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だれもいないホームがきらいじゃない

<2008年12月25日の手記より>

この前、なつかしい人たちに会いました。
大学の先輩、後輩たちと。
先輩は「はかせ(慶應大学博士課程卒業決定!)」になるそうです。
後輩たちも、それぞれの地で働きはじめていたり、働きはじめるそうです。

環境が変わると、同じ年月でも感じ方はとっても変わるものですね。

時間感覚ってものは、とても不思議なもので
大学にいたころの2年間と、
働き始めてからの2年間では、
ぜ~んぜんちがう長さに感じちゃったりします。

「なんでだろ?」

とかぼんやりしてるうちに、また2年間すぎてるのかもな。

でも、なつかしい人たちに会えるのはステキなことですね。
同じ環境で、同じ時間を一緒に過ごした人たちは
知らないうちにかけがえのない存在になっているものです。

人間って、本質的にはさみしがりやで
記憶や経験や感情を共有できる人を、
無意識のうちにもとめているんじゃないかと思うんです。

だからこそ、同じ環境で時間を共有できた人たち物たち場所たちに
いつまでも親しみを感じてしまったりするのじゃないかと思うのです。

(めずらしく)誰もいない都内の駅で、電車を待ちながら
そんなことを思いました。

きっとこの駅も、いろんなひとの時間と記憶を共有してるんだろうな。
電気が消えたとたん、
そんな時間や記憶が幻想的なおとぎばなしになって
ひとしれず繰り広げられていそうで、
そんな光景の前ぶれを暗示しているようで、
思わずパシャリとしてしまったのでした。

最寄り駅につくと、
人気のない道を選んで家路をたどる私のたわごとでしたとさ。
おやすみ、そしてよいゆめを。

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