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蜘蛛

君はベッドの上であおむけに寝て、スマホをいじっている。
そろそろ寝なきゃな、と思いながら。
色々やらなくちゃいけないことはあるけれど、今はちょっとやる気になれない。

君がベッドの上でスマホをいじっているその狭い部屋の一角だけ、とりわけ暗い場所がある。
君はそのことに気づいていない。
部屋の明かりが届かないわけがないのに、部屋の片隅に暗闇がある。
そしてその暗闇の中に蜘蛛がいる。

巨大な蜘蛛だ。

胴体だけでも中型犬くらいある。
その胴体をひどく細長い八本の脚が支えている。
ひどく細長い八本の脚に支えられた胴体が、わずかにゆらゆらと揺れている。
そしてその胴体には、人間の顔が付いている

眠そうな顔をして、それは君を見つめている。
君のその狭い部屋の片隅に、そんな大きな蜘蛛がいる広さは無いはずだ。
しかし君の部屋の片隅の暗闇は、君の部屋の片隅よりずっと奥まで続いている。
その暗闇の中に蜘蛛はいる。

ひどく細長い八本の脚に支えられた胴体が、わすかにゆらゆらと揺れている。
暗闇の中で、ゆっくりと揺れている。
君はあまりはっきりしない意識の中で、そのゆっくりとした揺れを感じている。
ゆっくりとした揺れを感じながら、君はベッドの上の人間を見ている。

あまりはっきりしない意識の中で、ぼんやりとした嫌悪を君は感じる。

この人間は何をやっているんだ。
そう君は思う。
他にいくらでもやることがあるだろう。
やらなければならないことが。
自分でもそれがわかっているのに、やらない。
何もやらないのなら、せめて眠ってしまえばいいのだ。
しかしあの人間は眠ろうともしない。

いくらでもある選択肢の中で、一番意味のない、一番役に立たない選択肢をわざわざ選んでいる。

なんて情けない人間。

ふっと眠りかけて君はスマホを取り落とし、スマホが右のこめかみに当たって痛い思いをする。
もうスマホを落とさないように、ベッドの上で体を横向きにしてスマホをいじり続ける。
そろそろ寝ようかな、と思いながら。

暗闇の中、いよいよぼんやりしていく意識の中で、君はまだベッドの上の人間を見つめている。
さっきより嫌悪感は薄らいだ。
今感じているのは哀れみだ。

あの人間は、結局あんなふうにしかできないのだ。
選択肢などないのだ。

かわいそうに。

ベッドの上で、君はとうとう眠ってしまう。
部屋の電気をつけたままで。

君の部屋のすみの暗闇も、眠りに落ちるようにすっと消えていく。

暗闇が消え、蜘蛛も消える。


もう君の部屋の片隅に暗闇は無い。
蜘蛛もいない。

おやすみなさい。
良い夢を。

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眠れない夜に

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