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好きな気持ちと同じくらい〜その4〜

「好きな気持ちと同じくらい」連載、最終回です。
ついにタイトルの核心にも近づきます。(どういう意味やねん、と思っていた方はお待たせいたしました。)
〜その1〜・〜その2〜・〜その3〜をまだ読んでいない方は以下のリンクから。

最終回は「私自身がどのようにして音楽と向き合っていこうとしているか」ということについて、現時点での考えをまとめたいと思います。
正解があるものでもないし不完全な論になってしまうかもしれませんが、これが私の今考えていることだと捉えていただければ嬉しいです。

それではレッツゴ。


音楽に救われて考えたこと

突然ですが、私には「音楽が好きだ」という気持ちと同じくらい「音楽を守りたい」という気持ちがあります。

「守るだなんて。プレイヤーでもレコード会社の人でもあるまいし。何を言うとるの。」
と思われるかもしれません。
「何を上から目線で言ってるんだ。何様のつもりだ。」
と思われるかもしれません。

それでも、私は音楽を守りたいと思っています。
だって、音楽が好きだから。音楽文化がこの後の世代にもずっとずっと続いてほしいから。
そして、(今までの連載で辿ったように)私を救ってくれた音楽は決してなくなってほしくないし、そのためにできることはやっていきたいと考えています。

自分が「音楽を守りたい」と感じていることに気付いた時から、(多分少しその前から無意識に)音楽サブスクのお金の回り方やライブハウスを一回借りるのにかかる費用、「人気になること」と「良い音楽だと評価されること」の関係などなど。様々なことに関して調べたり記事を読んだりしました。
そこからわかったことは(少し概念的なことになってしまいますが)

音楽文化を生かすか殺すかは聴き手が大きな鍵を握っている

ということです。私たちリスナーが音楽を大切に聴いていくか雑に扱って消費していくのか、その態度で音楽がしっかりこの世に残っていくかどうかが変化するのだと思ったのです。

私だけの論だと不安定なので、少し引用させてください。
アジカンのGotch(後藤正文)さんは社会問題について積極的に発言しているイメージがあるかもしれませんが、もちろん音楽業界や音楽流通の在り方についてもしばしば発言されています。
(これから引用するのは24:53頃からです。)

「ドストエフスキーが文学作品を書いた時のロシアの識字率は3%。名作が書かれたその時は、ロシアの人はほとんど字が読めなかった。(中略)その人が読み繋いだからこそ、後世に本が伝わっている。実は作り手ではなく
聴く人たち(リスナー)がどう聴くかが将来の音楽の畑が荒野になるか砂漠になるか森になるかを担っている。
ここでも「文化が後世に伝わるかどうかは受容側が鍵を握っている」とおっしゃっています。

「Gotchさんがこう言っているのだから正しいんだ!信じろ!」と言いたいわけではありません。でも、音楽の聴き手が少なからず音楽文化の発展・衰退に関係しているかもしれないと考えてみることはしても良いと思います。

なんやかんやで、私は一つの結論めいたもの(=音楽を守りたい私がすべきこと)に辿り着きました。
それは

音楽を愛することこそ音楽を守ること
音楽は生き物であると認識すること

ということです。
好きなものや好きな人に対しては、愛を持って大切に思って接するじゃないですか。それと同様に、音楽に対しても愛を持って大切に接することでそれらを守ることに直結すると思うのです。

そして、ソングライターの方が楽曲を発表する際に、よく「我が子を送り出すような気持ちです。」と答えることがあると思います。
音楽って、形となってこの世に出現するまでに、様々な場所にいるたくさんの人が力を合わせ、魂を燃やして生み出したものに他ならないのです。
そして、生き物のように遠くまでたくさんの人に届いていくのです。いや、生き物よりも広範囲に届く可能性をも秘めたものとも言えるかもしれません。なぜなら再生する機会と音源が存在する限り、作り手がいなくなったとしてもその作品は生き続けていくから。
反対に言えば、社会が音楽を雑に扱ったり無視しようものならいつでも消えてしまう可能性を孕んでいるとも理解できます。


音楽を愛する方法

それじゃ「音楽を愛する」って何をしたらいいのか。ここでは、私が私なりに音楽を愛する方法として心がけていることを書きたいと思います。
もちろん、その方法は十人十色です。私がこうしているからそれを実践してほしいというわけではありません。あくまでも参考として、です。

私が一番大事にしているのは、気になった作品があれば「その作品がどのような道を経て作られたのかを辿ってみる」ということです。

アーティストのインタビューが一番分かりやすい例だと思います。
紙の音楽雑誌でなかったとしても、ナタリーやぴあなどネットメディアもありますしアーティスト自身がブログを書いていることもあるのでそれをまずは読んでみます。(ネットの便利なところは廃刊などがないのでバックナンバーを遡り放題だというところです。)

すると、そのアーティストが

・どんな活動をしてきたのか、どんな人(たち)なのか
・どのようなコンテンツ・社会背景・イベントに影響を受けて制作したのか
・共同制作者とどのように組み立てていったのか(ソングライティングから録音・パッケージまで一人でやる場合でない限り、大抵の場合は誰かとの共同作業です。)
・どのようなポリシーを持って活動しているのか

などが分かってきます。
そうすると自然と目の前にある作品への愛おしさのようなものが湧いてきます。これは目の前にある作品が「ただの作品」ではなく「長いストーリーを持った掛け替えのない作品」に変化するからだと思います。
そして、それを生み出した人の演奏を見てみたいと思ったり、その作品を一番いい方法で聴きたいと思うようになります。多分。
それがライブに行くことであったり、音源やライブ映像作品を買ったりすることなのではないかと思います。

ここまでくれば「音楽を愛する」フェーズまでくるのではないでしょうか。
そもそも何を持って「音楽を愛している」と言うのか、というのも人によって様々なので難しいところではありますが。
私の中では、「再生ボタンを押して音楽を聴く」以外でリスナー側から能動的に動いた瞬間に「その音楽を愛する」ことに変わるような気がしています。そこにラインがあるような気がしています。

そして、自分の好きな音楽を聴くときはそのストーリーを大切に感じながら聴くようにしています。でも、ずっとそうしているのは疲れてしまうし、音楽を聴くことが負担になってしまっては元も子もありません。
だからせめて「その作品のそばには必ず作った人がいる」ということを忘れないようにしています。
最後まで聴かないで少し聴いて次、つまらなかったら次、といった具合に聴きかじりしていくのではなくて。消費していくのではなくて。


こんな感じで大連載を終えます。
説教がましいとかスッキリしていないとか感じた方がいたらすみません。
でもどこかで、できれば多くの人が見る場で、そう思うに至った経緯を含めて音楽について書くべきだと感じたので書きました。ご容赦。

音楽文化について意見を言う人って、基本的にミュージシャンやレーベル運営をしている人など音楽を「発信する」人が多いです。そりゃ当たり前です、内情も実情も分かっているのだから。
でもそちらではない、リスナーや受容者側からそうしたことを発信することにこそ意味があると感じています。そう信じています。
この記事に出会ってくださったあなたが、音楽についてもう一度考えたり「音楽を大切にしよう」と思うきっかけになっていたとしたらこれ以上の喜びはありません。


長くなりました、最後まで読んでくださってありがとうございました!!!

参考リンク
「音楽がどのようにビジネスしているか」「音楽文化に関連する問題」について分かる記事やポッドキャストをおいておきます。あくまでも参考程度に、私セレクトなので。もっと詳しいことは詳しい方に聞いてください。
(随時更新)

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