり、拠り所となる暖かさを再認識させる一冊である。

執筆者プロフィール:新元良一 Riyo Niimoto
1959年神戸市生まれ。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務め、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に「あの空を探して」「One author, One book」。

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