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属するストレスと属さないストレス。

ー あなたは一体どこに属しているだろうか。

私はいくつの組織に属しているのだろうか。そして、何を利点としてそこに留まっているのだろうか。

私は現在ベルギーで会社に属して仕事をしていない。かといって日本にいた頃もフリーで活動していた為、どこかの会社に根を張っていたわけではない。では私は何にも属していなかったのか?というと、それは違う。正確に言えば、何にも属さないことは不可能だ。

たとえあなたがフリーで活動していたとしても、アマチュアストリートアーティストであったとしても、同じ場所、取引先、担当者、そこに定期的な接点が生まれている、その時点であなたはどこかに属している。

そんな私はというと、2021年から全く縁もゆかりも、興味すらなかった国、ベルギーへ引っ越してきた。半年間、何もしていなかった。食べて寝て、息をして生きていた。

美術館へ行ったり、オペラへ行ったり、ヨーロッパ旅行を楽しんだりもしたが、これといって何もしていなかった。

これは私の人生においてはじめての期間だった。幼少期ですら週5で幼稚園、学校へ通っていたのだから、それもそうだ。

この頃、私はパートナーの実家に住んでいた。義父は料理が好きなため、私の唯一の出来ることすら失っていた。もちろん友人もいないのでパートナーの友達のコミュニティーで過ごした。言語は良くて英語、主にオランダ語だった。私は社交的で外交的な性格をしてるが、人と話す楽しさすら見い出せなくなってしまっていた。それは彼の実家内でもそうだった。

私が都内で忙しく活動してた頃も、会社員をしていた過去も、自由を求め、束縛を強く嫌っていた。仕事を選ぶ基準は如何に自分を自由な身に置けるか。で、営業の仕事が多かった。属しているが個人ノルマで自由に外に出れる、そんな業界が私には適当だったからだ。幸いにも外交的、社交的が功を奏し、どんな商材も契約を取るのに困ることはなかった。しかし、自由を求める者はさらなる自由も求めだすのだ。

そしてフリーに転身した。自由を満喫した。営業、管理、経理、実働すべて自分でこなした。もちろんそこにはリスクもあった。賃貸契約は会社に属している人に比べれば不安定とみなされるので、選べる物件が限られたり、体を壊せば契約違約金すら支払わなければならない。特に私は映画やテレビドラマの制作関係にも携わっていた為、違約金は多額となる。しかし、うまくこなしていたと自負している。あの日が来るまでは。

コロナウイルスだ。この間、私は個人経営のレストランとのイベント提携や、ウエディングパーティなどの企画もしていたが、大幅に仕事を失った。番組、映画製作も関係者の縮小があり、私の基本の収入はほぼ0となったのだ。

それでも自身のポテンシャルと創造性を生かし、海外向けにリモートで日本料理教室を開いたり、既存レシピをビーガン向けに変更しコロナ明けの仕事の準備に勤しんでいたが、”フリーランサー”としての生活を手放す(休止)時が来た。この時、せめて自分のしたいことは手放したくないという理由から、それを続けながら出来る、あらゆるバイトをした。

深夜に検品作業へも派遣で参加し、コンビニの深夜バイトも、仕分け工場派遣もした。思ったよりも楽しかった。属するのが嫌いな私がどこかに属して同じ顔触れに接する環境も、普段じゃ接点のない外国人留学生と話したり、私の世界がまた開いた気がした。

そんな中、新しく出会ったコネクションを生かし、孤児院でクリスマスイベントを行ったり、保護犬、猫の譲渡会のイベントを企画、運営をしたり、したいことを拡大することも叶った。

そんな時、ようやく4年の国際遠距離恋愛が終止符を打とうとしていた。国境が一時開いたのだ。このタイミングを逃すと次いつ開くかわからない。とパートナーと話し合い、ベルギーへ入国。その後すぐにまた国境が閉まったので決断と行動は早いに越したことは無いのだと確信になった。

しかしこの半年の無属生活にはさすがにストレスを感じた。自分の生きてる価値すら疑ったのだ。合わない食事、言語、社会との関わりのない生活を送る中、ぼーっと涙を流しながらこんな歌を口ずさんだ。

なんの為に生まれて何をして喜ぶ、解らないまま終わるそんなのは嫌だ。

アンパンマンの歌だ。今思うとすごい歌詞である。しかし、ここで私は嫌だ。うん、いやだ!!となり、彼に喧嘩を吹っ掛けた、一体、私たちはベルギーでなにをしてるのか。何を待っているのか。一時滞在の一時とはどのくらいの期間なのか。と。

彼は日本に住みたかった。そのために貯金をしたく、実家に留まっていた。私は "一時" ってこともあり、仕事もせずにただここで生きていた(その時を待った)。しかし半年は一時なのだろうか…と生産性と効率を考えすぎる私は憤っていたのだ。喧嘩が増えていた、その半年のうち、最も大きな喧嘩をそのときした。

彼は賃貸契約の方法も、ジャガイモがいくらか、洗濯の仕方すらも知らない、それは私をすこぶる幻滅させた。そして私たちは実家を出ることにした。というのも彼が実家にいると、義母と義父が掃除、洗濯、家事、買い出し、全てしてしまうからだ。

その為、どうせベルギーにいるのなら、ベルギーと日本、将来的にどこが住みやすいのかを判断する材料集めの期間が必要だと考えたのだ。

そこから私は自分のアイデンティティを取り戻した、日常の家事、料理、尊厳を取り戻したのだ。英語の語学学校へ属し、さらにオランダ語学校にも属し始めた。道を歩けば友達が私に手を振る。これは彼から与えられたものでなく、私が築いたものだと誇らしく感じた。

そしてBumbleというアプリを登録し、BFFモード、BIZモードで仕事や友達を学校外でも探し始めた。私のコミュニティーは格段広がった。

気が付けば属することの喜びを覚えていったのだ。しかし、同時に属することのストレスもあった。常に誰かと連絡を取ているという面倒さだ。今まで私がいかにわがままに人とコミュニケーションをとっていたかがわかる。

都内の交友関係は一定期間仲良く。という感じでとても気軽なインスタントさを感じる一方、ここはグラデーションのように徐々に加速し、一生の付き合いとなる感覚。なので私のパートナーの友達もいつも同じメンバー(20年くらい)。逆に下手なことできないと慎重になる。更に、性格、趣味的に合わないなら最悪である、彼らはきっと一生友達なのだから。私はほどほどの距離を保って、彼には自由に遊ばせに行かせ、徐々に知り合おうとした、が今のところ彼らと腹を抱えて笑ったことは一度もない。しかしみんな近所に住んでいる為、そこそこの距離になる。

そんな感情を持っていたところ、私は突然日本語が恋しくなったのだ。

そこでFacebookでとあるグループに参加することにした。海外在住のひとが日本食をつくる会というグループだ。世界中の日本人が日本食を試行錯誤しながら現地の材料で作って投稿している。時に愚痴や相談も移住ならではの不満も漏らしている。ここに属して私は自分のバランスを保っている。そして更にそのグループから派生し新しいグループやプロジェクトに参加することとなった。

属することでそれなりの緊張感やストレスがある。しかし人には、生活にはそんなメリハリが重要不可欠なのだと、この歳にしてようやく属したからこそ知ったのだ。

属することが大嫌いだった私が、すべての構築を失い、属することでバランスを得た話。

以上が「属するストレスと属さないストレス。」でした。

あなたは何に属していますか?何のためにそこに属すのですか?それを手放す時はいつですか?

それでは Tot de volgende keer ! 



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