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End of the Story

秋も深まろうという時期なのにまだ残暑厳しい鹿児島の朝、いつになく晴れていて気怠いような暑い日、朝8:30におじいちゃんが息を引き取りました。最期は眠ったままだったみたい。

いよいよ危ないという話になって母と二人急遽向かうことにした鹿児島への道程、PCR検査の陰性証明を取得したり、現地でのホテル滞在の段取りをしたり。約2時間のうちに全ての段取りを済ませなければいけなかったので脳がヒリヒリするような緊張感と緊急感で正直行く前はあの日が一番疲れたな。

未だかつてなく後ろ向きな鹿児島への旅。いつもは期待と安寧を求めて、きっとそこにはあったかい家が待っているとわかって向かうのに、今回ばかりはなぜこれから死にゆく人に会おうとしているのだろうという、行き場のない虚脱感と寂寞に襲われ続けて、どうにも居心地が悪い。

いざ着いてみると、正直思っていた数倍そこには残酷な光景が広がっていた。酸素吸入やバイタルの装置などいろんなものに繋がれたじいちゃん、いつも居間で座ってたあの姿とはまるでかけ離れていて、なんだか人間というよりSF作品に出てくる培養液に入ったサイボーグみたいになってて。

言葉を発したそうにしていたけれど、肺炎で肺の8割はもう機能していないし心臓も右心房しか生きていないというから「はっ!はっ!」って辛そうにしているじいちゃんを見ただけでもう正直耐えられなかった。

おまけに、「あんたらは関東からきて感染不安が拭えないから近づくな。抗菌治療をしているので面会は個室の外から声をかけろ。」と言われる。死に目に会いに来てこの仕打ちか!と思わず母と食ってかかってしまった。後々聞いてみればこれも全て医者の配慮で、我々が相見えるためにここまで治療を頑張ってくれていたのだという。感情的になって申し訳ないと謝罪しつつも、やはりこのコロナ禍で色々なところに歪みが出たり医療の対応逼迫を感じたり。

ゴタゴタした邂逅だったんだけれど、ともかく生きて会えた!でも思ってたのと違う!そういうのがじいちゃんに伝わったらいけないな!みたいな次々入れ替わる感情を抑えつつ、母親の代わりに冷静に色んな人に連絡しなきゃ。と気張っていたけれどやっぱり耐えられなかったなあ。ずっと泣いていた。

その日はどっと疲れて、久々に「泥のように」眠った。このまま明日を迎えなければいいのに。難しい試験を受ける前の日、決戦の前の日のような、重苦しい時間を背負いつつさてどうこれからどう過ごそうかな。と。

翌朝はなんだか妙に落ち着いていたんだけれど、刻一刻と別れの時間が迫っているという焦燥、そしてそれは不可逆な別れであるということ、どういう気持ちでさようならを言うべきなのか、いやさよならは言わない方がいいか。などとモヤモヤ。心拍数も酸素値も安定していたので、ゆっくり寝ているのかな。そんなことを思って時折肩をさすったりタオルを替えてあげたりしながらゆっくりとした時間が過ぎていったね。

結局その日は何も起こらず、ただ、もうこのまま苦しむことがないままであってくれ。でもそれは死を願うみたいで気持ち悪いな。なんて、置き場のない感情を抱えたまま帰路について、任せようにも任せきれない気持ちのまま。後々聞いたけれど、その日の午後も母親が声をかけると動かないものの涙を何度も流していたらしい。

訃報は翌朝、ちょうど仕事に向かう玄関を開けた瞬間でした。

母親と叔母さんとおばあちゃんとの女衆で看取ったらしい。医療スタッフは声をかけてあげてくださいって言ってたらしいけど、声をかけたら頑張っちゃうから、ゆっくり静かに看取ろうって。我が家らしいなあ。なんて思って。

堪えて仕事に向かったけれど、ゆっくり落ちる涙を止めもせずにただ淡々と。考えてみればそういう根性みたいなものはあの家系から受け継いだものか。

4人の祖父母のなかでも一番深く親しみのあったおじいちゃん、いつも連れていってもらった谷山港、焼酎を飲みながら海苔を巻いてくれたチーズ、少し説教くさい口癖は国語教諭で校長先生ならではだったのか、そんなことがずっと脳裏でリフレインしている。

考えてみれば喜寿を境に始めたカメラにのめり込んで、賞を取るまで上達したのはやっぱり生真面目でストイックで創作家だったなあと、そしてその軌跡を追いかけている自分がいるなあとも思う。1週間経った今でも、じいちゃんの好きだった焼酎を飲んでは「ああ、こんな味だったか。」とか、じいちゃんの写真集を眺めて「これは何を伝えたかったんだろう。」とか、こんな感傷に浸るってことはあまり人生で行ってこなかった作業なんだけれど。

なんというか、初めて「リアルに人の死を実感する」という経験をしているように思うんだよね。これまでも知り合いの死に触れてきたのだけれど、初めて自分の中の景色がひとつ消えた。という大きな実感というか。

生前最期の日、もう今生では会えないとわかって告げた挨拶、届いていたのかわからなかったけれど、それまで昏睡していた顔が少しだけ動いたのは聞こえていたのかな。「ありがとう、また来るからね、また会おうね。」それだけ伝えました。
あれから意識は戻らなかったみたい。

「わっぜか綺麗に桜島が見えちょっど~」ってもう言ってくれないんだなあと思うと寂しいけれど。なんかきっとまた会えるような気がしています。
ありがとう。

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