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トラウマ後も成長できる? PTG(心的外傷後成長)とは

答え:被害者がトラウマになるような逆境から逃げたり、助けを求める防衛・生存本能を活かせた末にみられることがある。PTSDの場合はPTGの可能性が高く、CPTSDの場合は難易度が上がる可能性が高い。


PTG

PTG(Post Traumatic Growth)とは、トラウマ体験後に起こり得る被害者の成長をさし、和訳では「心的外傷後成長」という。

被害者が助けを得られず、さらには取り返しのつかない加害を自他にし続けてしまう破壊的な事例・事件の多さからも分かるように

「成長のためにトラウマ体験をした方が良い」という意味ではなく、加害が肯定・矮小化されるわけでもないので注意。

子どものトラウマ体験はむしろ成長の妨げになる。しない方が良いのは言うまでもない。

ただ例えば、深刻なトラウマを受けた被害者なのに、その経験を活かして社会の啓蒙に貢献している人も少なくないのは紛れもない事実。

これらの人物を調べると、味方になってくれた人がいたか、どうにか逃げ出して助けを求められたという共通点が挙げられる。

味方の存在がいかに重要かがわかると同時に、

防衛本能(健全でないことが多いが)の機能についても考えさせられる。

防衛本能

トラウマ後はあらゆる症状がでてくるがこれもいわば防衛本能だ。

例えば私はCPTSD(複雑性PTSD)歴35年以上の中で以下のような症状を経験してきた:

記憶喪失、
解離性障害(DID)、
フラッシュバック、
過食症、
自傷行為、
躁鬱、
性嗜好障害・強迫的性行動症、
月経前増悪(PME)、
月経前不快気分障害(PMDD)、
月経症候群(PMS)、
パニック障害、
対人恐怖症、
境界性パーソナリティ障害(BPD)、
人間関係における強迫性障害(ROCD)、
不眠症、
etc……

これらの共通メッセージは、「アナタは病んでいて助けが必要です」。

なのに「いいや、健康だし助けはいらない」と私が頑なに思い込もうとしてきたから、これほど多くの症状が出続けてきた。

でも、何十年も同じメッセージをあの手この手で伝えられると、イヤでも徐々に意識させられる。

「ああ、私はあの瞬間から自分の感覚を押し殺し始めたんだっけ」と認めざるを得なくなる。

初めて被害に遭った自分は無邪気な子どもだったことも。

理不尽。

自分を苦しめた奴らを憎んで恨んで呪いまくる。

するとその鬱憤を晴らすために身近な人を傷つけたことにも気づく。

そんな自分を許せない。

被害性と加害性の両方が自分の中で共存してる、こんな矛盾を抱えているのは自分だけと思い、孤立する。

孤独が極まった頃、被害・加害者どちらでもある人間が古今東西に大勢存在し、

もはや個人の問題だけでなく、その基盤である社会の問題でもあることにも気づき、再び絶望。

そんな暗闇の中で光のような人物の存在を見つけたりしながら、

自分のケアをし始め、他人にも頼り始め、社会に必要な変化を考え始め、試行錯誤の末に努力が報われ始め、自分の不可解な人生に意味を感じられた頃に、その奇跡をPTGという言葉で説明しようとする学者らが出てくるかもしれない。

PTGを期待するのは楽観的過ぎるけど、希望は持っておこうと私は思う。

ポジティブ/ネガティブのどちらかに偏り過ぎて災いを引き寄せないためにも。

それに防衛本能は私を守ろうと必死で、苦しかったけど、それは被害を忘れようとするほど加害者に苦しめられたからであり、苦しいと感じること自体は、正常な反応だから。

嫌いでしかなかった自分にも少しは肯定できる部分があったと思え、それが癒しに少しつながる。

でも防衛本能は健全でないことが多く、自分や他人を傷つけることが少なくないから、諸刃の剣。

だから助けは早ければ早い方がいい。

私は4歳から始まった性被害を「虐待」と認められるまで30年かかり、細々と続けてる治療はまだ6年目。

自他に害を加えなくなる存在になるまで、危険性の高い人物として生きるくらいなら、早めに死んだ方がいいと思ってる。

だから安楽死。

PTGだろうがなんだろうが、苦しいのは変わらないし、避けて通れない道なら、少しでも苦しみが少ない方法を選ぶ。

あれ、私PTGを実感できるのか不安になってきた。

PTSD vs CPTSD

そもそもPTGという概念は、PTSD患者から多く確認されたことで生まれた概念だったが。

C-PTSDとPTGと関連性はまだ研究段階で、不可能ではないだけど、PTSDにような結論を出すのは困難なようだ。

初めからCPTSDに特化した研究だったらPTGという言葉が生まれづらかっただろう。

ある程度年齢を重ねてから単発的なトラウマ体験をして患うPTSDと、幼少期から日常的にトラウマ体験が続いて患うC-PTSDでは同じ結果になるはずかないのは容易に想像できる。

子どもへの継続的な虐待がいかに人の人生を狂わすかということを改めて実感されられ、一生かかっても回復することが想像しづらいのも無理はないのかなと思う。

結論

子どもへの継続的な虐待がいかに人の人生を狂わすかということを改めて実感されられる。私自身、一生かかっても満足できるほどに回復することが想像しづらいのも無理はないのかなと思う。

参考文献


https://www.apa.org/monitor/2016/11/growth-trauma#:~:text=Post%2Dtraumatic%20growth%20(PTG),often%20see%20positive%20growth%20afterward.

写真:Image by Thomas Wolter from Pixabay

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